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2017/06/16

宮司就任奉告祭祝詞1 準備~冒頭部

 ここからは、宮司就任奉告祭祝詞について、どのように考えて草稿成立まで至ったのかを説明していきたいと思います。

 この祭祀は当然ながら、宮司が就任する際に行われる臨時祭祀です。現にある神社の宮司であって、他の神社の兼務宮司に就任した際に行うのでもなければ、長いこと神職をしている人でも、そう何度も経験するものではないでしょう。

 私の場合、他神社の権禰宜より転任して本務宮司となり、奉告祭をとりおこないました。あらかじめ作文し、浄書しておいたのは前回の人形感謝祭祝詞と同様です。前任の神社にいるときに、すでに就任直後の予定として、この奉告祭も組まれていました。そこで、赴任直後にはきっと思いもかけないことがいろいろあるだろうと予想されましたので、余裕をもってつくっておこうと考えたのです。

 草稿にとりかかる前に注意しなければならないと考えたのは、「奉告祭」なのですから、宮司として就任いたしました、これよりお仕えさせていただきます、ということを申し上げるのが主眼であって、ふだんつくり慣れている「祈願祭」のようになってはいけない、ということです。より具体的には、私のもっている語彙の多寡はともかくとして、祈願よりも奉告の語句の分量が、まずは多くなければならないと考えました。

 分量については、小祭式とするのは決めていましたが、ある程度は必要だろうと考え、奉書紙に六つある書くスペースの、ひとつにつき三行、全部で十八行とし、宣命書にして一行二十五、六字とおおまかに決めました。四百字詰原稿用紙にすると、一枚ちょっとの計算になります。スピーチなどでしたら一分少々で読み終わるでしょうし、短いのかもしれませんけれども、祝詞ではこの分量でも短すぎることはないと思います。

 ざっと以上のように考えて、まず冒頭部として、

挂巻も畏き某神社の大前に恐み恐みも白さく

 としました。

最初の通常「掛けまくも」と書くところ、「挂」は「掛」とほぼ同じ意味、墨書したとき字のバランスがとりやすいので、つかっているだけです。「巻も」はそのままマクモと読みますが、「巻」の字じたいは音を借りているだけで、「巻く」という意味はもちろんもたせていません。

 なお、浄書のときには「挂巻も畏き」のあとで改行し、「某神社」が、つぎの行の頭にくるようにしています。「某」には具体的な神社名が入りますが、その神社を尊んでのことです。印刷の都合もあるのか、例文集などではそうした祝詞は見かけませんが、昔の祝詞ではよくあります(明治六年三月式部寮達番外、官幣諸社官祭式制定ノ件に所載の祝詞など)。

また、「大前に」のあとに、職氏名を入れることがありますが、ここでは入れないことにしました。これは「奉告」の根幹にも関わるところで、議論のあるところかもしれません。

草稿段階で私が職氏名を申すのを躊躇したのは、宮司就任奉告祭をお仕えして大神様のお許しをいただいてよりのち、職氏名を初めて申すことができると考えたためでした。

一方、純粋な「奉告」の意味でなら「宮司になりました。これから誠心誠意、お仕え申し上げます」ということで、「宮司〇〇」を入れて何の問題もないでしょうし、そのような考え方もできます。私の場合は、草稿を書きはじめたときにはすでにスケジュール上、奉告祭の時点でもう、宮司任命の辞令をいただいている、ということは決まっていました。そもそも辞令をいただくまでの間、その過程にも、ご奉仕することになる神社の大神様の御神意が働いているに違いありません。

いまこうして考えてみると、職氏名をいれてもよかったのではないかと思います。いれてもいれなくてもよい、という、どっちつかずの結論です。

それでもあえていうなら、この場合は、職氏名を入れない方が勝る気がします。なぜなら、草稿段階での第一感だったからです。推敲すればするほどよくなるような気もしますけれど、文章を練りあげてゆくのは人知の領域であって、直感は神々の領域に近接するように思います。

 最後に、この分量でよいのか、少なすぎないか、という点についてお話ししましょう。確かに前回の人形感謝祭祝詞では、冒頭部には修飾語句を用いて長くしてゆきましたが、ここではごく単純な形にしています。


これは、冒頭部につづく部分の内容、いわば本題において、たくさん申すことがあるだろう、長くもなるだろう、と予想したためです。実際につくってみて、想定していたよりも長くならなければ、あとで冒頭部の長さを調整しようとは考えていました。

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