三矢重松先生二十五年祭祭文 折口信夫 昭和二十二年十月二十五日「國學院大學新聞」
みむなみの 沖縄の御酒、島びとの醸み足はしつくり出でし三百年のあわ盛りの酒を中にすゑて、野山海川より持ち集ひ参来し品々見れば、あはれ やさしきかも。恥しきかも。
ことし、去年、をとつ年、年ごろのとしのともしさ。かくあるさまのまに〈、備へ足はし奉る一つ〈の心を、み心寛にきこし明らめたまへ。
うつし世の廿五年、たゞ瞬きにまがへり。おくれまつる学び子我どちも、こゝだのよはひ重ねて、うつけきは愚かなるまゝに、をこなるはをかしきさまに成り出でゝ、はや人の世の年高びとゝいはるゝほどになりて、なほをぢなく立ち居ふるまふを、青雲の底ひゆ、さやけきまなじり垂りて見おこせたまふや。
そのほどの月日に、命短き誰彼多く過ぎ行きて、今日のみまつりにもはら仕へまつる人むれにも思ほえずまばらになりて仕へまつるを さびしと見そなはし、しかすがにかく生きけるかと、うべなひ見たまふや。
一年祭、三年、五年祭など言ひつゝ仕へ来しことを思へば、まことも、年へつるものかも。
白雲のおくが、常世の波のはたて、はるけきみ耳にも知り明らめたまひて わが申すをぢなきくり言を、聞しあはれみ、ひたよりにこゝに来たまへと申す。
くい多かりし年ごろの戦ひの後、わが國はかくおとろへすさびぬ。人間の思ひ到らぬ深き悲しみも、神はみさとり深ければ、しみゝに思ひさとり給ふらむ。人心すさびにすさびて、ひはぎ、ぬすびと、人かどひの類の堕つる数、日に添ひて、国内は、まことも狭ばへなす声わき充ちたり。
然はあれど学問の道亡びず、国学の道はた亡びず。このほどの年ごろこそうたてあれ、いとはやく民族の道・民俗宗教の学問盛りに起り来なむものぞ。
あはれ大人の学、今しは円満具足し、神成りたまへるみ心をとり以ちて、この学問、この宗教を、昔のありの姿と言はむは畏し。新しき世の新しき気象みなぎりたる、清らに、あざらけきものに成し足はしたまへ。
我どち残る齢の間、また次々の学生の末々までたのみかけて、再大倭の古き心と、新しき世代の珍のさとりとを兼ねたる学問なし出でなむものぞ。
今日の日のよき日のなごみに、暫しみ心平らぎ給ひて、廿五年のみ祭り仕うまつる人々の心をうけたまひて、たのしみ深く遊びたまへ。
大人の命の学び子の、いと若き人々、又そのつぎ〈に序ぎて立つべき学問の道のうまごたち、おのがじゝ もてる才申し出でゝ、今日の喜び尽しまつらむとする心をうけたまへ。
然申す一人は、大人の命の学び子の列の、もとも末に侍るものゝ一人 折口信夫 申さくと申す
この祝詞は『折口信夫全集27巻』(中央公論社、平成9年)によります。
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