百物語 第十四夜
幽霊アパート
※怪談です。苦手な方はご注意ください。
以前、私は個人経営の塾をしていまして、教え子のひとりに、家がお寺って子がいました。
その子から聞いたんですが、お寺の向かいに建っているアパートで、幽霊が出ると。
高校生の話ですから、最初はふんふん聞いていたんですよ。築十年ほどだし、外観も今風でね。だいたい、お寺の向かいなのに成仏してない霊がさまよっていていいのかって、笑っていったんですよ。
それでも「出るもんは出るんだ」なんていうんです。
夜、顔が血まみれの女が壁からぬっと現れて、部屋をつっきって向かいの壁へと消えていく。つまりは、その部屋を通り道にしているわけですね。
このアパートには、表通りに面して駐車場がありましてね。なぜかはわかりませんが、そこをぐるぐる回っている女の姿を、見た者もいるっていうんです。ああ、それは顔が血まみれじゃなく、また別の女性なんですがね。
ざっとこんな噂話が、教え子の周辺で話題になっていたそうです。恐らく虚実ないまぜになって、尾ひれもついているんでしょうけどね。
教え子の父、つまりご住職がいうには、かつてアパートのあった場所には馬頭観音が祀られていた。でも、よそに移転してしまい、その鎮めがなくなったから現われたものだろう…そういっていたと。
なぜかこの町のお寺はかたまっていましてね、どれも大きいお寺でもないんですが、宗派の違うのが南北に四軒、並んでいるんです。ちょうど件のアパートが、四つのお寺の真中にあるんで、その位置もよくないのかなと思うことがあります。
それで、よせばいいのにその話を聞いた日に私、見に行ったんですよ。もちろん、その教え子に、何もいなかったじゃないか、といいたいためにね。
授業が終わって宿題の丸つけなんかが終わってからなので、もう真夜中でした。
向かい側、つまりお寺の門を出たところのすぐ横に車を停めましてね、運転席から駐車場の方を見ていました。まさか、アパートの部屋をのぞくわけにはいきませんからね。
壁がクリーム色で、屋根は紺色、部屋は六つあって、明かりがふたつ、ついていました。カーテンの有無からして一部屋が不在か寝てしまったか。他の三部屋はあいているらしい。
駐車場には、一台も車がありませんでした。
消えかかった白線が引いてあって、駐車場の敷地じたいに若干、傾斜があるようです。
すぐそばに街灯が立っていて明るいし、陰気な感じもしなかったしで、十分もしないうちに飽きてきました。それで、エンジンキーを回そうとした瞬間ですよ。
ブウウーーン……
蜂の羽音のようなのが聞こえてきました。いえ、実際、ドアを開け閉めしたときに蜂が入り込んだのかな、って思ったんですよ、最初は。
刺されるのは嫌ですから、ゆっくり助手席の方へ身体を向けて、探したんですよ。後部座席の方へ首をむけて、どこかに隠れていないか見てみた。するとまた、蜂が飛ぶような音がしました。
ブウウーーン……ブウウーーン
心なしか、最初に聞いたのより音が大きくなったなって思ったら、
ブウウウーーーン
と、すぐ耳元で聞こえて、びっくりしたんですよ。
それで、ハッとして駐車場の方を向いたら、そこにいたんです。
女がいて、めちゃくちゃに手を振りまわしながら、でたらめに歩き回っている。
私、それまで幽霊とかオバケとか、見たことはありませんでしたけど、すぐにわかりました。ああ、これはこの世のものじゃないな、って。ええ、すぐに気づきますよ、あれは。
だって、二メートルくらいの腕の人なんて、いますか?
腕全体を鞭のようにしならせて、振りまわしながら、うろうろしてるんですよ。
蜂の羽音だと思ってたのは、女が腕を振ったときの音だったんです。
それでもまだ、車の中にいるって安心感がありましたね。今、こうやってお話できるのも、どこか車から出なければ大丈夫だって思ってたから、平静を保てたんでしょう。
それでも、あんな禍々しいものは長い間、見たくはありません。手は震えていましたけどエンジンキーを何とか回して、車を出しました。
家に帰ったら、すぐ強い酒を飲んで寝ましてね。
翌朝、起きてから何だか違和感があるなって、心のどこかに引っかかるものがあるなって、落ち着かなかったんです。
顔洗ったり、飯食ったりしているうち、レースのカーテン越しに見えている車、ああ、もちろん私の車ですよ。どうも車のことが気になってならない。
それで、カーテンを開いて見てみたんです。
フロントガラスがなくなっていました。
慌てて着替えまして、行ってみたんです。車のところへ。
フロントガラスどころか、ウィンドウ全部が割られていました。
それからはもう、警察呼んだり、保険屋に連絡したりで大騒ぎしたんですが……。
警官がいうにはね、この割れ方は外から衝撃を受けたもんじゃないよ、って。交通課にいたから、何度も事故の処理をしてるからわかるんだけど、ってね。
「鍵はちゃんとかけましたか?」
そう聞かれたけど、確かに鍵はかけたはずなんだな。
結局、事件にはできそうにないし、ウィンドウ全部を入れ直すとかなり金もかかるんで、廃車にしました。
いや、違うな……廃車にしたのは、ガラスが中から割られていたからです。
私はね、てっきりその女の腕を回す衝撃波か何かで、割れたと思った。でも、あれは……姿は見えないまでも、車の中に入り込んでいたのかもしれない。
そう考えるとね、これはもう廃車にするしか、ないじゃないですか。
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