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2019/06/12

三矢重松先生一年祭祭文(ひらがな版)

〇なぜかはわかりませんが検索をたどって折口信夫作、三矢重松先生の一年祭歌碑除幕式の祝詞を読まれる方が、けっこういらっしゃるようです。三矢重松先生については、こちら(wikipedia)をご参照ください。

 折口先生の祝詞の構成は、こんにちの神職がつくるものとまったく異なります。「型」というものがありません。

 祝詞には先人がくふうを重ね、つくりあげてきた「型」があります。それを守れば、まず大失敗はありません。しかしながら恩師の三矢先生のみたまに呼びかけようとしたとき、折口先生には型など不要だったのでしょう。古代からきた未来人と称される折口先生ですから、豊富な語彙の蓄積があり、縦横に語法をあつかい、三矢先生との師弟愛を知らない人でも、こころをうつものとなっています。

 いま古語で祝詞を書いたとしても、発音は古代とはかけはなれたものとなってしまうのはまちがいないのですが、それでもこれらの祝詞を読むと、やまとことばの美しさを感じることができます。

 そこできょうは一年祭のほうを、漢語はそのままにし、ほかはすべてひらがなにして再掲してみます。ひらがなばかりだと意味をとるのに時間がかかりますが、ここは意味を置いておいて、音の美しさを感じていただければと思います。

〈以下、再掲〉

かくりよは しづけく ありけり さびしきかもと おおきなげき したまひて やがて きまさむものと おもひまつりしを うつしみの ことのしげさ かたときと いひつつも はやも ひととせは きへゆきぬ

みつやしげまつ うしのみことや いましみことの みおもかげは これの大学の くるわのゆきかひに たつとはみれど まさめには おはししひの そびやげる みうしろでをだに みずなりぬる

おおやまと ひだかみのくにの もとつをしへを をぢなく かたくなしき われどちに ねもごろに さづけたまひて つゆうませたまふさまなく あるときは あぎとひせぬこを ははのみことの ひたしつつ なでつつ おふしたつることのごとく あるときは あたきたむる いくさぎみなす めさへ こころさへ いからして しかりこらしたまひけむ

わかきほどの みつとせ よつとせあるは いつとせよ みこころばへに かまけまつりし ことをおもへば あはれ うしのみことの いまさざりしかば われどちいの けふの学問も 思想も おひきたらざましを あはれ うしのみことや よびとには はえおほく みえこし 文学博士の なすら みなにかけて まをせば つゆのひかりなき なべてのものにてありけり

いましみこと 國學のみちに たつる理想を ひたまもりに まもりをへたまひしかば みちのいりたち いとふかく いまししはさらなり 教育家と いふかたよりみるにも まことなき あきびとめくひとのみ おほきよに ひとり たちそそりて みえたまひしを こぞの七月十七日の さよなかに にはかにも よをかへたまひて なきいさちる われどちの すべなきおもひを あはれとやみたまはぬ ゆくへもくれに みちにまどふ ここだの弟子を かなしとや おもひたまはぬ

かくりみの さびしさになれて みねむり のどにしづまりいますを おどろかしまつりて けふし ここにをぎまつらくは おくれたる わがともがらの こひしくに こころどはなり くやしくに したひまつるさまを つばらにも しみみに しわけまさせむとて むかへまつるなりけり ひそかなる よにすみたまへば ほがらに ききわくべくなれる みみのさとり よくききしりたまへとまをす

ことしはじむる としのめぐりの みまつりの けふをはじめにて われどち いきてあらむほどは そのとしどしに おこたることなく こととり まをさむを そのときごとに たちかへり ここによりきたまひて わがともがらの しぬびまつる こころをうけたまへ

あらましごとは ちとせをかねても つくることなけれど うつしよに たへずといへる みみのいたくつからしぬらむ

いで いはどこ やすいに かへりいらせたまへ

あまがけり かむあがらせたまへとまをす

2019/05/24

火きりと魚と

 こんにち現存する最古の祝詞集とされているのは延喜式の巻八ですが、「祝詞」の範囲をより広くとるなら、すでに古事記の中にも記されています。たとえば古事記の大国主神の国譲りの段に、こんなくだりがあります。

 大国主神は高天原からくだった建御雷神のため、出雲国(島根県)の多芸志(たぎし)の小浜に立派な宮殿を造り、もてなすことにしました。そのときクシヤタマノ神は料理人として、海の底にもぐって土をとり、それで皿をつくりました。さらに、海藻やコモの茎で火鑽臼(ひきりうす)や火鑽杵(ひきりきね)という道具をつくり、火を起こします。そうして、次のような言祝ぎの寿詞(よごと)を唱えたのです。

この我が燧れる火は、高天原には、神産巣日の御祖命の、とだる天の新巣の凝烟の、八拳垂るまで焼きあげ、地の下は、底つ石根に焼き凝らして、栲縄の千尋縄打ち延へ、釣する海人の、口大の尾翼鱸、さわさわにひき依せあげて、打竹のとををとををに、天の真魚咋献る(次田真幸『古事記』上巻 講談社学術文庫による)。

このわがきれるひは、たかまのはらには、かみむすひのみおやのみことの、とだるあめのにひすのすすの、やつかたるまでたきあげ、つちのしたは、そこついわねにたきこらして、たくなはのちひろなはうちはへ、つりするあまの、くちおほのをはたすずき、さわさわにひきよせあげて、さきたけのとををとををに、あめのまなぐひたてまつる

【大意】今こうして起した火は、高天原にいらっしゃる祖神様、カミムスビノ神の新しい宮殿のススが、長く長く垂れ下がるまで焚いたような、土の下は地の底の石までも固くするかのような、神聖な火。その火をもって調理いたしますのは、長い栲縄を延ばして海人がとった、口が大きい立派なスズキ。ざわざわと海から引き寄せて上げ、運ぶときに笹竹がしなるほどの、たくさんの神聖な召し上がり物として捧げます。

 出雲では今でも火鑽の神事が行われています。出雲国造が新たに就任すると熊野大社に参り、そこで起した火を持ち帰ります。その火は大切に保存され、その火を食べ物の調理にも用いるのです。

 われわれ人間は贈り物をするとき「つまらないものですが」といって差し出しますが、神様同士ではそうはいっていないのが面白いところ。「寿詞」という名前にふさわしく、ことばを尽して、調理する「火」や食べていただく「スズキ」を立派なものだといっています。

 内容は単に「火を起してスズキを調理し献ります」ということです。それを、このように言葉を尽くし、美しく、音韻をととのえて奏上することで火は尊く、スズキは素晴らしいものになり、ひいては献るのにふさわしいものに変るわけです。

原文

是我所燧火者、於高天原者、神産巣日御祖命之、登陀流天之新巣之凝烟之、八拳垂摩弖焼挙、地下者、於底津石根焼凝而、栲縄之千尋縄打延、為釣海人之、口大之尾翼鱸、佐和佐和邇、控依騰而、打竹之、登遠遠登遠遠邇献天之真魚咋也。
(『古事記』倉野憲司校注・岩波文庫による。ただし全て新漢字に直しました)

2019/05/19

即位礼・大嘗祭関連の祝詞の語句

 こんにちは。本日の北見市相内町、暑いです。きのうは最高気温28度にまでなり、今日も予報では26度。夏日になりそうです。ちらほらお見えの参拝者さんが皆、いつのまにか薄着になっているところにも、季節を感じることができます。

 参道上の木の梢ではアオサギの雛の鳴く声が、いちだんと高まっています。夜目のきく鳥ですので、夜も鳴いています。あまり夜間参拝する方はおられないと思いますが、びっくりされませんように。当神社の参道上で夜鳴いているのは、ほとんどがアオサギです。

【今日の記事、おおざっぱにいうと】
▼即位礼や大嘗祭に関わる祝詞を書くときに使用できる語句をご紹介。
▼昭和の即位礼・大嘗祭関連の祝詞から祭祀の目的、祈願を示す語句をあげる。
▼最後に、上の語句を用いた辞別祝詞の一例をあげた。

