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ラベル 神社の祭事・行事 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2019/07/17

相馬神社例祭を執り行いました

毎年7月17日に行って参りました当神社の境内社、相馬神社のお祭りを、本日午前10時より斎行いたしました。

 きのうは参道や御社殿をお掃除し、紙垂をとりかえました。現存する境内の建物の中でいちばん古いこともあり、だいぶ御社殿は傷んできていますが、じつは昔の人ならではの仕掛けがあって掃除はしやすいのです。

 当神社の境内社・相馬神社について詳しくは、こちらをご覧ください。https://aynonay.blogspot.com/2017/04/blog-post_17.html

 このお祭りは農家さんが主体になっていまして、毎年、牛馬・農耕御守護のおふだをおわかちしております。御社殿内にあらかじめおふだを奉安し、祭儀修了後にさげてきて、皆さんにお渡ししています。

2019/06/16

春祭りを斎行しました

〇みなさん、こんにちは。
 当神社では6月14日と15日の両日、来賓の方を初め、総代・神社委員のご参列のもと春祭りを斎行しました。

 正確には「春季例祭」、明治30年とその翌年に移住した屯田兵が、札幌神社(現・北海道神宮)の例祭日にあわせて、この日にお祭りをおこなっていたのにちなみます。

 当神社の中でも由緒あるお祭りですが、日にちが決まっているため平日になることが多く、例年秋祭りにくらべ、参列者が少ないのが寂しいところ。何とか今後、盛り上げていかねばと考えております。

 式次第は14日が宵宮祭、15日が例祭で、中祭式をもってとりおこないます。

 中祭式というのは、大祭式とちがい神社本庁からの幣帛があがりません。小祭式と異なりご本殿の御扉をひらきます。

 中祭式で身につける装束(服装)は決まっておりまして、斎服といい、お内裏様の着ている服とつくりがほぼいっしょ、白一色。ただしお内裏様の冠とはちがい、うしろの纓(えい・後方の短冊状のもの)がさがったものをかぶります。

 14日朝にはのぼりをたて、晩には提灯にあかりをともしました。

 おおきなお祭りのときは、いつも以上に神様のお力が強くなります。春祭り直後のこの好い機会に、どうぞお参りください。

2019/06/02

令和初の定例総会が行われました

 おとといは当神社の定例総会がありました。例年どおり午後6時より正式参拝、終わって定例総会、さらに直会という次第で、総代・神社委員にお集りいただきご審議を賜りました。

 だいたいどこの神社でも同じだと思うのですが、宮司として私と責任役員のごあいさつののち、議長選出、昨年度の事業報告、決算および監査報告、今年度の事業計画案と予算案の審議と採決、諸報告ののち議長解任という流れで、とどこおりなくすすみ、約1時間ほどで終了となりました。

 本年度の祭典委員長・副委員長のおひとりには若い方にお願いし、みなさんにも賛意をいただきました。この方が多年にわたり、秋のお祭りにおいてさまざまお骨折りなさってきたこと、またこの相内の発展にも力をつくされてきたからこそで、まさに人徳のたまものだと思います。

 秋のお祭りは、毎年のこととはいえ一大事業です。たいへんなことはまちがいないのですが、今年はこの方たちを中心に、昨年以上に盛り上げたいと思っておりますので、どうぞ皆様、よろしくお願いいたします。

 なお、秋のお祭りは例年通り9月23日、今年は3連休の最終日です。

2019/05/01

践祚と改元、おめでとうございます


 天皇陛下に置かれましては本日つつがなく践祚遊ばされ、令和と御改元、まことにめでたく、お慶び申し上げます。
 新たなる令和の大御代における、皆様のますますご繁栄を心より御祈念申し上げますとともに、今後ともよろしくお願い申し上げます。

 
 当神社におきましても本日、大前にて践祚とご改元をご奉告申し上げました。上の写真はその際のお供えの一部。北海道外ではちょっとめずらしいかなと思いまして、あげました。葉っぱで巻いてあるのは柏餅ですが、白と茶色の餅のようなのは「べこ餅」で、おもに上新粉や白玉粉でできています。この時期、柏餅とともによく売り出されている季節を感じさせるお菓子です。

2017/07/17

境内社・相馬神社例祭をとりおこないました


 本日午前10時30分より、当神社の境内社・相馬神社の例祭を、無事とりおさめました。
 相馬神社については輪番制で祭典委員会を運営、本年は美園地区が担当。朝早くから草刈りを初め、諸準備をしていただきまして、ありがとうございました。
 宮司も昨日お宮の中を大掃除しまして、拝殿内に残るさまざまな方の奉納品を拝見しました。
 日露戦争の戦勝、無事帰還できたのを感謝してのレリーフ、すぐ近くにお住まいの方のお婆ちゃんが奉納された御鈴、美園地区から遷座された(移転)際の集合写真など、先人の足跡がここにも残されています。
 もと相馬神社は美園神社と申しまして、名前の通り美園地区にあったのですが、氏子数減少のため部落総出で現在地へとお遷し申し上げたと、北見市史関連の書籍に書かれています。私も読んだのですが、残念なことに細かいところまでは分かりませんでした。
 ところが前述の写真には、昭和32年11月2日としっかり日付が書かれ、運搬に使われた馬の名前がヨジローだったこと、その馬主さんの名前も書かれていました。写っている神職はまぎれもなく当社の初代宮司。
 神社というところは、皆さんよりさまざまな奉納品をいただいて成り立っている部分もあります。この写真についても、どなたかが記念に撮影して奉納しようと考えたからこそ、こんにちでも遷座の経緯を知ることができます。奉納されたものを大切にしてゆかねばならないなと感じた次第です。