折口春洋五年祭祝詞 折口信夫 昭和二十五年二月十九日
あはれ折口春洋主(ヌシ) 今しはるけき青波の果、いや遠き海境硫黄が島より 足(ア)の音(ト)もしみにより来たまひて、主が廿年住ひしこの家(ヤ)のくまに彳みて、われどち主が友がき学び子親たちの言ふことのをぢなきをつばらに聞きわき給へ。
ことし、今日この日かの時より既(ハヤ)く五年経て国がら山川の姿よりはじめて、人心のおくがまで全くあらたまり行くを主は見明らめたまふらむ 国々の中にも大倭国 人々のうちとも大倭びと然思ひ相ほこりし心もくづほれて、われどちいつまでかくだちゆかむとすらむ 人殺さず 盗みせず 奸淫せずといふばかりにて、行ひは低く卑しくなりゆくとき清き心のまゝに 美しく思ひ哮(タケ)びて 過ぎたまひ 今もその時の心保ちておはすを思へば、我どちなどその際(キハ)に死なざりつる。五年経るほどに失ふべきものを失ひ、失ふべからぬ物すら失ひて衢(チマタ)をさまよふさまは、唯乞食にあらずと言ふばかりとなりにけり。今しはもの思ひをもうち忘れ 痴れ心世に経るを見て 悲しとや思ひ給ふらむ うれたしとやなげき給ふらむ しかはあれど 生けりしほどの ねもごろに深き心より かくしつゝ大倭国亡びず 大倭人生き残り かつ〱立ちなほり来む世のさまを思ひたまふらむ。
然思ひあきらめたまひて 主が友がき学び子 親たちのいぶせき酒、さかな 数のくだもの 持ち集へるを心のまゝにまほりたまひ あまれるを頒ちよろこび こと足らぬ祭りの直会にゑらぎたのしむをめぐみ深きまなじりに見おこせ給ひて、相共にたちまじり遊びすごしたまへと申すことを聞きわき給へ。
この祝詞は『折口信夫全集27巻』(中央公論社、平成9年)によります。
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