百物語 第十三夜
あかずのま
※怪談です。苦手な方はご注意ください。
おれの田舎に、荒木田さんて店がある。
本とかCDとか文房具とか、そんなもので商売している。
これは以前、べつな場所で呉服をあつかってたんだが、昭和十五年の大火で店を焼かれちまってなあ、それからいまの場所に移った。
うん、町じゅう火事でやられたってことがあったんだ。子供の頃、爺様婆様からそのときのことをよく聞いたよ。田舎だからな、戦争より大事件だったってもんも多かったんじゃなかろうか。
荒木田さんにしても話に聞くだけなんだが、前の店は浜寄りにござって、こりゃでっかくてなあ、建坪だけで百はあったんじゃないかっていう。使用人なんかがいっぱいいたことだろうし、部屋数も相当あったろうな。
そしてその中のひとつに……開かずの間があった。
開かずの間ってのは、開けることができない部屋ってんじゃない。おいおい話すが、怪しいことが起きる。だからその部屋をつかわない、開けない。それで〈開かずの間〉さ。
町で大火があったその前だから、昭和十年くらいか……荒木田さんで新しく雇い入れた女中がな、ひどくいじめられたってことがあった。
ああ、いまは女中と言っちゃいけないのか。お手伝い? うん……まあ女中でよかろう。
いじめられてたわけは知らん。きっと、わけなんかないよ。そのときいじめた方に聞いてまわったとしても、ろくな返事しかできんだろう。
このいじめ、そりゃあまアひどいもんだった。飯を少量しかやらない。番頭から聞いたことを伝えない。里からの手紙を捨てる。服に泥をつける。ハバカリに入っているときにシンバリ棒をかける……。
いやア、主人は見てみぬフリだろうさ。
へたに口出ししようもんなら、陰でこそこそと、しかも嵩にかかっていじめるに決まってる。孤立無援……それでも新米の女中はしょっちゅう泣きながらも、耐えていたそうだ。
あるとき、この新米の女中が開かずの間に閉じ込められた……みんなこの部屋をおっかながっていたから、もちろんこれもいじめのひとつだった。
新米の女中にとっては幸いなことに、きたばかりで開かずの間ってことを知らんかった。窓がないから暗いし、外の様子もわからないけれども、怖がりもせず、いつか開けてくれるだろうとひとり部屋の真ん中で待っていたんだ。
しばらくするとなにか煮炊きするにおいがしてきて、晩飯の時間が近いと知った。
アア今晩は飯抜きかもしれないと、新米女中はただでさえひもじい腹を撫でた。
それと同時に、なんとなく部屋の中がざわざわしだした。
耳を澄ますと、たくさん人がおり、話をしているようだ……なにをいっているのか注意してみたが、どうしても聞き取れない。気配があるだけ。両手で周囲を掻いてみても、空を切るばかりだ。
それで一気に恐ろしくなった新米の女中は、身うごきひとつできなくなった。
ただ……目をこらして暗闇をじっと見ているうちに、だんだん女の姿がぼうっと浮かびあがってきて……もっといっぱいいたはずなんだが、そこにいたのは三人。
髪に長い笄をさしていたり、打掛を着ていたりと、ずいぶん昔風の女ばかりだった。
そのうちの一人が新米の女中に、
「そなた、なぜここに入った」と聞いてきた。
新米女中はもう、怖ろしくてたまらない。震えつつもわけを話した。
するとその女が、「じゃあここから出してやろう。だが、われらがここにいたこと、ゆめゆめ語るなかれ」
と、こう誡めつつ襖に手をかけると、スッと開いた。
とたんに全身が弾かれたようになって、女中は自由に身うごきできるようになった。
這って逃れてとなりの座敷に入ったとき、後ろでバンとものすごい音がした。
思わず振り返って見ると、襖はもう閉められていた……。
まあ、こういう話だ。
それからいろんな人に、何度も聞かれた……どうやって開かずの間から出たんだ、と。
でも、新米女中は決して口を割らなかった。
何せ、話すなっていわれたんだからな。わけをいっちまったらあとが怖い。それでいじめがますます酷くなったんだが、いじめよりもモノノケの方が怖い。
こうしてしばらくは我慢したけれども、開かずの間は怖い、いじめは嫌だで、とうとう耐え切れなくなってお暇を頂戴することとなった。
いいや……うん、まだあるんだ、つづきが。
この女中、実家に帰ってほどなく、嫁入りしたんだな……近くの農家だ。
あくる年には子供も生まれて、幸せいっぱい。もちろん荒木田さんでの御奉公のことなんざ、忘れとった。祝言の前にはそりゃあ、荒木田って呉服店にいて、なんて話も出ただろうが、いっしょになってからは女中改め嬶も、昔話なんてせんかった。つらいことばっかりだったんだからな。
ところがあるとき、旦那がふと聞いちまった。
前にいた呉服屋って、どんなところだったんだって。
うん……べつに深い意味なんてなかったろうさ。もちろん、終わったことを詮索する気もなかったんじゃないか。
嬶はな、そうそう、そのとおり……ついつい開かずの間でのできごとを話してしまったんだ。
開かずの間に閉じ込められて、そこには女が三人いて……ってな。
それでなあ……話が終わった瞬間。
嬶が上半身を突っ伏すような恰好で、倒れっちまった。
慌てて旦那が駆け寄ってみたら、口から泡をふいてる。
救急車を呼んだんだが、助からなかった。急な心臓発作だったんでしょう、で終わり。
だが、弔いのときに旦那が気づいたんだけれども、嬶の首筋に、針金で締めたような細い筋が一本あった。夫婦で話をしていたときに、部屋には誰もいやしなかった。医者は藪だったのかどうかは知らんが、針金みたもんで締められ、息ができなくて死んだとは見立てなかった。
じゃあ、首に残っていたこの赤い筋は何なんだ……旦那は、開かずの間の話を聞いちまったからな。
話すなっていわれていたのを話しちまったから死んだんだと……そう疑った。
それで……この旦那……この旦那ってのは、おれの伯父なんだが……伯父が、この話をおれにした。
ああ、この間、御歳九十三で亡くなったんだが、頭ははっきりしてたよ。おれよりまだ頭がいいじゃないかってくらいだった。その伯父がなあ、ポックリ逝く前の日になぜかこの話を聞かせた……とまあ、こういうわけだ。
いや……違うちがう。こないだ死んだのは、また別な伯父だ。
じゃあ赤い筋が首にできたかというと、それが、やっぱり現れたんだ。いやいや……まもなく消えて、跡は残らんかった。
それで今日、この話をして首に赤い筋が……針金で締めたような跡ができるかどうか、ひとつ試してみたいと思ってな。
いやいやいや……そりゃない。死にゃせんだろうよ。
ん? うん、安請け合いじゃないったら……だいたい、その開かずの間、すでになくなっちまってるんだからな。
開かずの間にいたとかいうモノノケも、どっかに行っちまったんじゃねえか。
ああ、そうさ。いったじゃないか。
昭和十五年の大火で、焼けちまったんだよ。荒木田さんの前の店は……。
死にゃせんだろうが、最後にいっておく。
おれにもやっぱり、首に赤い筋ができた。うん、そんな馬鹿な話ねえと思ってな、オッカアにしゃべっちまったんだよ。
ただなあ、おかしいんだ。
伯父んときは消えたんだが、おれのは消えねえんだよ。
もう半年くらい前に話したってのに、薄くなりもしない……ああ、オッカアは誰にも話してないらしい。話す気もないってさ。
いやいや、大丈夫だろう。
おれ、話してすぐに死なんかったからなあ。
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