このところ祝詞のことばかり書いておりますが、興味の方向が祝詞に向かうのでしょうがありません。今日は即位礼や大嘗祭について祝詞で言及するときにどんな語句があるのかを、きのうの記事でご紹介しました昭和度の祝詞の中から、ご紹介します。

目的の語句

祭祀の目的を示す部分をまずあげます。文中の日付は、今次即位礼と大嘗祭の月日に改めてあります。また、【  】内は即位礼と大嘗祭のどちらに言及しているのか、またその一連の語句がいつ使用できるのかを示します。

 下記でいつでも使用可という言い方はしていますが即位礼、または大嘗祭当日は、今日の生日の足日に今日の生日の足日の朝日の豊栄昇になどが穏当ではないかと思います。各語句の( )内の数字は、この記事の末尾に示した祝詞につけた番号と一致しています。

【即位礼・大嘗祭、いつでも使用可】
今年の十月二十二日を良月の良日と撰び定めて、皇御孫命の天つ日嗣、高御座に即(つ)き給ふ大御典(おほみのり)を行ひ給ひ、十一月十四日を以ちて、大嘗祭を行ひ給ふによりて(①)

【大嘗祭、いつでも使用可】
天つ神の御子の随に高天原に事始めて、遠皇祖の御代・御代、天皇御子の生れ坐さむ弥継継に、天下知ろし食し来る次と、今年の十一月十四日を以ちて大嘗祭を行はせ給はむとす。かれ……(②)

【即位礼、いつでも使用可】
十月二十二日、神随も遠皇祖の御代・御代、弥継継に知ろし食し来る次第と、天つ日嗣、高御座に坐して、食国天の下知ろし食す大御典(おほみのり)を行ひ給ふがゆゑに(③)

【大嘗祭当日】
高天原に事始め給ひて、皇御孫命は豊葦原の瑞穂の国を安国と平けく知ろし食して、天つ御饌の長御饌の遠御饌と、万千秋の長五百秋に斎庭の瑞穂を聞し食せと事依さし奉り給ひし随に、食国天の下知ろし食す大御代の始の大御典(おほみのり)と、今日の生日の足日に天皇命の大嘗聞し食すに依りて(④)
※傍線部を今年十一月十四日などに換えれば、大嘗祭当日でなくても可能

【即位礼・大嘗祭とも日にちに言及、いつでも使用可】
天皇命は天つ神の御子随らも高天原に事始め給ひて、遠皇祖の御代・御代、天皇御子の生れ坐さむ弥継継に天の下知ろし食し来る次第と、十月二十二日の日に天つ日嗣、高御座に即(つ)かせ給ふ大御典(おほみのり)を行ひ給ひ、十一月十四日の日に大嘗祭を行ひ給へるに依りて(⑤)

【大嘗祭当日】
食国天の下知ろし食す大御代の始の大御典(おほみのり)と、今日の生日の足日に、天つ御饌の長御饌の遠御饌と、天皇命の大嘗聞し食すに依りて(⑥)
※傍線部を今年十一月十四日などに換えれば、大嘗祭当日でなくても可能

祈願の語句

つぎに、祈願の語句をあげてみます。【 】内は祈願の語句のおおまかな内容。この中から適宜、取捨選択して「~給ひ、~給ひ、~給へと恐み恐みも白す」とすれば、まず失敗することはありません。ただし取捨選択するとはいえ、【大御代の安寧や繁栄、皇位安泰】の中から必ずひとつ、語句を選ぶことになります。

【大御代の安寧や繁栄、皇位安泰】
・天皇の大御代を手長の御世の厳し御世に護り幸はへ給ひ(①)

・天皇の大御代を茂し御代の足らし御代に護り幸はへ給ひ(②)

・天地日月と共に遠く長く、万代に大坐し坐さしめ給ひ(③)

・天皇命の大御代を厳し御代の足らし御代に天地日月の共、無窮(とこしへ・とこしなへ)に立ち栄えしめ給ひ(④)

・皇大御神の見霽し坐す四方の国は、天の壁き立つ極み、国の退き立つ限り、青雲の靄(たなび)く極み、白雲の墜居(おりゐ)向伏す限り、青海原は舟の艫(へ)の至り留まる極み、陸路は馬の爪の至り留まる限り、狭き国は広く、峻しき国は平けく、遠き国は八十綱打ち懸けて引き寄することのごとく依さし奉り給ひ、幸はへ奉り給ひ(⑤)

・天皇命の大御代を手長の大御代と、ゆつ磐村のごとく立ち栄えしめ給ひ(⑤)

・天皇命の大御代を堅磐に常磐に斎ひ奉り、厳し御代に幸はへ奉り給ひ(⑥)

・豊明(とよのあかり)に明(あか)り坐さむ天皇命の大御代を、万千秋の長五百秋に聞し食さしめ給ひ(⑦)

【守護・神助・繁栄】
・親王等・諸王等を始めて、食国天の下の国民に至るまで、長く平けく護り恵み幸はへ給ひ(③)

・親王等・諸王等を始めて、天の下の国民に至るまで、撫で給ひ、恵み給ひ(⑥)

・天皇が大朝廷を始めて、天の下の国民に至るまで、弥高に弥広に五十橿八桑枝の如く立ち栄えしめ給ひ(⑦)

【奉仕】
・天皇が大朝廷に五十橿八桑枝のごとく立ち栄え、仕へ奉らしめ給ひ(③)

【四海の平穏】
・天の下、四方の国安く穏ひにあらしめ給ひ(①)

【各祭儀等の無事斎行】
・大御礼(おおみゐやわざ)障ることなく、漏るることなく、遂げ行はしめ給ひ(①)

定め坐しし日月に大御礼(おほみゐやわざ)を安く穏ひに遂げ行はしめ給ひ(②)
※即位礼や大嘗祭当日の場合、不可。当日ならば傍線部をとる。

辞別祝詞の例

いまご紹介した目的・祈願の語句から、一例として辞別祝詞をつくってみます。実作の際に調整、加除されることを踏まえ、ただつなげたものを示すだけにとどめます。

辞別きて白さく、【目的】今年の十月二十二日を良月の良日と撰び定めて、皇御孫命の天つ日嗣、高御座に即(つ)き給ふ大御典(おほみのり)を行ひ給ひ、十一月十四日を以ちて、大嘗祭を行ひ給ふによりて、【祈願】天皇の大御代を手長の御世の厳し御世に護り幸はへ給へと、恐み恐みも白す

辞別きて白さく、【目的】天皇命は天つ神の御子随らも高天原に事始め給ひて、遠皇祖の御代・御代、天皇御子の生れ坐さむ弥継継に天の下知ろし食し来る次第と、十月二十二日の日に天つ日嗣、高御座に即(つ)かせ給ふ大御典(おほみのり)を行ひ給ひ、十一月十四日の日に大嘗祭を行ひ給へるに依りて、【祈願1】天皇の大御代を茂し御代の足らし御代に護り幸はへ給ひ、【祈願2】天皇が大朝廷を始めて、天の下の国民に至るまで、弥高に弥広に五十橿八桑枝の如く立ち栄えしめ給へと、恐み恐みも白す

参考にした祝詞 ※リンク先は当ブログ内の記事です

大嘗祭期日決定につき皇大神宮・豊受大神宮大御饌供進祝詞
大嘗祭期日決定につき皇大神宮・豊受大神宮奉幣祝詞
即位礼当日皇大神宮・豊受大神宮祝詞
大嘗祭当日皇大神宮・豊受大神宮大御饌供進祝詞
神宮親謁の儀・皇大神宮大御饌供進祝詞
大嘗祭当日宮司祝詞
大嘗祭当日幣帛供進使祝詞

2019/05/18

昭和の即位礼・大嘗祭の際に行われたお祭りの祝詞

こんにちは。きょうも北見市相内町は晴れていますが風があります。気温があがり、夏日を記録しそうですが参道初め木蔭になっているところは涼しいです。
 画像、境内社の相馬神社あたりも同様なのですが、木蔭のために春は雪がなかなかとけず、夏・秋は雨も乾かずで残念なことに近年、ご社殿がかなり傷んできています。

