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2019/05/24

火きりと魚と

 こんにち現存する最古の祝詞集とされているのは延喜式の巻八ですが、「祝詞」の範囲をより広くとるなら、すでに古事記の中にも記されています。たとえば古事記の大国主神の国譲りの段に、こんなくだりがあります。

 大国主神は高天原からくだった建御雷神のため、出雲国(島根県)の多芸志(たぎし)の小浜に立派な宮殿を造り、もてなすことにしました。そのときクシヤタマノ神は料理人として、海の底にもぐって土をとり、それで皿をつくりました。さらに、海藻やコモの茎で火鑽臼(ひきりうす)や火鑽杵(ひきりきね)という道具をつくり、火を起こします。そうして、次のような言祝ぎの寿詞(よごと)を唱えたのです。

この我が燧れる火は、高天原には、神産巣日の御祖命の、とだる天の新巣の凝烟の、八拳垂るまで焼きあげ、地の下は、底つ石根に焼き凝らして、栲縄の千尋縄打ち延へ、釣する海人の、口大の尾翼鱸、さわさわにひき依せあげて、打竹のとををとををに、天の真魚咋献る(次田真幸『古事記』上巻 講談社学術文庫による)。

このわがきれるひは、たかまのはらには、かみむすひのみおやのみことの、とだるあめのにひすのすすの、やつかたるまでたきあげ、つちのしたは、そこついわねにたきこらして、たくなはのちひろなはうちはへ、つりするあまの、くちおほのをはたすずき、さわさわにひきよせあげて、さきたけのとををとををに、あめのまなぐひたてまつる

【大意】今こうして起した火は、高天原にいらっしゃる祖神様、カミムスビノ神の新しい宮殿のススが、長く長く垂れ下がるまで焚いたような、土の下は地の底の石までも固くするかのような、神聖な火。その火をもって調理いたしますのは、長い栲縄を延ばして海人がとった、口が大きい立派なスズキ。ざわざわと海から引き寄せて上げ、運ぶときに笹竹がしなるほどの、たくさんの神聖な召し上がり物として捧げます。

 出雲では今でも火鑽の神事が行われています。出雲国造が新たに就任すると熊野大社に参り、そこで起した火を持ち帰ります。その火は大切に保存され、その火を食べ物の調理にも用いるのです。

 われわれ人間は贈り物をするとき「つまらないものですが」といって差し出しますが、神様同士ではそうはいっていないのが面白いところ。「寿詞」という名前にふさわしく、ことばを尽して、調理する「火」や食べていただく「スズキ」を立派なものだといっています。

 内容は単に「火を起してスズキを調理し献ります」ということです。それを、このように言葉を尽くし、美しく、音韻をととのえて奏上することで火は尊く、スズキは素晴らしいものになり、ひいては献るのにふさわしいものに変るわけです。

原文

是我所燧火者、於高天原者、神産巣日御祖命之、登陀流天之新巣之凝烟之、八拳垂摩弖焼挙、地下者、於底津石根焼凝而、栲縄之千尋縄打延、為釣海人之、口大之尾翼鱸、佐和佐和邇、控依騰而、打竹之、登遠遠登遠遠邇献天之真魚咋也。
(『古事記』倉野憲司校注・岩波文庫による。ただし全て新漢字に直しました)

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