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2017/05/01

年神様のこと

 もう年が明けてしばらくたちますが、年(歳)神様の話をあれこれ。ここでは「年神様」として表記を統一します。

 いま「年神様」と「歳神様」とふたつの書き方をあげましたが、呼び方にもさまざまあるんです。もともと正月が年神様をお迎えする行事だったことから「正月様」。年殿がなまって「トシドン」。「年爺さん」なんて、より親しみやすい名前もあり、さらには「歳徳神」とも呼ばれます。

 安倍晴明が編纂したと伝わる占術書『簠簋内伝金烏玉兎集』(ほきないでんきんうぎょくとしゅう)によると、年神様は頗梨采女(はりさいじょ)であるとしています。頗梨采女は牛頭天王の妻です。牛頭天王は須佐之男命と同じなんだと考えられるようになると、須佐之男命の妻神の櫛稲田媛命は当然、頗梨采女、年神様と同一視されます。ややこしいので整理すると、

(夫)牛頭天王……須佐之男命
(妻)頗梨采女……櫛稲田媛命……年神様
 
「年爺さん」と呼ばれるようにお爺ちゃんだったり、頗梨采女や櫛稲田媛命のように女性であったりと、ずいぶん奥行の深い信仰だといえます。

 さらに、もともとは米を初めとする穀物の霊、あるいは稲霊であったという信仰もあります。「年」という字ももともと「稲」を指していて、大陸の古い辞書『爾雅疏』には「年は禾(稲)の熟す名、毎歳ひとたび熟す故に、もって歳の名とす」とあります。一年に一度熟するので歳=年と呼ぶようになったわけです。

 このように年神様は、農耕に関わりが深いわけですが、正月前に山から降りてきて里の人々に福をもたらし、屋敷でしばらく過してから帰っていくとも信じられてきました。

 こうしたタイプの年神様のお祭りの仕方に、大きく分けてふたつのタイプがあります。

 ひとつは、山から持ってきた松などを依代(よりしろ)、つまり年神様の神霊宿るものとするタイプ。これがのちに門松になったそうです。
 もうひとつは、祭壇を家の中に設置するタイプ。この祭壇は歳徳棚、年神棚とも呼ばれ、鏡餅や洗米、お神酒などの供物をおそなえし、灯明をともします。

 歳徳棚・年神棚は、通常の神棚とは違ってたいていの場合、設置する場所が毎年変わり、年神様のいらっしゃる方角を向ける(恵方、もしくは明の方)ならわしになっています(というより、歳徳神がその年にいる方角が恵方なのです)。

 今年の場合だと恵方は北北西ですね。

 ここまで、民間信仰に属することをお話ししてきました。年神様は上記のように稲の生育に関わりますから、宮廷においてももちろん重要視されていました。古代の法律『延喜式』の巻八、祈念祭の祝詞にも年神様が登場します。

御年皇神の前に、白き馬、白き猪(ゐ)、白き鶏(かけ)、種々の色の物を備へ奉りて、皇御孫命の宇豆の幣帛を称辞竟(お)へ奉らくと宣る。

 ここでは年神様に白い馬や猪、鶏をお供えしています。これは祝詞の表現として珍しいことで、他の神様へのお供えものについては、ほとんど同じ書き方なのに、年神様(ここでは「御年皇神」)だけは白い馬、猪、鶏などでなければいけないんです。

 なぜでしょうか。平安初期の斎部広成『古語拾遺』にその答えがあります。

昔在(むかし)神代に、大地主神(おほなぬし/おほとこぬしのかみ)、田を営(つく)る日に、牛の宍(しし)を以て田人に食はしめき。時に、御歳神の子、其の田に至りて、饗に唾(つは)きて還り、状(さま)を以て父に告(まを)しき。御歳神怒を発(おこ)して、蝗(おほねむし)を以て其の田に放ちき。苗の葉忽(たちまち)に枯れ損はれて、篠竹(しの)に似たり。

 神代の昔、大地主神が田を耕し始める日のこと。豊穣祈願のために捧げられた牛の肉を、農夫に食わせてしまいました。ちょうどそこへ御歳神の子が通りかかって牛肉を食べたことに気づき、お供えに唾を吐いて帰ってしまいます。父神も子の神様から聞きまして、大いに怒ります。害虫を田に放つと、すぐさま苗が枯れ細って、まるで笹竹のようになってしまいました。

是(ここ)に、大地主神、片巫(かたかむなぎ)・肱巫(ひぢかむなぎ)をして其の由を占ひ求めしむるに、「御歳神祟(たたり)を為す。白猪・白馬・白鶏を献りて、其の怒を解くべし」とまをしき。教に依りて謝(の)み奉る。

 そこで大地主神が、片巫と肱巫にその理由を占わせたところ「御歳神が祟っている。白い猪、馬、鶏をお供えして怒りを解きなさい」と申し上げました。大地主神はさっそく謝罪申し上げました。

御歳神答へ曰(のら)ししく、「実に吾が意(こころ)ぞ。麻柄(あさがら)を以て桛に作りて之に桛ひ、乃ち其の葉を以て之を掃ひ、天押草(あめのおしくさ)を以て之を押し、烏扇(からすあふぎ)を以て之を扇ぐべし。

 すると御歳神が「実に祟りは私の意である。祟りをはらうには田に出向いて、麻の茎で作った桛(糸を巻きつける道具)をもって掃うようにし、ごまのはぐさで押すようにし、檜扇であおぐようにしなさい。

若(も)し此(かく)の如くして出で去らずば、牛の宍を以て溝の口に置きて、男茎形(をはせがた)を作りて之に加へ【是、其の心を厭(まじな)ふ所以なり】、薏子(つすだま)、蜀椒(なるはじかみ)、呉桃(くるみ)の葉及(また)塩を以て、其の畔(あ)に班(あか)ち置くべし【古語に薏玉は都須玉(つすだま)といふなり】とのりたまひき。

 もしこのようにして去らなければ、牛の肉を溝(灌漑用の排水溝)の入口に置き、さらに男性器のものを作ってこれに加え(その気持ちを和めるよう、まじなうためである)、ハトムギ、山椒、クルミの葉と塩とを、田の畔にまいておきなさい」と、おっしゃいました。

仍りて、其の教に従ひしかば、苗の葉復(また)茂りて、年穀(たなつもの)豊稔(ゆたか)なり。是、今の神祇官、白猪・白馬・白鶏を以て、御歳神を祭る縁なり。

 そこでおことばに従ったところ、苗の葉がまた茂って、やがて米が豊かに実りました。だから今の神祇官では、白い猪、馬、鶏をお供えして、御歳神を祭るのです。

 御歳神の性格、巫の存在、呪術などいろいろと示唆に飛んだ逸話ですが、くだくだしくは述べません。

 ここで年神様が祟っていることから、古代の朝廷における祈年祭で白い猪や馬、鶏をお供えしていたのは、祟りを回避する意味もあったのではないかと考えられます。

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