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2019/06/13

日本人みな食えなかったころ


※けっこう長文です。ご注意ください。

『写真週報』は内閣情報局が編集・刊行したグラフ雑誌で、昭和13年(1938)2月16日号から同20年(1945)7月11日号まで刊行されました。価格は10銭でA4版、20ページ。最大20万部を発行といいますので、時代が時代とはいえ、すごいものです(画像はwikipediaより。概要はリンクをたどり、ご覧ください)。

 さいきん調べものをしていて、たまたま昭和20年6月20日発行の第447・448合併号に記載の「最近の食糧事情」を読む機会があり、おどろきました。

 すでに配給制となってひさしく、終戦まぎわですから窮乏生活をおくっていた人も多かったころです。その記事のはじめは、

 食べ物ばかりでなく、なんでも作り出される分量、つまり供給と、使ふ分量即ち需要が平均してゐれば問題は起らないのだが、この均衡が破れ、供給が少く、需要が多くなると、物は足りなく窮屈になるわけである。この道理から、近頃、とみに窮屈になつた主要食糧事情の裏には、きつと需給の不釣合が起つてゐるに違ひないことが分るのである。

 いえ、「需給の不釣合」じゃなくて、供給が圧倒的に足りなかったのではとツッコミをいれたくなります。

 では、その不釣合はどんな風に起つてゐるのであらうか。

 もともと日本のお米の生産高は、平年作でだいたい内地米が六千三百万石から四百万石、朝鮮米が、約二千万石、台湾米が一期、二期を合せて約八百五十万石程度であつた。ところが、これに対し、内地の食生活に必要な分量は七千八百万石ほどなので、その差引不足分約千四、五百万石は、主として朝鮮、台湾から入れ、多い時には朝鮮から約一千万
石、台湾から約四百万石に上るお米を移入して、内地における米の需給の釣合をとつてゐたのである。

 日本本土だけで6,300万石から6,400万石の供給に対し、需要は7,800万石平年作で1,500万石くらい少なく、最初から日本本土だけでは供給しきれていなかったのです。凶作の際は当然、もっと供給量が少なくなります。

 しかるに、支那事変についで大東亜戦争が起るに及び、日本におけるお米の需要は急激に増え、内地では、ひとり鮮米、湾米の応援ばかりでなく、タイ、仏印等の南方からも相当量のお米を輸入しなければならず、特に大東亜戦争の勃発した昭和十六年には、東北地方の冷害等で、内地の米は五千五百万石といふ、平年作よりも八百万石も少い大凶作に見舞はれた上、更に朝鮮からも計画通りの米が入らなかつたので、十七米穀年度(つまり昭和十六年十一月より七年十月末まで)には南方米を大量に輸入しなければならなかつた。

 戦時中に、なぜ需要が増えるのかが書かれていません。農家の働き手がへるので供給が減るように思うのですが、そうでもないようです。そのうえ冷害により大凶作、このころは輸入米を食べるのはふつうだったんですね。なおこの記事の書かれた終戦の年も、米の収穫はあまりよくありませんでした。

 次いで十八年度はどうであつたかといふと、この年度は、十七年の内地米は非常な豊作で、六千六百七十万石といふ、戦時下には珍しい実収高を示したのであつたが、朝鮮が大凶作であつたため、結局、朝鮮からの移入を防ぐことができず、この年度も相当量の南方米を輸入しなければならなかつたのである。

 豊作でも上の需要量を見ると、とうていまかないきれない状況だったようです。さらに朝鮮で大凶作、日本へと人が流れてくるので需要が増え、結局輸入しなければなりませんでした。

 幸ひ、この頃は戦局もわが方に有利に展開してゐたため、これら南方米の輸入にも、さしたる支障が起らなかつたのであるが、これが昨十九年度になると非常に調子が変つた。即ち、この年度は、内地米は約六千三百万石でほゞ平年作、朝鮮、台湾が平年作よりやゝ悪いといつた成績で、内外地を通じての供給力は、まづまづといふところであつたが、戦局の推移は、漸く我に不利となり、このため、こんどは南方からの外国米の輸入が絶望に近いといふ状態に陥つたのであつた。このため政府では、前年まで南方米が引受けてゐた、内地米の不足を補填する役割を満洲の糧穀に振替へることになり、新たに日満を通ずる食糧自給態勢を確立することとなつたのである。即ち、幸ひにも未曾有の豊作に恵まれた満州国から、大豆や高梁等の雑穀を内地に運び、同時に内地自体においても、お米の代りに甘蔗や麦を配給し、その主食化をはかると共に農家の供出を強化し、他方消費の面においても、お酒を造る米の量を減らすとか、その他いろ/\な業務用米を圧縮削減するなどの手を打つて、やうやく需給の釣合を保つたのであつた。

 戦争の激化により南方米の輸入が困難になった。それで満州より雑穀を輸入、日本ではさつまいもや麦の「主食化」をはかり、農家からの供出を強化。酒造につかう米の量を減らさせる。さまざま努力して「需給の釣合を保っ」たとのことです。でも、日本本土のみ見ると最初から供給が少ないわけで、毎年輸入にたより、需要に何とかあわせていただけにすぎません。

