百物語 第三十六夜
さまざまなる怪異
※怪談です。苦手な方はご注意ください。
怪談て、昔の話でもいいのか? ああ、そうか。いいの。
別に家柄を誇るわけじゃないんだけど、俺のうちは武士の家系でね。新潟の長岡藩に仕えていたんだ。
それで、ご先祖様は長岡に住んでたし、今でも俺の実家は長岡にある。場所は江戸時代とは変わっちまったんだが、昔いた場所のとなりに千本木さんて人がいたんだだな。
その、千本木さんの体験談さ。ただし、ちょっと尻切れトンボな話なんだけどね。
夕立が降った夏の夜に、所要を済まして千本木さんが帰ってくる途中、橋を渡ろうとしたら様子がおかしい。
提灯をかざして前方をうかがってみると、橋の上いっぱいに雪が積もっている。そんな馬鹿な、と近づいたら、どうも綿らしい。
その綿のようなものを踏みながら、橋を渡りきって振り返ると、もう消えてしまっている。
狐狸のたぐいだろう、と気にせずにそのまま行くと、巨大な松があった。いや、その松自体はもともとあったんだが、梢の方から何やら変な声がする。
夜目の聞く鳥でもとまっているのかと近づいてみると、夜目にも赤ら顔とわかる子供が二人いて、木の上で相撲をとっている。
千本木さんは無視してそこを通り過ぎ、路地に入っていった。
すると今度は、女の足が二本、道端に落ちていた。どこからともなく、
「細脛なれど折れはしません、細脛なれど折れはしません」
と歌う声が聞こえる。
やっぱりそれも無視して、しばらく歩くと後方から呼びかける声がする。若い女の声だった。
「一本木様はいずこぞ」
と訊ねてくる。千本木さんは足を止め、
「知らん」
と答えて、また歩きだした。
すると、女はついてきたものと見えて、
「二本木様はいずこぞ」と訊いてくる。
また、知らんと答えたんだが、女はその後も「三本木様は、四本木様は」と続けて訊いてきたんだ。
そうさな、いい加減、うるさいわな。まあでき過ぎた話だけど、九百九十九本木様はいずこぞ、と訊かれたのが、ちょうど千本木さんの家の前だったわけさ。
そのとき振り返ってみると、いつのまにか女は白髪の老婆に変わっていた。
千本木さんが門をくぐると同時に、老婆がいった。
「千本木様はいずこぞ」
千本木さんは慌てず騒がず門を閉ざしてから、ここだ、と答えた。
老婆は「あら口惜し」といって扉をガリガリと掻きむしったという。その傷は明治維新の後まで、残っていたそうだ。
ここらで話は終わりそうなもんだが、まだつづきがあってな、千本木さんが敷石を踏んで玄関まできてみたら、妻と子が出迎えていた。
その顔がさ、どっちも馬だったんだよ。
家に上がって着替えているとき、何となく畳の上を見ると、一寸ほどの騎馬武者がいてな、畳のへりの上で戦っている。
それも気にせず厠に入ったところ、頭を触ってくるものがある。手で捕まえようとするが、何もない。しばらくすると尻に触れるものがあるので、これも捕まえようとするが、手が宙をかくばかり。
そこで千本木さん、尻に何かが触れた瞬間、腕を頭上の方へ伸ばした。感触があったのですぐさま抜き打ちに斬り払うと、ドンと家じゅうに響き渡るような音がして、気配が消えた。
千本木さんの手には、針金のような銀髪が残っていた。
厠を出て母屋にもどろうとすると、庭の踏石のひとつひとつに、人間の目がある。千本木さんは何度も瞬きをしてみたが、明らかに人間の目だった。その目を踏んで行ったが、特に変わったことはなかった。
これで、この話は終わりなんだ。
結局こんなことはその夜だけのできごとで、翌日以降は何も起きなかった。
うちのご先祖様が千本木さんから聞いて、日記に書いた。それで俺もこの話を知ったってわけさ。
千本木さんは戊辰戦争のとき、会津まで戦ったそうだよ。自分の隊の副総督を助けようとして戦死したんだって。
ご先祖様は、長岡で降伏したんだけどね。
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