百物語 第三十七夜
悪路神の火
※怪談です。苦手な方はご注意ください。
ガキの頃、日本最後の秘境だなんだって嘘くさいテレビ番組を見たことがあったが、こりゃまあ実話だろうってことで。昔話さ。
伊勢の国紀州御領内、田丸領間弓村ってところ。うん、よく憶えたろう。
昔、和歌山の徳川家が、いまの三重県まで領地を持ってて、その家来の田丸ってのが預ってた間弓村……ってまあ、こんなところだろうよ。
これがどこかって調べてみたことがあるんだ。
三重県の度会郡玉城町に田丸って地名がある。その近くだろうな、いまなんと呼んでるのかは分からんかったんだが、唐子谷ってところがあった。
さらにまたそこに猪草が淵ってのがあって、これが秘境もいいところでな。
全くいま地図を見ても想像できん。幅二十メートルくらいの川があって、杉の丸太を橋として渡してある。
ああ、ただ木をボンと横倒しにしてある。丸木橋。そのうえ、この橋から下の川までこれも二十メートルあってな。むろん命懸けで渡らにゃなんねえ。
橋を渡って山の方に入るとな、パラパラと音がする。
雨でもきたかと思って、ひょいっと上を見ても雲ひとつない。
またしばらく歩いていると、パラパラ、パラパラっと音がする。立ち止まって周囲を見回すが、異状はない。
で……なんかあちこちかゆいなって見てみると、全身いたるところに山蛭が血を吸ったあとがある。
それでああ、あのパラパラってのは山蛭が落ちてきた音だったんだと初めて気づくって次第。
そんなふうなもんで、橋の向こうにゃあまり人がおらん。行き来もない。
あるとき、主人の命令で調査しろっていうんで侍がひとり、丸木橋を渡った。
ポツリポツリと山中に人がおった。それが、男だと思ったら女だった、女かと見れば男……と、着てるものから容貌から男女変わらん。
顔役だって人物の家を探しだして、ここに落ち着いてな、侍はおあしよりも食いもんの方が嬉しかろうと、ひとつよしなにと青物だの乾物だの差し出した。
すると顔役が首をひねって、これこれ、これは分かるけれども、この粉はなんだ、と聞く……侍が見てみると、それがなんと米だった。
これは煮炊きして食うもんだと教え、じゃあひとつ食ってみようとなって米を炊いてな、晩飯になったところ、こんなうまいもんは食ったことがないって涙ぼろぼろ流して喜んだんだと。
あっけにとられたんだが、こんなこともあって侍は主命を果たすべくあちこち状況を見て回った。
米を食わせたおかげで、みんな好意的だった。数日たつと、これくらい調べればいいだろうってところまで進んだんで、侍はあした帰るって顔役に伝えた。
じゃあお別れの宴をってことにもならんで、酒はないし、侍の方は肉を食わんしな。
でも助かった、ありがとうっていってたところ、侍がふと小窓の外を見ると、ぼんやり明るくなっている。
灯りが移動してると見えて、ときどき窓の外がポッと明るくなる。
だんだん増えてきているようで、ほとんど日中のように明るくなることもある。
夜のお祭りでもあるのかって、侍は立ち上がって窓辺に寄ってみた。
すると顔役がやめろやめろ、と叫びだした。
「なにゆえじゃ」と侍が聞くが、
「見ちゃいけん、見ちゃいけん」と、くりかえすばかり、興奮している。
顔役がいうのだからともとの座にもどり、顔役を落ち着かせてな、そのうえでもういちど聞いてみた。あれはなんだ、と。すると顔役は、
「悪路神の火だ」という。
雨の日はことに多く燃える。
火に近づいて死んだ者がもう幾人も出ている。
避けるには、その場にうつぶせに寝てやり過ごすしかない。
火に触れられた者はすぐに病気にかかって、命が助かったとしても長患いになる。
「だから、悪いこたいわん。見ない方がいい」
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