百物語 第二十四夜
鏡に映るもの
※怪談です。苦手な方はご注意ください。
去年の春先のことです。
その頃、仕事がうまくいってなかったんです。
お局様に目をつけられたのが、発端だったような気がします。
化粧のしかたがどうこうから始まって、制服の着方がだらしない、ホチキスを閉じる位置が違う、連絡が遅い、相談しない……細かいことまで突然、ネチネチやられるようになったんです。
パワハラ、モラハラといわれたときに、いい逃れできる程度のいじめでしたね。
いいえ、別にわたしに目をかけてるわけじゃないし、お局様は上司でも何でもありませんから。ただ私よりも先に、ずいぶん先に入社しただけの人です。
それから、ちょうど年度替わりの時期で新人の教育係にさせられたんですが、この子がもう、とてもわたしなんかの手には負えない。
ことばづかいは直しようのないほどだし、自分勝手だし。
業務中に会社の固定電話をつかって、だれか友達と大声で話していたり、おとなしいなと思ったら頼んでおいた仕事をほったらかして、ネトゲをしていたり。ええ、もちろん会社のパソコンで、です。
その子のミスはもちろん、教育係のわたしのせいですから、社内だけじゃなく取引先にも、何回も頭をさげにいって。
無理やり頭をさげさせて。でも、その子は悪いと思ってないし、なんでわたしが謝らなきゃならないんですかと食ってかかってくる。
ことばを選んで注意しつづけていたら、要点をまとめて携帯の方にメールくださいって。
だいたいこれが三月末から四月の終わりくらいで……ゴールデンウィークでどうにか一息つけるって頑張ったんですけれども、体力を回復できただけ。
連休が明けても状況は変わりませんし、気力はまるでなし。もう辞めてしまおうかと考え始めました。
それでもなんとか梅雨の時期までもって、五キロ痩せたからいいかと空元気を出しながら頑張っていたある日のことです。
トイレに入ったところでたまたまお局様とあったんですね。
向こうは出るところ、こっちは入るところ。
わたしが道を譲ろうと左によけて、お局様をやりすごそうとしました。
入口近くですから洗面所があって、鏡の前をお局様が通過してゆく……と、そこでわたし、えっ? って思ったんです。
鏡に写っているお局様の像が、まるでちがう。
お局様は団子鼻で目は小さい方ですが、鏡の中では鼻が異様に高いし、目がつりあがってもいる。
一瞬のことでしたから、お局様が出ていったあと、鏡の前に立ってみました。でも、異状はないので見まちがいということにしました。
ところが、またしばらくして……こんどはいま話したつかえない子とトイレで出くわしたときに、やっぱり同じ、その子が鏡に写る姿が本人じゃなくなっていたんです。
やっぱり目が吊りあがって鼻が西洋人以上に高く盛りあがっていて……なんというか、ものすごい形相をしている。
そのときも確かめてみましたが、わたしの姿はやっぱりふつうに写っていました。
こうなると、他の人はどうなんだろうって思いまして……トイレにだれかが入ったら、ちょうどその人が出てくるタイミングでわたしが入って、鏡にどう写るのか確かめてみたんです。
ううん、五、六回はやってみたんじゃないかな。
結果は、他の人の場合なにもない。まったくふつうに鏡に写る。
それで、いまわたしを悩ませているふたりがおかしい、ということになりました。
でもね……だからなんなの? っていう話なんです。
ふたりがおかしいのはもう、じゅうぶんすぎるほど分かってたじゃないか。
それでお局様が心を入れ替えるでもなし、新人の子が社会人の自覚をもつわけでもなし。
仕事の方でなんとかしなければならないわけで。
ですから、鏡に写った変なモノについては、それ以上深く考えることもなく、忘れてしまいました。
一方、仕事の方では、わたしが上司と不倫してるとか、毎晩男をとっかえひっかえ遊び回ってるとか、だれかがそんな根も葉もない噂を流したらしくて……もう、限界を迎えていました。
お盆休みまでは持たない。ボーナスが出たら辞めようかって。辞表も書きました。
ちょうどその頃、たまたま大学時代の親友と飲みに行く機会がありました。
居酒屋で腹ごしらえして、それから新宿のバーに行きまして。わたしがグチを聞かせてばっかりだったんですけど。
カウンターでそうやって話してたら、ママがやってきまして遊びで占いをしてる、見てみようかっていうんです。
わたしも親友もけっこう酔っていましたし、馬鹿みたいにはしゃいで、お願いしますと返事しました。
ママがわたしの顔をじっと見て、
「あなたいま、仕事の話でグチってたけれども、結局はあなたの方がむしろ問題なのよ」
最初にそういうので、わたしは身構えました。
なにか違う。
悪いことが起きるかもしれないから注意しろ、気をつけろって話じゃない。
頑張れば道が開けると結ぶのでもないって。
「いま迷惑に思ってる人が、あなたには鬼に見えるでしょう。それって、その人たちが悪い念を出しているからっていうのも確かにそうなんだけどね、受け取るあなたがもう、その人たちに『合っちゃってる』のよ」
一気に酔いのさめるのが分かりました。
それまで酔ってはいたものの、さすがにどんな話をしたかは憶えています。
というより、そのとき、鏡に写ったヘンなもののことは忘れていましたから、親友に話してなどいません。
「そのふたり、どうやってあなたをひどい目にあわせてやろうかって、いっつもそればかり考えてるわよ。だから鬼の姿が鏡に写る」
わたしは、仕事を辞めることにしました。
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