【今日の記事・おおまかにいうと】
▲おもに昭和の即位礼・大嘗祭の際に行われたお祭りの祝詞をご紹介。
▲ネット上で閲覧できる過去の官報、書籍のリンクを紹介。 
▲当ブログには書き下し文があるので、そのリンクもついでに紹介。

 今年は全国各地と同様、当神社のある北海道神社庁網走支部でも、総代会にて新帝陛下御即位の奉祝祭を斎行いたします。その際に斎主をつとめられる方ときのう電話で祝詞について話したのですが、御代替わり時にさまざま行われるお祭りの祝詞は意外と少なく、ちょっと困る。そこで今日は、同じような事情で困っている方のために、ネットで閲覧できる祝詞をご紹介しようと考えたしだいであります。

官報などネット上で閲覧できる祝詞

国立国会図書館デジタルコレクションでは、戦後まもなくのころまでの官報を読むことができます。探しますと、昭和の即位礼・大嘗祭の際に伊勢の神宮初め、神社で奏上する祝詞が見つかります。以下ご紹介しますと、

昭和3年1月16日付官報(内務省令第1号) には、即位礼と大嘗祭の期日が決まったため伊勢の神宮にて奉幣の儀が行われたときの祝詞がのっています(リンク先の2コマ目。内宮と外宮あわせて2折)。

昭和3年10月27日付官報(内務省令第37号) には、即位礼と大嘗祭の当日、伊勢の神宮にて行われる祭祀の祝詞、そのあとの「神宮に親謁の儀」の際の祝詞がのっています(リンク先の2~3コマ目、計5折)。

同日付官報 には官国幣社以下、神社で行う祭祀の祝詞もあります。即位礼当日、大嘗祭当日、大嘗祭の幣帛供進使の祝詞の計3折です(同日付官報の方のリンク先の3コマ目)。

 官報以外だと『今上即位勅語及寿詞謹解』の56~57コマ目に官国幣社以下神社で奏上する祝詞(宣命書き)があります。同じく62~66コマ目に、伊勢の神宮で奏上される祝詞があります。同書は大正の即位礼、大嘗祭の際の祝詞で、ほぼ上記、官報にのった祝詞と同じ文面です。

 これらの10折ほどを読めば、どういう発想でつくればよいのか、どんな語彙をつかえばよいのかも、だいたい見えてくると思います。ただし、きのうの記事(祝詞文中の最高敬語)のように最高敬語を用いている祝詞も含まれていますので、ご注意、ご検討ください。

当ブログ内の祝詞

上記、国会図書館のリンク先の画像が見にくかったり、印刷して不鮮明であったりするなら、このブログ内にも書き下し文がありますので以下、ご参照ください。

 伊勢の神宮関連の祝詞は、まず即位礼・大嘗祭の期日が決まったときの祝詞として、大御饌供進祝詞 奉幣祝詞、即位礼当日祭の祝詞は 即位礼当日祭、大嘗祭当日の祝詞は大御饌供進祝詞 奉幣祝詞、親謁の儀の際の祝詞は 大御饌供進祝詞 奉幣祝詞

 官国幣社以下、神社の祝詞は 宮司祝詞(官国幣社)、社司(社掌)祝詞(他の神社)、幣帛供進使祝詞 の以上の各リンクに、祝詞の書き下し文があります。

 小説初め一般の文章だと90年前のものは、なかなか読みづらいですけれども、祝詞の場合は今と変わらず読めるのがいいところです。

2019/05/17

祝詞文中の最高敬語

 こんにちは。本日の北見市相内町は晴れ、でも風が強めで国旗がはためいています(小さいですが画像の中央)。国旗掲揚塔のすぐむこうは桜、右側の白樺の木は最近、ずいぶん葉が繁りだしてきました。
 昨日初めてエゾハルゼミの声を聞きました。このあたりではセミの声は夏ではなく、春にきくものなのです。ヒグラシのような鳴き方で、ヒグラシよりやや低い声で鳴きます。
 それでは今日の本題。

【この記事を、おおまかにいうと】
▲祝詞の中で最高敬語「~(さ)せ給ふ」「~しめ給ふ」を用いることの是非について。
▲神社本庁から今回送付されてきた例文では、天皇にご祭神より敬意を払うべき、ということになる。
▲小職は延喜式祝詞以前のように、最高敬語「~(さ)せ給ふ」「~しめ給ふ」を用いない方がよいと考える立場。
5/30 舌足らずなところを加筆修正しました

最高敬語とは


 先日このブログで指摘しましたように(御大礼にあたっての辞別祝詞)、神社本庁より今回送付されてきた祝詞の例文には、敬語のつかい方に疑問点がありました。いわゆる最高敬語「~せ給ふ」「~させ給ふ」を、天皇にのみ用いている点です(それが不徹底であるのは今回あえて目をつぶりますが、それにしても気にかかります)。

 最高敬語平安時代にうまれ、天皇および皇族を初め、特に尊ぶべき存在に対して用いていたものです。尊敬語をふたつ重ねてつくり(みっつと考えられるものもあります)、尊敬の助動詞「す」「さす」に「給ふ」をつけ「~せ給ふ」「~させ給ふ」のかたちをとるのが代表例です。

 今回の例文では他に「看行(みそな)はす」がでてきています。もともと「見す」に「行はす」がくっつき「見そこなはす」から「見そなはす」となりました。「見す」と「行はす」の「す」が尊敬の助動詞、かたちはかわっていても、もとはふたつつかっていた、というわけです。 

祝詞で最高敬語をつかうと


 最高敬語を祝詞の文中で用いるとき、天皇と、その祝詞を申し上げているご祭神とのあいだに、どうしても上下関係ができてしまいます。より正確には、祝詞の作成者(もしくは奏上者)が、天皇とご祭神と、どちらにより敬意を払うのか、その態度がはっきりしてしまいます。今回の神社本庁の祝詞でしたら、天皇の方がご祭神よりも上です。

 このことの是非はどうなのでしょうか。つぎの五パターンがあります。

①天皇にも、ご祭神にも最高敬語を用いる。
②天皇には最高敬語を用い、ご祭神には用いない。
③ご祭神には最高敬語を用い、天皇には用いない。
④天皇にも、ご祭神にも最高敬語を用いない。
⑤文脈しだいで用いたり、用いなかったりと区別しない。

 今回の例文は前述のように、おおむね②の立場。あるいは⑤かもしれません。

 祝詞の作成者の信じるところにしたがい、天皇がご祭神より上と信じるなら②、ご祭神が天皇より上と信じるなら③。上下関係がないとするなら①か④です。意識せずに⑤となっているなら論外ですが、じぶんの中で基準をきめて⑤の立場をとる、ということもありそうです。

 ただ、前述のように一か所だけ、ご祭神に「看行(みそな)はす」と申しており、ここで最高敬語をつかっています。多数決ではないですが、例文ではほかに最高敬語にしていないあたりが、どうしてもひっかかります。

最高敬語をつかう場合の問題点


 上記のようなこと考えた場合、非常に難しい問題が出てきます。

 明治天皇がご祭神の神社は、どう考えればよいのでしょう。明治天皇と今上陛下とのあいだに上下関係をつけることじたい、そもそも不敬な気がします。祭祀は高天原の始原のすがたを再現するものなのだから、そのときの天皇は皇孫、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の資格をお持ちだとする考え方もあります。ご祭神が天照大御神とすると、最高敬語のつかい方いかんによって、お孫さん(瓊瓊杵尊)の方が上のような書き方になってしまいます。これみな、上の②③⑤の立場をとると、当然出てくる悩みです。

 御代替わりの佳節だから、奉祝の意味で最高敬語を用いるという考え方もあるでしょう。しかし、今後ある時期からまた用いないようにするのもどうかと思いますし、これまでその祝詞の作者が用いていなかったとしたら、整合性がとれません。皇位の継承を尊んでのことだとしても、御代替わりの機会にだけ尊ぶようでスッキリしません。

