百物語 第六夜
怪しい老婆
※怪談です。苦手な方はご注意ください。オフクロから聞いた話だ。
オフクロがちっちゃい頃は、子供が生まれるときにはふつう、産婆がきたもんだってな。
当時、オフクロが住んでいた家のお隣りさんで、いよいよ産気づいたカミさんがいて、産婆を呼んだそうだ。
ところが、これまできていた婆さんとは、またべつの婆さんがきた。うん、そうだ。産婆ってのは出産時に赤ん坊を取り上げるだけじゃないそうだ。胎内できちんと育っているかどうか、母体に異状がないかどうか確かめもする。医者にかかるにしても出産まで定期的に健診を受けるわな。
そのべつな婆さん、特に変なようすはない。どこにでもいそうな婆さんだった。
「あんた誰だ」と聞くと、
「婆さんに急用ができて頼まれたからきた」という。
腕は確かだといい張るし、カミさんはいまにも生まれるようなことを叫んでいるので家にあげた。
それで、無事出産したんだが……その婆さん、赤ん坊に産湯をつかわせていたかと思うと突然立ち上がり、ドタドタいって家を出ていった。ああ、生まれたばかりの赤ん坊を抱えてな。
慌てて旦那があとを追った。集まっていた親族家族があとにつづいてくるような気配を背中で感じたものの、それも初めのうち、旦那以外の者は家の周囲をうろうろしていただけだったそうだ。
婆さんは、滅法足が速かった。年寄りとは思えない身のこなしで通りを駈け抜ける。路地を曲がる。
そして、脇にある家の中へと消えていった。旦那は、まだ婆さんが赤ん坊を抱えているのは見ていた。
旦那がつづいて入るとそこは空き家のようで、床や壁が傷んでいるし、埃っぽい。蜘蛛の巣がかかっている。
あちこち見回ってみたが、婆さんの姿はない……なかったんだが、フッと遠くで赤ん坊の泣き声が聞こえた。
声を便りに探した。婆さんが赤ん坊を黙らせるべく手にかけでもしたならと、気が気でない。そのうえカラクリ屋敷でもあるまいに、この部屋だと思って入ると、べつなところから声が聞こえる。確かにここから聞こえると思って入った部屋にも、人っこひとりいない。一度廊下に出て耳を澄ませると、やっぱりいま出てきた部屋から聞こえてくるような気がする。
そんな次第でずいぶん捜し回り、とうとう見つけた。
ああ、聞いてみれば何てこたねえ、最初に入った部屋の床の間にちょこんと置かれていた。
婆さんの姿はなかった。
まあ、ひとまず赤ん坊が無事ならいいってんで、旦那は家に帰った。
戻ったところ、玄関の外で父母舅姑から兄弟姉妹、雁首揃えて何やら大騒ぎしていた。
無事見つかったと報せて赤ん坊を見せるとみな喜んだんだが、ふと旦那が見ると……家族親族の輪の中に、ちっちゃい婆さんがいる。荒縄でぐるぐる巻きにされ、後ろ手に縛られていた。縛られているんだが、いっしょになってよかったよかったといっている。
これがな、いつもきてもらってた産婆だったんだよ。
「この婆さん、いつもの産婆だ」 というと、父と母とが口々に違う、さっき赤ん坊を抱えて逃げた産婆じゃないか、という。
いや、さっき追ってって……と説明しても、聞かない。まあ、旦那が追った方は結局、どこに消えたか分かりゃしないわけだからな。分が悪い。一方、舅姑の方は旦那に味方した。いわれてみれば、似ているようでもちょっと違うと。
こうして大騒ぎしているうちに、おれのオフクロの家で見つけたんだ。うちの爺さんだったかな……見つけたのは。便所の窓から煙が出ている、火事だってな。
それでみんな慌てて産後まもなくのカミさんを引っ張りだし、消防を呼ぶ、警察を呼ぶってまたひと騒ぎしたんだが、火の手の回るのが異様に早くて、とうとう全焼してしまったという。
オフクロの実家にも火が飛んで、植え込みがほとんどやられちまったんだが、これは本題と関係ないやな。
それにしても、赤ん坊を抱えて出ていった婆さん、何者だったんだろうな。カミさんに聞いてみれば、やっぱりその日きた婆さんはいつもの産婆とは違う人物だったという。
いつもきていた婆さんも、べつに急用なんかなかったし、そんな婆さんに頼みなどしなかったと証言した。
警察にも届けたんだが結局、分からんかった。
近所の人に、こんな背格好の婆さんが……と聞いて回っても、知ってるもんはおらん。
産婆であるかさえ分かりゃせんが、とにかく赤ん坊を無事に取り上げはした。いやいや……産ませる。確かに赤ん坊を持って逃げたけれども、取り上げるってそういう意味じゃない。産ませるってこった。
まあ、そういう心得はあったのかもしれんな。逆に当時のことだから婆さんが若い頃、出産の経験があって、それをもとに見様見真似でやったって疑いも捨てきれんが。
それに、この騒ぎのおかげで、すなわちこの怪しげな婆さんのおかげで、誰も火事で怪我しなかった……と、こういえなくもない。
こんなわけで、いまに至るまで婆さんの正体は知れずじまいなんだが……あんたはどう思う?
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