百物語 第五十五夜
水子供養
※怪談です。苦手な方はご注意ください。
ふだんから写経したり、座禅を組んでみたりしていて、まとまった休みがとれたら修験道の聖地で峰入りに参加したり、四国八十八か所巡りをしておりましてね。
そんなことしてるって聞いた人から、水子供養を頼まれたことがあります。それで、お坊さんの真似をしたときの話です。ええ、そのときだけ、一回限りね。
菩提寺の坊さんはどうもちゃんとやっていないようだから信用できない、お経を読んで欲しい、っいうんですが、もちろん断ったんですよ。だいたい、本職じゃありませんし。私なんか仏教マニア程度ですから。
でも、あまりしつこいので、根負けしまして。とうとう、うん、といっちゃったんです。夫婦かわるがわる毎日、連絡があるし、そのうち会社にまで電話をかけてきましたんでね。
それで本人が納得するなら、って軽い気持ちで承諾したんですが、やっぱり素人ですからね。止めておけばよかったって、今でも思います。
当日は早くすませたいもんですから、挨拶もそこそこに仏間へ入っていきましたらば、子供が好きそうなお菓子やジュースなんかを、たくさんあげているし、花も飾っていました。
平成の初めに流産でふたり、と何度も聞かされていました。
さっそく読経を始めました。ご本尊の脇にお地蔵さんをまつっていましたから、ああ、お地蔵さんにお願いしようと考えながらね。
まずは開経偈。それから三帰依文、懺悔文などなど。本職の方がされているように読んでいきました。これはまあ、食事でいえば、いただきますという段階ですね。
つまりまだ本題に入っていない段階だったんですが、このときにはもう、私の周囲の空気が非常に嫌なものに変わっていまして。
何となくですが、子供がいうことを聞かず、際限なくわがままをくりかえしているような……。そんな雰囲気でも、ありました。
うしろには私に依頼したご夫婦と、最近、中学校にあがったばかりだという、お子さんもいました。
怖かったです。怖かったんですが、動揺してはいけない、恐怖に襲われてしまえば、それが波紋のように後方へと広がって、収拾がつかなくなると考えましてね。
そもそも子供ふたり分だからか、気配が濃厚だったんです。私なんか、その場にいない者とされているかのような疎外感がありまして、人の話を全然聞かないような、かたくなさも感じていました。
これはもう、お地蔵さんに話を通すどころじゃないな、と。そう感じたので、後方の三人に向けてお経を聞かせるように気持ちを切り替えました。供養のためというより、まずは生きている人に、ということですね。
ええ、それから読経のあいだじゅう、耳を引っ張られたり鼻をつままれたり、かなりうるさかった。
でも、それを除けば特に問題なく、本職のお坊さんの作法どおりに終えることができました。
この夫婦はジュースやお菓子を毎日欠かさず、あげていました。
二十年くらいずっと、ですよ。
親心でしょう。当然のことです。でも、この人たちの場合は、親の思いがかえって手枷足枷になって、行くべきところに行けていなかったのかもしれない、と思います。
このご夫婦は、子供たちの死を割り切れていなかった、その割にいつまでも小さな子供の扱いをしていた……。
生きていれば……生きていればというのも、このご夫婦には酷ないい方かもしれません。しかし、ふたりとも生きていれば二十歳近い年齢になるのを、小さな子供扱いしていた。
もしかすると、私がそのとき感じていたものは、水子の霊じゃなかったかもしれません。
私は霊能者でも何でもありませんけれど、二十年近く両親の積みあげてきた想念の塊のようなもの……そんなものだったんじゃないか、と思うこともあります。
読経をしてくれと頼んだのは他ならぬご両親なわけですが、必ずしも魂が浮かばれるのを望んでいなかった、というのか……相反する感情があって本人も気づいていない、というのか……。
そのあとのことは、実はわからないのです。
というのも、このご夫婦からの連絡がパッタリ途絶えて、一年ほどたってからこちらから連絡したんですが、どうも携帯を解約したらしい。家に行ってみると、引っ越ししたようで売家のビラが貼られていました。
私のせいで、いちだんと悪い方向へ進んだんじゃなければいいな、と願うばかりです。
ええ、もう二度とお坊さんの真似をする、なんてことはしません。
そのご夫婦、死者と生者は住む世界が違う、ということを理解したんなら、いいんですがね。
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