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2017/05/23

玉木正英『祭儀並祝詞』

 北海道大学の北方資料室で、古文書を電子データベース化しておりまして、その中には昔の神道関係の文書ものもあります。

 文書だけではなくカラフトや千島の地図などもあり、これがまあ実に面白いものなんです(ただし、今のところ、検索して出て来ても見ることができないものもあります)。

 最近見つけたのは『祭儀並祝詞』、玉木正英著。

 玉木正英は寛文10年(1671)生まれで元文元年(1736)死去、垂加(すいか)神道を学んで橘家(きっけ)神道(神道の「○○神道」は仏教でいうと○○宗に似ていると思います)を事実上創始、大成した人です。

 このブログでは、たまに国学者の誰それ、なんてあげますけれど、大きな学統は「四大人(しうし)」の流れで、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤の四人をこう総称します。玉木正英はこのうち、生没年とも荷田春満とほぼ同時期です。

『祭儀並祝詞』は、もと菊池重賢収蔵のものでした。菊池家はもともと箱館(函館)八幡宮の社家、つまり代々の神職だったのですが明治の初めに神職の世襲が禁止され、菊池重賢自身は札幌神社(北海道神宮)の宮司に任命されました。その後、これからは教化活動が大事だと考え辞任、宣教使として活躍され、札幌市内に金刀比羅崇敬教会を設立するなど一生を布教一筋に捧げた方です(このあたり、札幌八幡宮のホームページを参考にさせていただきました。興味のある方はご覧ください)。

 この『祭儀並祝詞』、神主としては興味深いことがたくさん書いてあります。

 まず、祭事を行うときに、神様をお祭りしている祠堂(本文に従う)の内部やその前ではなく、別な場所にしめ縄を張って斎場を作り榊を立てます。

 ということはそこに神様をお招きするわけですが、祠堂と斎場の間の道を掃き清めると書いてあって、祠堂からお招きするようなのです。それに加え、通常私どもは榊を立てるときは一本ですが、ここではニ本なのです。でも、残念ながら教学的な見地のことは書いていないので、理由は不明です。

 その斎場の図を見ると、お供えについても書いてあります。

☐☐☐☐☐
☐榊☐榊☐
☐③①②☐
燈☐☐☐燈

 ほぼこんな感じになっていまして、①は膳、②は酒、③は菓、と書いてあります。

 現在は全国的に生の状態でお供えをあげることが多いですよね。これを生饌(せいせん)と言います。調理してあるものは熟饌(じゅくせん)で、実は明治以前はこちらの方が主流だったそうなんです。ということは、このお供えも、恐らく熟饌だったことでしょう。

「略しての様子」ながら①について細かく図にしているのですが、これが残念なことに字が小さくて読み取れず、画像を大きくしてみても、印刷してみてもダメでした。正確なところは北海道大学に行って原版にあたるしかありません。

 読み取れるだけをご紹介すると、

☐☐☐☐☐
☐⑤☐④☐
☐☐③☐☐
☐①☐②☐
☐☐☐☐☐

 こんな風になっておりまして、

 ①は御飯、②は御汁(野菜類)、③は人参、水菜の類、④は全く不明、⑤は(恐らく)香(の物)、青のり、となっていて、我々が通常食べるごはんと言われても違和感が余りありません。

 さらに(上は略式で本式としては)、以下の品目があげられています。

御飯(高く堅く四角にもる)
御汁(なににても)
毛の和物(雉・鶴の類)
毛の荒物(狸・兎または鹿の類、牛羊はこれを忌む)
鰭の広物(しいらの類、鯨鮫はこれを忌む)
鰭の狭物(きす・さよりの類、赤鯛はこれを忌む)
甘菜(人参・水菜の類)
辛菜(すずしろ・からし)
奥津藻菜(昆布・あらめの類)
辺津藻菜(青のり・あまのりの属)
時菓(みかん・こうじ・くり・もも・かきの類)
御酒(白酒黒酒あり)
御茶

 品目の名前(「毛の和物」など)はほぼ『延喜式』祝詞にあるような伝統的なものです。でも狸・兎はよくてなぜ牛や羊はダメ、シイラはよくて鯨や鮫はダメ、何より赤鯛がダメというのがびっくりです。御茶については「古式にはないが先輩が理由あって是を献じることにした」という意味の注記があります。

 なお、上記の品目、カッコ内には若干読み取れない字があったことをお断りいたします。

 学生の頃はもうちょっと読めたはずなんですが(記憶を美化しているかもしれない)、今は勉強してませんし読めなくなりました。でもこういう古文献を読むのは面白いので、今後も続けて行きたいと思っています。

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