万葉集巻第一より
【十七番歌】
味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山のまに い隠るまで 道の隈 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや
〇つばらに……しげしげと。じっくりと。現代語の「つぶさに」。
〇見放(さ)けむ……「見放け」は終止形「見放く」。ここでは「遠くから見る」。
【研究】
岩波の古語辞典によると「山のまに い隠るまて 道の隈 い積もるまでに」の「い」は、すでに奈良時代には意味不明になっていました。他の辞典や文法書のたぐいでは「調子をととのえる接頭語で、動詞につく」と説明されることが多いようです。
この「調子をととのえる」というのは、和歌を念頭に置いているのかもしれません。より詳しくいうと、そのままでは四音や六音になってしまう句に「い」をつけている用例が多い、つまり「調子をととのえている」んだと。いうまでもなく、和歌ではできるだけ五音もしくは七音に音律をととのえる必要があります。
とはいえ、五音・七音の語句を並べてゆく必要のない祝詞においても、調子をととのえるために使われる接頭語があります。
相まぢこり、相口あへ賜ふ事無くして
持ち斎(ゆ)まはり、持ち清まはりて
などです。
もちろん本歌の接頭語「い」も、同様な使い方ができます。
例えば「天翔(がけ)り、国翔りに」という表現は、「天のい翔り、国のい翔りに」とすることが可能でしょう。
夏の日のい照り輝くにも、冬月のい澄み冴ゆるにも、大神等の恩頼を蒙り奉るを……
あまりうまく作文できていませんが、このような使い方もできます。
推敲段階で読みにくい語句を発見したときなど、「い+動詞~、い+動詞」という形でととのえられないか、検討するとよいかもしれません。
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