小職の私見


 小職はおおむね④の立場です。天皇と神様が平等、と考えるからではありません。そのような判断をすることじたい不敬と考えます。

 おおむねというのは「看行はす」ならばよくつかっていますし、もっともひっかかるのが最高敬語「~(さ)せ給ふ」「~しめ給ふ」の取り扱いだからです。ですので、条件つき①ともいえます。

 これらの語形は最初に申し上げたように平安時代にあらわれたもので、延喜式に所載の祝詞の多くは、それ以前に成立しました。

 もっとも、延喜式祝詞を見ていると、こんにちのわれわれから見て当然、敬語をつかうべきところで、つかっていないことがままあります。そうした箇所に敬語を補いつつ参照して、できるだけ平安時代より前の語彙・文法を用いて祝詞を作成したい、というのが小職の立場です。

最高敬語のつかい方・テスト


 最後に、今回の「御大礼にあたっての辞別祝詞」につき、最高敬語「~(さ)せ給ふ」「~しめ給ふ」をつかえるだけつかった場合と、まったくつかわなかった場合とをあげてみます。「~(さ)せ」と「~しめ」は同時につかうことができず、同じ意味ですのでここは「~(さ)せ給ふ」の方でやってみます。

 誤用は修正済み、「稔り足らはしめ給ひ」「畢へしめ給へ」の「しめ(しむ)」は使役の意味ですので、助動詞「せ(す)」「させ(さす)」とはいっしょにつかえません。つまり、ここは最高敬語にできません。

〇つかえるだけつかった場合
辞別きて白さく、畏くも天皇には今年十月の吉日に即位礼執り行ひ、十一月の吉日に大嘗祭をも、厳しく 斎ひ行はせ給ふ事の由を仰せ出して、古の法の随に、神卜に卜はせ給ひし程に、この(都道府県)を悠紀(主基)の地方と勅定めさせ給へり。かれ、県内挙りて 厳の誉れと喜び祝き奉りて、仕へ奉る状を、愛ぐしと看行はし、大神たちの大御稜威以ちて、県内隈なく祓へ清めさせ給ひて、悠紀(主基)の の奥つ御年を初めて、県内より献らむ海川山野の種々の 物実をも、浄く清しく豊かに稔り足らはしめ給ひて、天皇の大御代に一度の御大礼を厳しく美はしく畢へしめ給へと、恐み恐みも白す

〇つかわない場合
辞別きて白さく、畏くも天皇には今年十月の吉日に即位礼執り行ひ、十一月の吉日に大嘗祭をも、厳しく 斎ひ行ひ給ふ事の由を仰せ出して、古の法の随に、神卜に卜へ給ひし程に、この(都道府県)を悠紀(主基)の地方と勅定め給へり。かれ、県内挙りて 厳の誉れと喜び祝き奉りて、仕へ奉る状を、愛ぐしと看行はし、大神たちの大御稜威以ちて、県内隈なく祓へ清め給ひて、悠紀(主基)の の奥つ御年を初めて、県内より献らむ海川山野の種々の 物実をも、浄く清しく豊かに稔り足らはしめ給ひて、天皇の大御代に一度の御大礼を厳しく美はしく畢へしめ給へと、恐み恐みも白す

2019/05/15

斎田点定の儀2

 本日の北見市相内町は雲量が多いのですが、おおむね晴れ、境内は小鳥のさえずりで賑やかです。きのうお伝えしたように、今日も神社裏のグランドではタンポポがいっせいに花開いています。くもりや雨の日は、逆にこれがいっせいにしぼみ、面白いです。


 では本題、斎田点定の儀についてのつづきです。寛延元年(1748)の史料をご紹介します。
 祭場に祭員一同が入って祭具等の準備が済んだら、まず中臣祓(ほぼ現行の大祓詞と同じ)を、つぎに祭文を奏上します(後述)。
 祭文奏上後は亀の甲羅、竹、木を手にして以下を唱えます。

現天神光一万一千五百二十神、鎮地神霊一万一千五百二十神、総じて日本国中、三千余座、この座に降臨す。全く我咎なし。神の教へのごとく、そのこと、善にも悪にも尊神の御計りたらむ。

「さまし竹」を手にとるときには、以下を唱えます。

上一寸(ひときだ)は太元不測神、中一寸、大小諸神、下一寸、一切霊神。

 甲羅を火にあぶり始めるときには、以下を唱えます。

すべて、それがしがなすわざにあらず、善悪神の御計りと申して、神の置く手に任せて申すと申すなり。

 甲羅をあぶっているあいだ、三種祓を唱えつづけますが、これはよく知られていますので略します。
 以上、ご紹介しました唱え詞は道教や陰陽道の影響を受けているようです。
 いまご紹介している寛延元年(1748)の唱え詞や下記の祭文は、明和元年(1764)8月24日、文政元年(1818)4月24日、嘉永元年(1848)4月24日において踏襲されました。なお、寛延度は桃園天皇、明和度は後桜町天皇、文政度は仁孝天皇、嘉永度は孝明天皇の大嘗祭のために、この儀が行われました。
 なおこの間、明和から文政の間には、安永度の後桃園天皇、天明度の光格天皇の大嘗祭がありましたが、この二度に関しては上のような次第であったかは不明です(小職が史料をもっていない、という意味)。
 かんじんの祭文は、以下のとおり。長いので送り仮名はつけませんでした。気になる語句がある方はご遠慮なくコメントいただけると、幸いです。
 下記は祭文の書き下し文ですが、あまり読み通す方はいないと思いますので先に申しますと、占いにつかう用具・祭具については古事記の天の岩屋戸の段(の占いの部分)そのままに、実際に香具山から用材をとっていた事情を踏まえています。
 また、この祭文は延喜式祝詞「遷却祟神」の前半部分と似ています。天孫降臨の伝承では失敗をくりかえし、ついに成功という話の流れになっていますが、それと同様にこの祭文でも、まず白真名鹿が失敗します。ただし「遷却祟神」とは違い、大詔戸命が「では、わたくしが」と進み出て申し上げた、その発言内容だけで終わっています。
 そのほか祭文を読んで感じるのは、神魯岐命と神魯岐命が直接、荒ぶる神を鎮めたり、皇孫への「事よさし」、つまりこの国を平安に治めなさいと委ねられたことが不鮮明な記述であったりすること。この祭文をつくった人は、延喜式祝詞にあるような語句を解釈する能力にとぼしかったのかもしれません。
 ただ上記のように、嘉永の大嘗祭に際してもこの祭文がつかわれたらしいことから、きのうご紹介した祝詞は、江戸時代中期までさかのぼれるものではないことがわかります。そこで、きのうの祝詞は恐らく明治の大嘗祭のために、つくられたものと仮定しておきます。
 なお、末尾におおまかな意味をつけましたが、上記のような誤認そのままには訳していません。祭文本文の逐語訳ではありませんので、ご了承ください。

高天原に神留り坐す皇親・神魯岐、神魯美命、荒ぶる神は掃ひ平けて、石・木・草・葉はその語を断ちて、群神に詔はく、わが皇御孫命は豊葦原の水穂の国を安く平けく知ろし食して、天降し寄さし奉りしとき、いづれの神を皇御孫尊の朝の御食・夕の御食、長の御食・遠の御食と聞し食すに、仕へ奉るべき神を問ひ賜ふときに、天の香具山に住む白真名鹿(しらまなか)、われ仕へ奉らむと、わが肩の骨を内抜きに抜きて、火なし出だして、卜以ちてこれを問ひ給ふときに、すでに火の偽りをいたす。大詔戸命、進みて啓さく、白真名鹿は上つ国の知れど、なんぞ下つ国のことを知らんや。われはよく上つ国・下つ国の天神・地祇を知る。いはんやまた人の憤りをや。わが八十骨を日に乾きさらし、斧を以ちて打ち、天のち別きにち別きて甲の上、甲の尻に真澄の鏡取り作れ、天の刀を以ちて町を掘り、刺し掃へ、天の香具山のふもり木を取りて、火燧りを造りて、天の香火を〓(木へんに造)り出で、天のははかの木を吹き着け、天の香具山の節なき竹を取りて、卜串を折り立て問へ。土を曳かば下つ国の八重までにまさに聞かむ。天を曳かば高天原の八重までにまさに聞かむ。神の方を通し灼かば、衆神の中、天神・地祇まさに聞かむ。まさに青山を枯山になし、枯山青になし、青河を白川になし、白川を青河になさむ。国は退き立つ限り、天雲は壁き立つ限り、青雲は棚曳く限り、白雲は向伏す限り、日は正に縦さまに、日は正に横さまに聞き通さむ。陸の道は馬の蹄の詣るところの限り、海の路は船の艫の泊まるところの限り、人の方を灼かば衆人の心の中の憤りのこと、聞かしてまさに知るべし。かれ、国の広く曳き立つ、高天のごとく隠れなからん。慎みてな怠りそ。

