百物語 第二十九夜
入院中に
※怪談です。苦手な方はご注意ください。
たいした話じゃないんですけどね。中学一年生のとき、一か月ほど入院していたことがあるんです。そのときの話をいくつかしましょう。
数十年前のことですから、その病院も建て替わっています。別に誰かに迷惑がかかることもないでしょう。
私は市立病院の小児科に、入院しておりました。
小児科を出て、すぐ右手にある風呂場。入院患者用なんですけれども、ここにはお婆さんが出ました。
紫色の着物姿だそうで、目撃者は多数……しかし私は、ついぞお目にかかることはできなかった。
私が入院する前に亡くなった子がおりましてね、何で亡くなったかは聞いてませんが、子供でも死ぬという事実だけでも、当時の私には恐怖でしたよ。実は私の病気も、原因がはっきりしてはいませんでしたから。
この子が、死後もときどきトイレに現われるっていうんですよ。病院ですからね、毎度検査のために尿をとらなきゃならない子もいます。小便器に向かいあって尿を集めておく棚がありましてね、死んだ子はその前に立っている。
亡くなる間際まで、きちんと尿を採っておくような子だったと聞いています。ただね、最期の方はトイレにむかうのも辛い状態だったそうで……今から思い起こしても、かわいそうでね。生きていれば、もう五十近いんですが。
当時の第一外科の病棟には「死人部屋」があるって、もっぱらの噂でした。
これは、重篤な患者を入れる部屋だから、亡くなることが多いというだけの話なんです。危急の事態に備えるため、ナースステーションのすぐ前の部屋でした。ですから勝手にそう呼んでいただけでして。だいいち、患者にしてみたらたまったもんじゃないですよね。
あるとき、この部屋にいた人が、ぶつぶつ何かいっていた。
検温に来た看護士が、あら、ひとりごとなんて言って……どうしたんですか? って聞くと、その人は怪訝な表情になった。
「ひとりごとじゃないよ。今、○○さんと話してたんだよ!」
○○さんは、その人が入院する前に、同じベッドで亡くなっていたそうです。
私もこの部屋をのぞいたことがありましたが、ドアが閉まっていまして「面会謝絶」の札がかかっていました。
そもそもこんな話、同室の水野君からよく聞いたんですよね。
話の後で、じゃあ確かめてみよう……となるわけです。消灯時間が過ぎても病室を抜け出して遊びまわる。まあ年端もいかないガキのやることです。
呼吸器科でしたかね、診療室の入口付近に男の顔が大きく浮かび上がると水野君から聞いて、さっそく二人で行ってみたことがあります。
長椅子にふたり腰かけて、しばらく天井付近を眺めていたところ……。
ううぁぁーーあああっ……と、声がした。
二人、顔を見合わせました。すると、
うわぁああーああっ……と、今度ははっきり聞こえました。
さすがにシャレにならないんで、すぐに走って逃げ出しました。
階段の踊り場まできて、そこで息を整えたんですが、なぜか笑いがこみあげてきましてね。お互いに何がおもしろいのか、ずいぶん長いこと笑いあっていました。夜だし、見つかっちゃいけないんで、息を殺してね。
他愛もない話です。
その後まもなくして、私の退院が決まりました。
「おまえはいいよな……。おれは、ずっといなきゃならんから……」
水野君がそういいました。
私は子供だったんですね。そのとき初めて、水野君の長い入院生活を思ったわけなんです。
それはそれで、恐怖であるかもしれない。
水野君は遺伝性の糖尿病でした。やっぱり今、五十歳くらいのはずです。元気にしてるといいんですが。
0 件のコメント:
コメントを投稿