 このやうに昨年度は多分に危険を孕みながらも、どうやら切抜けて今年度に入つたのであつたが、それでは今年度はどうかといふと、あつさりした言ひ方かも知れないが、今年度は昨年度よりもなほ一段の困難が加つてゐるといふことが言へるのである。

 即ち、去年の秋の内地産米は東北、北陸地方の水害、西日本のひでり、その他肥料の不足等が大きく響いて、米の実収穫高は五千八百七十万石と、遂に六千万石を割り、また朝鮮も不作で、鮮米の輸入も当てにならず、一方戦局の進展はいよ/\益々我に不利に傾き、このため南方からの外米はおろか、台湾米さへも入る見込みがないといふ状態なので
ある。

 米の供給に関して、お先真っ暗ということを「あつさりした言ひ方」でいわれてしまいました。

 しかも需要はとみると、本土決戦に備へる軍動員、生産力の増強をはかるための産業要員の動員等から、加配を受ける人の数がぐんとふえるので、結論として今後の需要量は減るどころか、逆に昨年度よりぐつとふえることになるのである。

 さて、このやうにみて来ると、今年の食糧事情は、年度の初めから、つまり出発点において既に需給の間に大きな不釣合が起つてゐたことが明らかなのである。

 戦時下では需要がなぜ増えるのか、ここに書いてありました。筆者の頭をかかえているようすが目に浮かびます。

 そこで、この不釣合を何んとかしなければならない……といふので、政府でも打てるだけの手を打つてきたのである。即ち、供給の面においては満洲から昨年度よりも、より以上大量の雑穀を入れると共に、内地においては、麦、甘蔗、馬鈴薯の大増産を企て、一方、農家の供出を促し、最近に至つては、別項の如く、各農村において調整米の造成をはかり、これによつて、供出後の農村自体の需給調整を強化させる等の措置をとつたのである。そして、他方、需要の面においては前年度にも増して、酒造米、その他業務用米の圧縮をはかり、また配給の適正をはかるため、帰順配給量の改訂、幽霊人口の調整、外食券制度の確立(別項参照)等を順次行つてゐるのである。

 こうした政府の努力にもかかわらず、終戦後まもなく食糧危機におちいったのはいうまでもありません。需要が供給を越えた状態のまま多年放置してきたことの、つけがまわってきたのでしょう。供給量を増やすやりくりがつかなくなって、あわててさまざまな政策を講じたように思えてなりません。

 今年度の食糧情勢は、今日迄のところこのやうな推移を辿つてきてゐるのであるが、さて、それならば、端境期に向ふ、今後の情勢はどうか、といふに、それはいよ/\困難、窮屈を覚悟しなければならないのである。

 即ち、今年の難局切抜けにまづ期待をかけられたものは前述のやうに満洲からの雑穀であつたが、敵が沖縄に足場を固めた今日、内地、大陸間の輸送が思ふやうに行かなくなることは改めて述べる迄もない。従つて、今後満洲糧穀を計画通りに入れることは極めて、むづかしく、かうなると、残るところは内地の麦作と、甘蔗、馬鈴薯などであるが、この麦作が、今年は天候等の関係から余り芳しくなく、予定通りの収穫、供出には相当の困難が予想されるのである。また、馬鈴薯、甘蔗は相当の大増産が行はれても、これにはまた、航空燃料の原料といふ、新らしい使命が課せられてゐるので、それが食糧として振り向けられる分量にも自ら限りがあるのである。

 このころ、すでに沖縄には米軍が上陸しております。確かに満州からも、朝鮮、台湾からも平時そのままに輸入することは困難でしょう。かといって日本本土での増産も期待できない……何だか、弱音ばっかり聞かされているようです。

 このやうに考へると、端境期に直面した食糧事情は、非常な困難が重つてゐるわけで、並々の努力では、この困難を克服することはとても出来ないのであるが、さりとて、食糧が戦力の基盤である以上、われ/\はどんなことをしても増産し、食ひ抜いて行かねばならないのである。

 幸ひに、わが国は昔から千五百秋瑞穂国といはれ、国民の土地の利用の仕方、活かし方、努力、工夫次第で、一億一人として飢ゑることは絶対にないのである。

 それならば、この有難い皇土を活かし、この食糧の問題を解決するには、農村の人、生産者はどうすればよいのか、消費者は如何なる心構へをもつて新らしい食生活を打立てねばならないのか、われ/\は今こそ真剣に考へねばならないのである。

 前述のように政府としても努力をつづけてきたが、今年は特に厳しい。食糧不足を克服するのは困難だが、何とかして生産者、消費者ともに努力せよ、とのことです。

 むかしの人はいまよりもずっと米を食べていましたし、いまは米の需要量より供給量の方がずっと多い時代です。このころほど多くの人が食うに困る事態におちいることは考えにくい状況の中、あとだしで何かいうのはかんたんではあります。それでも、そもそも戦時体制に移行するより前、需要と供給がかけはなれる前に農業政策にもっと力を注いでいればよかったのでは、と思います。

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