【大意】高天原に神々しく留りなさり、天皇陛下と近しくいらっしゃる男女二柱の御祖神が、荒ぶる神を退けておとなしくさせ、石や木や草葉もことばを発するのを止めさせたとき、諸神に「わが皇孫は下界の国を平安にお治めになるように」とおっしゃって、皇孫に神々をお伴させ、下界のことを委ねようと向かわせた。その際に、皇孫の朝夕、永遠に食べていくことのできるお食事につき、お仕え申すのはどの神がよいだろうと問われたところ、天の香具山に住む白真名鹿が「わたくしがお仕え申しましょう」と、じぶんの肩の骨を内抜きに抜いて、火を起こしてあぶり、占いでその是非をお問いなさろうとしたが、どうしても占うのによい火が起きなかった。そこで大詔戸命が進み出て申し上げるには「白真名鹿は高天原のことは知っているが、下界のことは知らない。わたくしは高天原の天つ神、下界の国つ神をよく知っている。人の気持ちなどもちろんのことだ。わたくしの骨を高天原でするように天日で乾かし、斧で打って分け、甲羅の上下を澄みきった鏡のようにせよ、神聖な刀でマチを掘って刺し掃い、天の香具山でふもり木を取って火を切る用具をつくり、清らかな火を起こし、ははかの木をたきつけにし、節のない竹を折りとって卜串を立てて神意を占いなさい。もし下界のことを占うとても、下界のさらに奥底までこの由聞こえ、天について占うとても、高天原の上の極みにまで、この由聞こえるだろう。神について占うなら、天つ神も国つ神もすべてが聞くだろう。青々とした山を枯れた山にし、枯れた山は青々とした山にし、青々とした川は白々と、白々とした川は青々とした川にするだろう。陸地の続くかぎり、雲が立ち上るかぎり、棚引くかぎり、雲が陸地に覆いかぶさるかぎりの場所までも、縦横に聞くだろう。陸地の道は馬がゆける限りまで、海路は船のへさきがゆけるところまで。人について占うなら、どの人間の心中、どの感情についてもお聞きになり、知らせるだろう。だからこそ下界のことがはっきり占いに示されるのは、高天原でのことのように隠れなきものに相違ない。身をつつしみ、怠慢なことがあってはいけない」と。

2019/05/14

斎田点定の儀

 本日の北見市相内町は快晴、神社裏のグランドでは野球をしている人がいました。タンポポがいっせいに花開いていて、北海道の春らしい風景になりました。画像は社務所裏からで、この桜が例年いちばん咲くのが遅く、最後まで咲いています。
 
 さて、きのう午前「斎田点定の儀」が皇居内の神殿の前庭にて行われました。神殿は宮中三殿のひとつで、八百万の神をお祀りしています。南側から拝すると、中央が賢所、向かって左が皇霊殿、神殿は向かって右になります。この斎田点定の儀では、亀卜をもって「悠紀国」と「主基国」を決定します。おおむね東日本から悠紀国、西日本から主基国を選び、この両国でとれた米などを、今秋の大嘗祭で供します。
 亀卜は亀の甲羅を伸ばしたものをあぶり、その亀裂のぐあいで占うというもの。今回は、昨年秋、東京都小笠原村をつうじてアオウミガメの甲を確保し、都内のべっこう職人に依頼して加工したそうです。縦24センチ、横15センチ、厚さ1.5ミリで、将棋の駒のような形状にしたとのこと。厚さ1.5ミリって、すごいですよね(この亀情報は、以下のサイトを参考にしました FNN PRIME)。
 
 画像はわが家の亀です。これはクサガメ(ゼニガメとも)で、今年満17歳。けっこう成長しましたが、残念ながら亀卜には適さないようです。
 さて、このサイトではテレビで報道された内容そのままに「こんな亀裂がでたから、どこそこの国」と、その判断する方法は非公開だ、といっています。「でも恐らくこうではないか」と専門家の方が仰っている内容も説得力がありました。
 このように占い中心の儀式ですから占いじたいが注目されましたけれど、宮中三殿の神殿前で行われていますし、これも神事であることは、疑いようがありません。実は、宮内庁が隠したいのは神事の次第の方じゃないかと勘繰るのですが、これも非公表でしょう。
 ただ、上記の亀卜のように古い資料がありますから、そこから「現在もほぼこうではないか」と推測することができます。そして小職はその古い資料をなぜか、たまたま持っておりまして、ちょっとだけ公開しようと考えた次第であります。
 明治4年の記録では、ご祭神は太祝詞命と久慈真智命(くしまちのみこと)で、神籬に両神をお招きします。実際に亀の甲羅を火にあぶる前後の次第しかこの記録にはないのですが、卜部が祝詞を奏上。祝詞の内容から、お供えもします。亀の甲羅をとりだしたあとには、身曽貴祓詞を奏上します。「正笏して祓詞(身曽貴祓詞)を読む」とありますので、奉書紙に書かれたものを読んだのではなく、暗誦していたんでしょう。
 このとき卜部が読んだ祝詞を、書き下し文にしてみます。文中「太祝詞命」が「大祝詞命」になっているのは、本文そのままです。

掛け巻くも恐き大祝詞命・久茲真知命の大前に、卜部朝臣良義恐み恐みも白さく、掛け巻くも畏き天皇の御代の始めの大嘗(おおにえ)聞し食さむとして、皇神の大前にして、悠紀・主基の国郡を卜へしめ給ふ。かれ、御酒は甕の上高知り、甕の腹満て並べて、青海原の物は鰭の広物・鰭の狭物、奥つ藻菜・辺つ藻菜、甘菜・辛菜、菓どもを奉り置きて、斎き奉り卜へ仕へ奉らむことを見行はし聞し食して、皇神の大御心に御饌・御酒奉らむ、悠紀・主基の国郡を撰み定め給ひて、この卜事に出で示し給へと白すことの由を、高々に聞し食せと、恐み恐みも白す

【大意】心に思い掛けるのも恐れ多い、太祝詞命、久茲真知命のご神前にて、卜部朝臣良義が恐れながら申し上げますことは、こちらも心に思い掛けることすら恐れ多いのですが、天皇陛下が御代の初めに大嘗を召し上がりますとて、こうして尊い神様のご神前にて、悠紀・主基の国郡を占わせなさることとなりました。そこで、御酒は酒器をいっぱいに満たせて並べ、海の物は鰭の広いものと、狭いもの、沖合でとれる海藻、浜辺でとれる海藻。また甘い野菜、辛い野菜や果物をたてまつりましてお祭り申し上げ、占い申し上げることを、どうか神様たちにはご覧になり、お聞き届けくださいまして、天皇陛下に御饌・御酒を奉るであろう悠紀・主基の国郡を選び定めなさって、こたびの占いに神様たちのお心をお示しくださいませと、このように申し上げますことを、どうかお聞き届けくださいますようにと、恐れながら申し上げます。

