『神職寶鑑』という本があります。奥付を見ると明治32年3月5日印刷、同10日発行、編集者兼発行人は半位真澄、印刷者兼売捌人は田中治兵衛、定価は2円50銭となっています。当時としてもけっこう高価です。
上下巻に分かれていて上巻の各章は、神体、建築、装飾および調度具、祭器および楽器。下巻は祭典、神饌、祝詞、祭服、作法となっております。
下巻の作法を見ると、現行とは多少異なっていて面白いです。例えば『降神』。これは現在、斎主(その祭事の責任者)が「降神詞」を奏上して、また別な人が警蹕(けいひつ)を行います(おーーー、と長くオの音を伸ばすようにして行います)。
では、『神職寶鑑』の当該部分を読んでみましょう。おおむね現在と同じなのですが、こころがまえの部分が面白いのです。
凡(すべ)て降神の行事は祭場挙(こぞり)て特(こと)に静粛にし、宜(よろし)く敬意を表すべし。唯斎主のみに任せ置くべからず。招請の誠を凝(こら)すべし。
斎主(その祭事の責任者)だけに任せておいてはいけない、ということですが、この書き方からすると、御奉仕する他の祭員だけではなく、参列者も「誠を凝らし」なさいと解釈できると思うのですが、いかがでしょうか。
神祇を招請する作法は古来諸家之を秘密にして其伝統一ならず。然(され)ども現今普通の式は「アハリヤ、アソビハスト、マヲサヌ、アサクラニ、某の大神オリマシマセ」と三反称し、或は「ヒフミヨ、イムナヤコト、モモチヨロツ」の数歌を奏するもあり。
降神の作法、秘密だったんですね。色々なやり方があり、統一していなかった訳です。「アハリヤ」以下は確か(伊勢の)神宮の降神詞だったと記憶します。「ヒフミヨ」以下は1、2、3・・・・・・。最後は百、千、万、ですね。だから「数歌」です。
斎主の任に当る者、心を虚(むなし)くし、精神誠意(ママ)を籠めて招請するに非(あらざ)れば、其(その)来格(らいかく)を致す事能(あた)はず。須(すべから)く教敬を極め純一他念なかるべし。
このあたりは、そのままですね。今も変わりません。
一揖、再拝、平伏して降神詞を白(まお)し、畢(おわ)りて再拝拍手小拝して退くべし。立礼には磬折俯首して白すべし。副斉主之を奉仕するもよし。
この通りにやれと言われたら、ちょっと今の神主は戸惑うかもしれません。「揖」「平伏」「磬折」は拝礼作法でして、今では深浅の区別をつけて、かっちり角度まで決まっていますので、浅いのか深いのか言って欲しくなります。
また「小拝」「俯首」は現在では行わない作法なので、どうすればよいのか分かりません。「拝」は90度に腰を折りますので、「小拝」はその角度を70から80度くらいにすればいいのでしょうか。「俯首」は「首をうつむかせる」と考え、磬折した上で首をうつむかせれば良いのでしょうか。ちょっと分かりません。
……と、このように分からない部分もありますが、こころがまえの部分も交えつつ書かれていますので、ときどき興味深い記述に出会えるのです。
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