まだ真夏までには日数がありますが、納涼企画として一日一話、百日間、怪談をアップして参ります。つまりは「百物語」の形式です。
百物語の会は江戸時代、さかんに催され、特に武士の間では肝を練るための一法として、はやったそうです。
百本の蠟燭をともし、怪談を語り終えるたびに一本ずつ消していき、最後の蠟燭が消えたときに奇怪なことが起きる。怪談を話す部屋とは離れたところに、燈台と鏡を用意することもありました。話し終えた人がそこへいき、燈台から糸状になった芯を抜く。もちろんこれは、初めに百本垂らすのです。その後、鏡で自分の顔を見てから帰ってくる。
江戸時代以降、「百物語」と銘をうつ書物がたくさん刊行されてきました。しかし、ひどいものになると三十話ほどしか載っていないものさえあり、大事をとって、最高でも九十九話で止めるのが慣例となっています。
私は神職ですので、年齢、性別、職業その他いろいろな立場の人とお話しする機会があります。お話ししていて、ふとしたときに、これから百日間、当ブログにあげるような話を耳にすることもあります。
ただ、聞いたままだと、話をしていただいた方に迷惑がかかりますすので、設定を変えたり、話のキモの部分を意図的に逆にしたりしています。江戸時代を中心とした随筆に似たものがあれば、それを取り入れもしています。
したがいまして、会話調ではあっても、聞いたままではありません。
怪談を聞くことじたい昔から好きでしたから、かなり前に聞いた話もあります。いまでは連絡がとれなくなった人や、亡くなられた人もいますので、こんなに長い間、怖い話を聞いてきたんだなあと改めて思うしだいであります。
なお、こうしたものを読む際のお約束として、当ブログの百物語中の一連の話を読んで何か奇怪なことが起き、読んだ人に何らかの不利益なことがあっても、私には責任はとれません。
予防線はいくつか張ってあるので、そのひとつを申しましょう。
6月15日より公開を始めますので、100日後は当神社の例祭日の期間中になります。大祭式で斎行いたしますし、宵宮祭では大祓詞を奏上します。例祭は当神社でもっとも大きなお祭りですので、神様のお力もいつも以上に強くなっております。
これはそのまま書いて人に読ませたらまずいだろう、という、いわばキモの部分は職業柄、わかっていますので、気をつけてはいるつもりです。それでも何かありまして、どうしてもお祓いを希望したいという方はご連絡ください。
ただし、当神社でのご社殿でのお祓いになりますので、あしからずご了承ください。
恐怖を感じさせるよりも、不思議な話がほとんどです。
どうぞご覧ください。
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