 原文では「天皇」「皇神」の前を一字分空ける「闕字」にしています。これは尊崇するものを示す語の上に、他の語を置かないように表記することで敬意を払うという、古式ゆかしい書式。
 本職としてこの祝詞を読んでどう感じるかというと、まず現在の祝詞とそう変わらないこと、つぎに、簡潔ながら要点を押さえた祝詞だなあということです。
 ただ、終わり方がちょっとくどいかなという気はします。「この卜事に出で示し給へと白すことの由を、高々に聞し食せと、恐み恐みも白す」は「この卜事に出で示し給へと、恐み恐みも白す」でよいのではないかと。お願いごとをしている語句ですから、こう遠まわしに申し上げるべきだ、という考え方なのかもしれません。逆に、現代のわれわれ神職は、昔の人から見るとズケズケと遠慮なく、神様にお願いしているのかもしれません。
「聞し食す」を「聞し食して」「聞し食せと」と、二度つかっていること、「掛け巻くも畏き」を二度用いているのは、修辞上の反復法ではありません。これらは単に不用意につかったものではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
 この祝詞がいつ制作されたのかはわかりません。このとき初めてつくられたかもしれませんし、以前つくられた祝詞の、奏上者の部分だけ変えて(書き下し文の「卜部朝臣良義」の部分)読んだものかもしれません。ただ、現代の祝詞とそう変わらないわけですから、おおざっぱながら少なくとも江戸時代中期以降、と見てまちがいありません。というのも、寛延元年(1748)の史料では、また別の祝詞(史料内では「祭文」)が記録されているからです。
 ちょっとこの話題、ひとつの記事として長くなりすぎました。日を改めてご紹介します。

2019/05/12

御大礼の年にあたっての辞別祝詞

 今日の北見市相内町も寒く、参拝者の方もあまりお見えになりませんでした。画像、ちょっと小さいですがゴジュウカラが参拝していたくらいです。そこでまた祝詞の話題を。
 昨日の祝詞とは別に、今秋の御大礼に関して、神社の恒例祭のときにこんな内容の旨、祝詞につけくわえてください(「辞別=ことわきて」として)という例文がきていました。

 天皇陛下はあす悠紀・主基の国(都道府県)をお決めになります。大嘗祭や大饗の儀のために、この悠紀・主基の国(都道府県)から斎米や穀物が献納され、その他の都道府県からも産物が献納されます(庭積机代物)。そのような農作物が豊かに稔りますように、御祭儀などつつがなく行うことができますように、お願いしてください、ということです。二種類あり、ひとつはじぶんの住む都道府県が悠紀・主基の国と決まった場合(A)、もうひとつは洩れた場合(B)となっています。

 Aの文面は内容上、Bに悠紀・主基の国と決まった旨がつけくわわったものですので、Aの方を見てみましょう。書き下し文をつくって送り仮名をつけたのですが、あまり多くなりすぎたので末尾に掲げることにしました。

辞別きて白さく、(1)畏くも天皇には今年十月の吉日に即位礼執り行ひ、十一月の吉日に大嘗祭をも、厳しく  (2)斎ひ行はせ給ふ事の由を、(3)仰せ出させ給ひて、古の法の随に、神卜に卜へ給ひし程に、この(都道府県)を悠紀(主基)の地方と  (4)勅定めさせ給へり。かれ、県内挙りて (5)厳の誉れと喜び祝き奉りて、仕へ奉る状を、愛ぐしと看行はし、大神たちの大御稜威以ちて、県内隈なく祓へ清め給ひて、悠紀(主基)の (6)の奥つ御年を初めて、県内より献らむ海川山野の種々の (7)物実をも、浄く清しく豊かに稔り足らはしめ給ひて、天皇の大御代に一度の御大礼を厳しく美はしく畢へさせしめ給へと、恐み恐みも白す

(1)「畏くも天皇陛下におかせられましては」などの古語への直訳でしょう。延喜式祝詞(春日祭)のように「畏くも」は「畏き」とするか、「掛けまくも畏き」「掛けて白さくも畏き」などとする方がよかったのではないでしょうか。これら一連の語句は「辞別」として祝詞の最後につけくわえるのであって、すでに祝詞の冒頭で「掛けまくも」を使うことが多いから、という理由から単に「畏くも」としたものかもしれません。

(2)「斎行する」の古語への直訳でしょう。(1)同様、もっとよい言い方があるはず。

(3)「仰せ出す」は尊敬語ですので、「給ふ」をつけて「仰せ出させ給ふ」とするのは過剰敬語です。

(4)「勅定め」でサダメと読むようになっています。これも「勅定」の直訳なんでしょう。

(5)「この上なき誉れ」くらいに考えてこうしたのでしょうが、このような「厳の」の用法は聞いたことがありません。念のため辞書を引いてみると「いつ」の意味は、原義として「自然・神・天皇が本来持つ、盛んで激しく恐ろしい威力。激しい雷光のような威力」があり、①神霊の威光・威力、②強く激しい威力のあること、③自然の勢威の盛んなこと。植物などが激しく生長すること、④神聖であること、とあります。かろうじて④にあてはまりそうですが、④の意味ではうしろに「の」をとらず、「いつ幣」のように直接次の語につきます。

(6)訓はミタですから「御田」でいいんじゃないかと思います。その方が読み違える可能性も低くなります。

(7)「物実」は「種子などの生成のもとになるもの」ですから、ちょっと内容にそぐわないのではないでしょうか。神饌を指す表現として「海川山野の種々の物」をよく使いますから、神饌そのものではないからと区別したかったのかもしれませんが、それにしても「物実」には違和感があります。

全体にわたって気になった点は、以下のふたつ。

①「大嘗祭」をオホニエノミマツリと読むのは、神職ならばだれでも勉強していますからともかくとして、「即位礼」をアマツヒツギシロシメスイヤワザ、「御大礼」をオオミイヤワザと読むのはなかなか大変ではないでしょうか。こうした熟字訓的な読み方が好きなのは、神社本庁の例文の特徴ではありますが、実務上は「天つ日嗣知ろしめす礼業」「大御礼業」と書いた方が読み間違う可能性を防げます。

②敬語の問題。この祝詞では天皇に対し、最高敬語をほぼすべてで用い、ご祭神に対しては普通の敬語にしています。これは信仰の問題にもかかわりますので、各人の考え方によるとして、天皇に対して敬語を用いている部分は以下の四つ。この中に仲間外れがありますが、皆さん、わかりますか?

斎ひ行はせ給ふ
仰せ出させ給ひ
勅定(さだ)めさせ給へり
卜(うら)へ給ひし

 正解は最後の「卜へ給ひし」で、これだけ最高敬語ではありません。みな最高敬語で統一するとして「卜へさせ給ひし」とした方がよかったのではないでしょうか。「仰せ出させ給ひ」が過剰敬語だとはさっき申しました。「これだけ過剰敬語だから仲間外れ」と考えた方も正解です。
 祝詞文中の敬語に関しては、むずかしい問題をはらんでいますので、稿をあらためていずれお話ししましょう。もっと問題なのは、以下の語句。

畢(お)へさせしめ給へ

 助動詞「す」「さす」「しむ」には使役と尊敬の意味がありまして、これらを同時に使うことはできないのです。ここでは「させ」「しめ」となっている部分がどちらかが不要で、つまりは文法上の間違いです。まさかここも最高敬語にしたかったわけでは、ありますまい。
 ちなみに、ここはご祭神への敬意を示す部分です。

 以上、重箱の隅をつついて参りました。初めにつくる人の方が大変で、こうして「ああでもない、こうでもない」という方は楽かもしれません。この例文をくんで皆さん作文されることと思いますが、その際のご参考まで問題点を指摘しました。

