百物語 第十八夜
床屋幽霊
※怪談です。苦手な方はご注意ください。
歳とったからもうよしてしまったけど、わたしは旦那とふたりで床屋をしてたんですよ。結婚する少し前にわたしも資格取らなきゃって学校に通いだしてね。そのとき旦那は、学校出てからすぐに働きだした店で修業中でした。
それでわたしが免状をもらったのをしおに結婚、旦那が独立したって流れです。港区にいい場所があるってんで移り住むことになりました。前に住んでた人も床屋で、道具から内装からそのまんま、すぐにでも商売ができるって。
いえね……おかしいでしょ? そんなうまい話、あるわけがない。あっても裏があるとすぐに気づかなきゃ。若かったからったってほどがあるんですけど、まあ騙されたんですね。
引っ越した日の夜です。
旦那は寝床でゴロゴロして週刊誌か何かを読んでいたんですが、もう日付が変わりそうだから寝ようって、わたし、いったんです。いくらすぐにでも商売が始められる状態だからって、引っ越しの荷物はまだ残ってるし、掃除もしなきゃならないしって。
それで旦那はああ、と生返事したけれども、本を閉じて蒲団をかぶったので、じゃあ電気消しますよって、枕元の蛍光スタンドのスイッチをポンと押しました。
すると、その瞬間なんです。
旦那の足元に男が立っているのが見えたんですね。
はい、そうです。暗くなってすぐですから、ほとんど何も見えないはずですよねえ。でも、その男の姿はハッキリしていました。浴衣姿で、三尺をしめてね、なぜか手拭いで頬かむりしてた。
とっさに泥棒かと思って、旦那をひっぱたいて、
「誰かいる! 誰かいる!」
叫んだら、旦那もそっちを見た気配があって、そうしてすぐアッとかウオッとかいって、蛍光スタンドの明かりをつけました。
ところが、誰もいない。
それから旦那が蒲団を出て、得物を手に家中見回ってみたんですけど、これといってヘンなことはなかったっていうんです。
その日は明かりをつけたまんま寝て。でも、またそんなの見たらって思うと気味が悪くてね、すぐにつぎの家を見つけて引っ越しましたよ。
きたばかりですが出ることにしましてと、数日前に挨拶まわりしたばかりですよ、それでもあんなのまた見るよりましって、あきらめてね。あの家で前に何かありませんでしたかって、ついでにそれとなく聞いてまわったんですけれども、そんなことはないって口々にいう。
ハハア何か隠してるなって雰囲気でしたよ。
ただ、こっちも出ていくんですから、根掘り葉掘り聞くこともできなくてね。結局そのままです。何にも分からなかった。
それでもね、あのまま我慢して住みつづけたら、どうだったんだろうと思うこともあります。
客商売をしている場所では、幽霊が出るのはかえっていいことなんだって。例え幽霊でも、いないよりマシ。だいぶ後になってから、そんなことを聞きました。
いえ、それにわたしも旦那も、結局あまり商売ッ気がなかったんですね。貧乏でもなく、金持ちでもなく……それから平々凡々と暮らしてきた、とまあ……こういうわけです。
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