2017/05/30

出口延佳

 きょうは出口延佳(でぐち・のぶよし)をご紹介したいと思います。

 出口延佳は慶長20年、もしくは元和元年(1615)に生まれました。ちょうど大坂冬の陣の頃です。

 出口さんは度会(わたらい)家の出身でして、これは伊勢の神宮の外宮神官を代々つとめる家柄です。それで、すでに六歳のときには権禰宜となり、同時に従五位下に叙せられています。

 当時、戦国期の混乱で伊勢の周辺も荒廃していましたし、「伊勢神道」と総称されて盛んだった神道説も、余り省みられない状況でした。そんな中、教学の復興に一生を捧げたのが、この出口延佳です。

 慶安元年(1648)には豊宮崎文庫を創設します。今では○○文庫は小さい本のレーベルになっていますが、この頃の文庫は図書館と学校を兼ねたような施設です。

 事実、出口延佳はこの文庫で神職を養成し、戦乱であっちこっちに行ってしまった古書を自ら探し求め、あるいは弟子に書き写させ、蔵書の充実をはかります。

 こうしてみると教育者なんですね。それで、代表的な著作である『陽復記』や『太神宮神道或問』を読んでも、伊勢神道の考え方が実に分りやすく書かれています。これは一般にも普及して広く読まれました。

 さて、その頃は儒学がはやりの時代。戦国時代には全然知られておらず、加賀百万石の祖、前田利家が最晩年になって「最近孔子の教えというのを知ったが、面白いもんだ」と他の大名に語っているくらいの認知度だったのですが、それから実に、あっという間に広がりました。

 中でも、幕藩体制にあった考え方をする朱子の学説が幕府によって公式に認められます。

 そのような状況ですから、出口延佳の考え方も儒学の影響を受けています。また、「易」にも注目し、神道と易道の一致を説きました。

 亡くなったのは元禄3年(1690)、赤穂浪士の吉良邸討入から十年ほど前です。76歳でした。子供の頃はようやく戦乱の世が終息したばかりだったのが、亡くなった頃にはすでに天下泰平、京大坂を中心とした元禄文化が花開いていました。

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