送り仮名(カッコ内は現代仮名遣い)
辞別(ことわ)きて白さく、畏くも天皇(すめらみこと)には今年十月(かんなづき)の吉日(よきひ)に即位礼(あまつひつぎしろしめすいやわざ)執り行ひ、十一月の吉日に大嘗祭(おおにえのみまつり)をも、厳しく斎(いわ)ひ行はせ給ふ事の由を、仰せ出(いだ)させ給ひて、古(いにしえ)の法(のり)の随(まにま)に、神卜(かんうら)に卜(うら)へ給ひし程に、この(都道府県)を悠紀(ゆき)(主基(すき))の地方(くに)と勅定(さだ)めさせ給へり。かれ、県内(あがたぬち)挙(こぞ)りて厳(いつ)の誉れと喜び祝(ほ)き奉りて、仕へ奉る状(さま)を、愛(め)ぐしと看行(みそな)はし、大神たちの大御稜威以ちて、県内(あがたのうち)隈なく祓へ清め給ひて、悠紀(主基)の田(みた)の奥つ御年を初めて、県内(あがたのうち)より献らむ海川山野の種々の物実をも、浄く清(すが)しく豊かに稔り足らはしめ給ひて、天皇の大御代に一度(ひとたび)の御大礼(おおみいやわざ)を厳しく美(うる)はしく畢(お)へさせしめ給へと、恐み恐みも白す

2019/05/11

践祚改元奉告祭祝詞

 今日は真夏日になったところもあるそうですが、北見市相内町は最高気温10度に満たず、曇り空。こんな日はあまり参拝客もお見えになりませんので、おかための(専門的な)記事を少々。

 昨日「践祚改元奉告祭祝詞」の例文が届きました。天皇陛下が践祚(せんそ)され、改元(かいげん)された。その旨をじぶんの神社で神様にお伝え申し上げるお祭りを行う、その際の祝詞はこんなふうにしましょう、ということです。例文として示されているわけですから、これをそのまま大奉書紙に浄書して、お祭りの際に奏上するのはダメではありませんが、そういう神職はあまりいないのではないかと思います。これを参考に各自、じぶんの神社の実情も踏まえ、祝詞をつくって奏上しましょうということですので。なお、当神社では5月1日、すでに践祚改元奉告祭を執り行いました。

 神社本庁の祝詞例文は、だいたい戦前の官製の祝詞を踏まえており、簡潔でへんな装飾もなく私は好きなのですが、悪くいえば味もそっけもないというのか、最大公約数的とでもいうのか、あっさりしています。あくまで例文ですから、それでよいのかもしれません。逆に、作者の個性が出すぎている祝詞を送付されて「これをそのまま奏上しろ」といわれると、それもちょっとどうかなと思います。

 さて、今回の例文を見ますと、いくつか問題点があります。以下、私見を述べてみましょう。まずは書き下し文を掲げます。原文は宣命書、つまり漢字だらけで一般の方にはツライと思われますので。カッコ内の読み仮名は、現代仮名遣いにしました。地の文は歴史的仮名遣いです。

掛けまくも畏き某神社の大前に恐み恐みも白さく、明御神(あきつみかみ)と大八洲国(おおやしまぐに)知ろしめす (1)天皇(すめらみこと)い、(2)皇室(すめらおおみかど)の大典範(おおみのり)の随(まにま)に今回(こたび)、上皇(さきのすめらみこと)の天つ日嗣(ひつぎ)の大御蹟(おおみあと)を(3)承け継き給ふによりて、(4)知ろしめす大御代(おおみよ)の名(みな)も令和と定まりぬ。かれ、この事の由を告げ奉らくと、御祭仕へ奉る状(さま)を平けく安けく聞し食して、天皇の大御代(おおみよ)を茂(いか)し御代の足(たらし)御代と堅磐(かきわ)に常磐(ときわ)に斎(いわ)ひ奉り、幸はへ奉り給へと、恐み恐みも白す

(1)「天皇い」の「い」は前にくる語を強調する、上代によくつかわれた助詞。ただ、「天皇」のあとにくる用例を、私は見たことがありません。念のため、延喜式祝詞、戦前の官報所載の祝詞(ネットでも閲覧できます)、『神社本庁例文 祝詞例文集 上巻』をぜんぶ見てみましたが、やはりそのような用例はありませんでした。つまり、これは新たな例である可能性が高い。御代替わりで、憲政史上初となる事例が多いから、その空気が反映されたのでしょうか。私は、穏当に前例を踏まえた方がよかったのではないかと思います。

(2)一般に使われることばに置き換えるなら「皇室典範」のままに、ということでしょうか。古語への直訳のような表現で、違和感を覚えます。私には、法の定めがあるから御代替わりとなった、ととられる恐れがあると感じられます。神道人にとって、皇位はそのようなものではないですし(記紀に起源をもとめるのが神道人にとって、ふつうの感覚でしょう)、この語句が皇室典範を指していないとしたら、「大典範」という用字にすべきではないでしょう。

(3)「承け継き」の「き」は「ぎ」でしょう。単なる誤記かもしれませんし、こうした例文における表記上の約束かもしれません。原文では「承継〈伎〉」(「承継」は大きく、〈 〉内は小さく書かれている)で、神社本庁推奨の用字は「ぎ」ならば「疑」です(『神社本庁例文 祝詞例文集 上巻』による)。これが濁点を省いたものだとするなら、フリガナも清音で統一すべきでしょう(例文のほぼすべてにフリガナが付されています)。

(4)「名」と書いて「みな」と読ませるのはどうでしょうか。「御名」と表記する方がよかったのでは。それよりも私には「令和と……定まりぬ」としてしまったことが気にかかります。ここだけ取りあげるならばよいのですが、前の語句をも踏まえると「上皇陛下の大いなる御代の御事蹟を受け継がれたことで、お治めになる御代のお名前も令和と定まった」ということですから、「皇位を継承されたら、しぜんに令和となった」と解釈できます。「定まり(定まる)」は自動詞ですので、他動詞「定む」を用いて「定め給ひぬ」「定め坐しぬ」などとするのが穏当だったのではないでしょうか。

 以上、私の感じた問題点をいくつかあげてみました。最後に、できのよしあしは別にして、私が5月1日当日奏上した祝詞を以下にご参考まで、あげてみます。

掛けまくも畏き相内神社のうづの大前に宮司氏名い恐み恐みも白さく、高天原に神留り坐す皇睦・神漏岐命・神漏弥命以ちて、天つ日嗣を弥継継に相継がひ、相伝へ給ふ中に、今日の生日の足日の朝日の豊栄登に、皇御孫命の大御位に登り給ひ、知ろしめす大御代の御名をば令和と定め給ふによりて、大前に事の由告げ奉りて献奉る幣帛は、御食・御酒に言祝(ことほぎ)の御餅と紅白に供へ分け、甘菜・辛菜に時の菓子をも献奉り、鹿じもの膝折り伏せて拝み奉る状を、うまらに安らに聞し食して、皇御孫命の大御代を足らし御代の厳し御代と、堅磐に常磐に斎ひ奉り、幸はへ奉り給ひ、上皇の大御上を初めて、皇大朝廷を平けく坐し栄えしめ給へと恐み恐みも白す

2017/08/09

祝詞語彙31

万葉集巻第一より

【三十三番歌】

楽浪(ささなみ)の 国つ御神(みかみ)の うらさびて 荒れたる都 見れば悲しも

〇国つ御神の うらさびて……この地の神の威勢が衰えて。衰えたことで都が荒れた。古代人の神観念がうかがえる。

2017/08/08

祝詞語彙30

万葉集巻第一より

【三十二番歌】

古(いにしへ)の 人に我あれや 楽浪(ささなみ)の 古き京(みやこ)を 見れば悲しき

〇古の人に我あれや……「や」は反語。私は昔の人間だろうか、いや、そうではない。昔の人間であれば、そもそも都を古いとも感じないし、悲しくもならない。

2017/08/07

祝詞語彙29

万葉集巻第一より

【三十一番歌】

楽浪(ささなみ)の 志賀の大わだ 淀むとも 昔の人に またも逢はめやも

〇大わだ……入江。

〇またも逢はめやも……「やも」は反語。また逢えるだろうか、いや逢えない。

2017/08/04

祝詞語彙28

万葉集巻第一より

【三十番歌】

楽浪(ささなみ)の 志賀の辛崎(からさき) 幸(さき)くあれど 大宮人の 船待ちかねつ

【研究】

 第三句「幸くあれど」の岩波文庫版の訳は「今も無事で変わらなぬが」。伊藤博釈注、集英社文庫版では「志賀の辛崎」を擬人化して「お前は昔のままにたゆとうているが」。
 祝詞の祈願句の中で「幸く真幸く」などと申すと、幸せでありますよう、幸せになりますようお願い申し上げる、という意味にとらえがちです。
 しかし古代人の感覚では、神様のおかげをこうむって今こうして無事な状態にあることが、「幸くあり」なのでしょう。

