三矢重松先生三十年祭祭文 折口信夫 昭和二十八年八月遺稿。二十九年五月「國學院雑誌」第五十五巻第一号
おもひみる御面たりまして、ここに来むかひたまふ三矢重松うしのみこと、いましは神成りまして、清くすがしく常世べにしづまり、神さかえさかえに そだりたまふらし。
神のみ名も、そらつ御名だにしらで、ただひたぶるにつかへまつる をぢなき国つまつりを、あはれび見たまひて、ほほゑみうけたまへ。
ゆめに似てゆめよりもとくすぎにし月日を数ふれば、まことも三十といふ年を経て、われどちみな面しわみ、黒髪白け、とひかはす声さへかれて、わかき面輪はなくぞなりぬる。
国は乱離し、民は流離し、悲しみを重ねて、十年のほどに、再びおこり来るきざし見えつ。
みまし命の わすれたまふましじき この国学院はや。
国学の使命も かつ危き かの日この日をたへすぐして、ふたたび花咲く国学の日を迎へたりとか まをさむ。
これも大人が見はるかし 見おこせたまひし守る目のみ力によるものにありけり。国学のさかゆる日に、国学院のいやひろる日に、はやく神成りませる 大人の尊を招ぎまつり、たゝへごと百くさつくして、ほめたてまつる。
このをぢなき詞を、高天の神つよごとの あまつよごとと 聞きたまひ うけたまへとまをす。
この祝詞は『折口信夫全集27巻』(中央公論社、平成9年)によります。
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