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2017/06/14

人形感謝祭祝詞9 結尾部

 ようやく結尾部にたどりつきました。

 冒頭部と同様に、祝詞の最後の部分はほぼ定型化しています。冒頭部を「……恐み恐みも白さく」で始めたなら、結尾部は「……恐み恐みも白す」でとじる。同様に「……謹み敬ひて白さく」で始めたなら、「……謹み敬ひて白す」で終える。たまに揃っていない祝詞も見受けますが、基本的には最初と最後を同じ文言にします。

 それからバランスをとるため、分量の上でも冒頭部と結尾部は対応させた方がよい、ということがあります。典型的な冒頭部「掛けまくも畏き某神社の大前に恐み恐みも白さく」くらいの分量でしたら、結尾部は「恐み恐みも白す」だけにする方がよいでしょう。逆に冒頭部が長いなら、結尾部もある程度の分量が必要だというわけです。もっとも、必ず同じ分量にしなければならないわけではなく、冒頭部に比して結尾部の方が短いことが多いです。

 この人形感謝祭祝詞の場合、奉書紙の六つのスペースのうちひとつめを三行にわたって書くと、あらかじめ決めて草稿にとりかかりました。これは分量として長い方に入るでしょう。したがいまして「恐み恐みも白す」だけでは短くて、バランスがとれないということになります。

 この「恐み恐みも白す」の「恐み恐みも」と「白す」の間に何らかの語句を挿入するという方法があります。例えば、

恐み恐みも「白さくと」白す
恐み恐みも「称辞竟(を)へ奉らくと」白す
恐み恐みも「御寿(みほぎ)の寿詞(よごと)仕へ奉らくと」白す

 などです。一番目は、申し上げることです(と、申し上げます)と、現代語にすると変な感じがしますけれども、こんな表現もあります。つまりは、こんなふうに「白す」という語を強調しているわけです。
二番目の「竟」はオエルと読んでも、「終える」という意味ではありません。意味は「お称え申すことばを、お尽くし申し上げることです」。式祝詞によく出てきますが、意味から考えて、本当にことばを尽くしているのか反省が必要な表現です。
三番目は「お喜び申し上げる『寿詞』をお仕え申し上げることです」。「寿詞」はこの場合、お願い申し上げることば。歳旦祭や新年の各種祈願祭などで、よくつかわれています。人形感謝祭祝詞ではつかえない表現ながら、一例としてあげてみました。

 ここであげた三例はみな、実は「恐み恐みも白す」の前に置くこともできます。そうすると、その前の語句とのつながりも問題になりますが、まずこれらの語句を前にずらして、見てみましょう。

……白さくと、恐み恐みも白す
……称辞竟(を)へ奉らくと、恐み恐みも白す
……御寿(みほぎ)の寿詞(よごと)仕へ奉らくと、恐み恐みも白す

 また、あまり「恐み恐みも白す」の前が長い場合には、「恐み恐みも」を略す場合もあります。

……白さくと白す
……称辞竟(を)へ奉らくと白す
……御寿(みほぎ)の寿詞(よごと)仕へ奉らくと白す

 省略というよりは、「恐み恐みも」に代わるものとして置いた、ともいえるかもしれません。

もう少し、「恐み恐みも白す」の前に、つけくわえるタイプを見てみましょう。例をあげます。

神職(かむづかさ)厳(いか)し桙(ほこ)の中執り持ちて
鵜じもの頸根(うなね)衝(つ)き突きて
鹿(しし)じもの膝折り伏せて

 などの語句を「恐み恐みも白す」の前に置くわけです。
 これらは語句を挿入するタイプとちがい、複数選んで並べることもできます。例えば、

鵜じもの頸根(うなね)衝(つ)き突きて、鹿(しし)じもの膝折り伏せて、神職(かむづかさ)厳(いか)し桙(ほこ)の中執り持ちて

 などとすることもできます。なお、おおまかな意味は、一番目は「神職が(神霊と参拝者との間の)中をとりもって」。二番目と三番目は拝礼について述べたところで、すでに出てきました。そのときには「鹿じもの……」をつかいましたので、結尾部ではつかわないのが無難です。

 他にもさまざまな表現がありますが、これくらいにしておきまして、結尾部をつくっていきます。

 まず先ほどあげた例から「鹿じもの膝折り伏せて」を除いたものを、以下にあげます。

鵜じもの頸根(うなね)衝(つ)き突きて、神職(かむづかさ)厳(いか)し桙(ほこ)の中執り持ちて

 これに「恐み恐みも称辞竟(を)へ奉らくと白す」をつけくわえてみましょう。

鵜じもの頸根(うなね)衝(つ)き突きて、神職(かむづかさ)厳(いか)し桙(ほこ)の中執り持ちて、恐み恐みも称辞竟(を)へ奉らくと白す


 冒頭部に比べてちょっと分量が多いかな、という気がしますけれども、これでひとまず完成として、推敲するときに再度、検討することにします。

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