2017/08/03

祝詞語彙27

万葉集巻第一より

【二十九番歌】

玉だすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ 生(あ)れましし 神のことごと つがの木の いやつぎつぎに 天の下 知らしめししを 天(そら)にみつ 大和を置きて あをによし 奈良山を越え いかさまに 思ほしめせか あまざかる 鄙(ひな)にはあれど いはばしる 近江の国の 楽浪(ささなみ)の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の命の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども 春草の 繁く生ひたる 霞立ち 春日(はるひ)の霧(き)れる ももしきの 大宮所 見れば悲しも

〇いかさまに 思ほしめせか……どのようにお思いになったのか。

〇霧れる……霧がかかっている。「霧(き)る」で霧がかかるという意味。

【研究】

 初句より「知らしめししを」まで、例えば紀元祭祝詞などの、祝詞の一節として引用できそうです。岩波文庫版に沿って現代語訳を掲げると、
(玉だすき)畝傍の山の、橿原の聖なる神武天皇の御代から、お生まれになった歴代の天皇が、(つがの木の)次々に続いて、天下を治められたのに
「橿原のひじりの御代」また「つがの木のいやつぎつぎに」という表現が参考になります。

2017/08/02

祝詞語彙26

万葉集巻第一より

【二十八番歌】

春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天の香具山

〇らし……推定の助動詞。

【補足】

「らし」は確かな理由や知識をもとにして、未知のことを推定する助動詞。
 本歌では「白たへの衣干したり」が理由にあたる。香具山に白い衣を干すようになるのは夏になってから、つまり春のうちは干さないということになる。
 現代の感覚からすると、春のうちでも衣を干せるのではないかと思ってしまうが、一説にこの衣は、香具山で行われた春の祭に奉仕した巫女のものだという。春の祭が終わるとすぐに夏が到来するのだと、古代の大和盆地の人は感じていたわけである。

2017/08/01

祝詞語彙25

万葉集巻第一より

【二十五番歌】

み吉野の 耳我(みみが)の嶺に 時なくそ 雪は降りける 間なくそ 雨は降りける その雪の 時なきがごと その雨の 間なきがごとく 隈もおちず 思ひつつぞ来し その山道を

【研究】

 この長歌全体を祝詞の一部分として使うことができそうです。まず、岩波文庫版にそって現代語訳を掲げますと、「み吉野の耳我の嶺に、絶え間なく雪は降っていたなあ。間断なく雨は降っていたなあ。その雪の絶え間がないように、その雨の間断がないように、山道の曲がり角ごとに物思いをしながら来たのだ、あの山道を」。

 例えば神幸祭において、雪が降ろうが雨が降ろうが、おみこしの渡御にお仕え申し上げますという内容で、

よしや時なくそ雪は降るとも、間なくそ雨は降るとも、その雪の時なきがごと、その雨の間なきがごとく、近う侍りて仕へ奉り……

 慰霊祭で招魂をともなう祭祀においても、使えるかもしれません。

 いらっしゃる道中、ずっと雪が降っていませんでしたか、雨が降っていませんでしたかと恐れはばかり、雪や雨が止まなかったようにいつもお慕い申す者(親族など参列者)が、お祭りいたしますとお招き、お据え申して……という感じで、つくってみます。

汝命等の来坐さむ道の長手はや、時なくそ雪や降るらむ、間なくそ雨や降るらむと畏み恐るれど、その雪の時なきがごと、その雨の間なきがごとく、常にも慕ひ奉り、仰ぎ奉るまにまに、心づくしの御祭仕へ奉らむと招き奉り、坐せ奉りて……

 ふたつあげた例のいずれも、もっと文章を練る必要がありますけれども、この歌中にある「雨」と「雪」の対句は祝詞作文に有用でしょう。当然ながら、「雨」「雪」を別な語句に変えて、その祭祀が行われる季節についての表現にも転用できそうです。

※二十六番歌、二十七番歌は省略します。

2017/07/31

祝詞語彙24

万葉集巻第一より

【二十四番歌】
うつせみの 命を惜しみ 波に濡れ 伊良虞の島の 玉藻刈り食(は)む

〇命を惜しみ……命が惜しいので。

【研究】
「刈り食む」の意味は「刈って食べる」。この訳のように、こんにちでは例えば「行って来る」「見ている」「書いておく」など、動詞ふたつを「て」で結ぶことが多く、一語と見なしてよいものもあります。
 逆に古語にするには、この「て」を取ればよいわけです。「行って来る」は「行き来(く)」、「見ている」は「見いる」(ただしこの場合の「いる」は「居る」)、「書いておく」は「書きおく」など。

2017/07/28

祝詞語彙23

万葉集巻第一より

【二十三番歌】
打麻(うちそ)を 麻続王(をみのおほきみ) 海人なれ 伊良虞の島の 玉藻刈ります

〇海人なれや……「や」は反語。海人なのか、いやそうではないだろう。

〇玉藻刈ります……「ます」は丁寧語ではなく、尊敬の補助動詞。

【研究】
「や」に注目したいと思います。
 ここでは終助詞で、反語の意味をもっています。疑問の意味の場合もあり、上にどんな活用をする語がくるのかで、変わってきます。上が已然形ならば反語、終止形ならば疑問です。
 本歌の「海人なれや」の「なれ」は已然形ですので、反語だと考えられます。疑問の意味なら「海人なりや」とあるところ。
「や」には係助詞の使い方もあります。例えば祝詞の慣用表現のひとつ、「いかなる禍神の仕業にやありけむ」では「や……けむ」で係り結び、「や」は疑問の係助詞、「けむ」は過去推量の助動詞なので、この表現の後半部は「仕業であっただろうか」という意味になります。
 他に間投助詞の用法もありますが、ここでは省略します。
「や」に似た語として「か」があります。同じように終助詞のこともあれば係助詞のこともあり、疑問・反語の意味もあります。では「や」と「か」がどう違うのかというと、「や」は「や」を使った人には答えがある程度、予想できるのに対し、「か」はさっぱり分かっていないときに使うのです。
 ですから、「海人なれや」ならば、海人でないことは内心、分かっています。本歌では麻続王という身分の高い人について、海人なのかといっていますけれども、麻続王は明らかに海人とは感じられない風貌、格好をしていたことが予想できます。玉藻を刈るといっても、いかにも不慣れな様子だったのかもしれません。

2017/07/27

祝詞語彙22

万葉集巻第一より

【二十二番歌】

河上(かはのへ)の ゆつ岩群に 草生(む)さず 常にもがもな 常娘子(とこをとめ)にて

〇ゆつ……すでにこの頃、一語と見なされているが、もともと「つ」は助詞で「……の」という意味。「ゆ」は「神聖な」。社会的に触れることが禁じられているもの。また、禁足地をも示す。

〇常にもがもな……「もがも」は「……であってほしい」。常であってほしいなあ、つまり、変わらないでいてほしいなあ。

2017/07/26

祝詞語彙21

万葉集巻第一より

【二十一番歌】
紫草(むらさき)の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも

〇恋ひめやも……反語。恋しく思うだろうか、いや思わないだろう。

【補足】
 本歌の大意は「妹」がもし疎ましいのなら、人妻だからといって、恋しく思わないだろう、つまりは「妹」は決して疎ましくないのだ、ということ。
「恋ひめやも」の「恋ひめ」は上二段活用の動詞「恋ふ」に推量の助動詞「む」がついたもの。「や」と「も」はそれぞれ終助詞で、奈良時代には連語として使われることが多かった(平安以降「やは」が取って代わる)。活用する語の已然形につき、本歌のように反語の意味をもつ。