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2019/08/06

ハーモニカ

百物語 第五十三夜

ハーモニカ


※怪談です。苦手な方はご注意ください。



 小学生の頃、原爆の史料が私の住んでいた田舎町にきましてね。熱で溶けたビール瓶とか、ボロボロになった制服とか、そんなのが一、二週間、公民館に展示されたんです。それを校外学習で見学に行きまして、帰ってきて感想文を書いて提出。

 ああ……あなたも見ましたか。そんなふうにして。

 広島、長崎まではなかなか行けませんからね。そうやって、全国を回っていたのかもしれません。今はどうかわかりませんが。

 ちょうどその日のことなんです。放課後、図書室に行って本を借りまして、家に帰ってからそれを読んでいましたら、原爆にまつわる話があったんですね。

 広島では、夕方になるとハーモニカを吹きながら現れる被爆者の霊が現れる、と。

 話としてはそれだけなんですけど、そのくだりを読み終えた瞬間、もう涙があふれて止まらなくなりましてね。日暮れどきのもの寂しい時分に、ハーモニカを吹いている被爆者の霊。幼心に、何とも切なくてね。

 原爆の史料展に行った日、たまたま借りた本に、原爆にまつわる話が書かれていた……。これだけなら、ただの偶然なんでしょうけどね。

 それからしばらくの間、夕方になるとハーモニカの音が聞こえるようになったんです。

 うちは晩飯の時間が早めだったんですが、茶碗を持とうとすると、かすかに外でハーモニカの音がする。

 日が短くなってきたら下校後、習字に行く途中でも聞こえました。そろばんを弾いているときにも聞こえて、集中できなかったこともあります。

 私の知っている曲はひとつもなくて……いいえ、むしろ音合わせのような、試しに吹いているような感じで、一曲まるまる吹いていたことは、なかったような気がします。

 この霊の話が実話だったとして、失礼かなとは思うんですが……原爆にあってしまった人がハーモニカを吹いていると思うと、やっぱり怖かったんです。

 でも、幸か不幸か……この言い方が的を射ているかどうかはわかりませんが、音だけだったんです。ハーモニカの音だけ。原爆にあった人の姿が、目の前に現れたということは一度もありませんでした。

 だいいち、それからまもなくハーモニカの音も、聞こえなくなったんです。子供は子供なりにいろいろ忙しくしているうちに、ふと気づくと夕方になっても聞かなくなっていた。そして、そのまま忘れてしまったんです。

 何十年もたちまして、最近調べものをしていて……そう、仕事がらみです。図書館に行きましてね、マイクロフィルムで昔の新聞を見ていたんです。

 それで、ハッとさせられた。

 これも、たまたまなんですが……原爆にまつわる話で、ハーモニカを吹きながら現れる霊が広島で現れた、という記事を見つけたんです。子供の頃に読んだ本の元ネタ、元ネタじゃなくてもそのうちのひとつ、だったんでしょう。

「ぞーっとする夏の夜話」のうちのひとつの「ハーモニカ吹く亡霊」という小見出しの中で、書かれていました。

 内外タイムスの……昭和29年7月28日付の記事でした。

 ちょっと違っていたのは、夜寝ているときにハーモニカの音がするということです。

 初めは遠くからかすかに聞こえ、だんだん近づいてくる。

 音がひときわ高く鳴りだすと同時に、縁先にだれかが自転車で乗りつけるような気配がありました。

 見れば、被爆した姿の男で……誰だ、と声を掛けるとスーッと消えてしまったそうです。

 借家でしたから翌日、大家さんに事情を説明したところ、以前住んでいた男が原爆にあって死んだといいます。ハーモニカ好きで、被爆当日は買ったばかりの自転車に乗っていったんだと。

 何ともいえない気分になりましてね。一気に子供の頃の記憶がよみがえるようでした。人目もはばからず、号泣してしまいまして。不審に思った人から知らされたんでしょう、司書さんに声をかけられるまでね。

 はい、そのせいか……その日の夕方からまた、ハーモニカの音がかすかに聞こえだしたんですよ。

 記憶の中にある、小学生の頃に聞いた音と同じでした。

 被爆した人というのは、やっぱり見ていないんです。ただ、ハーモニカの音がするだけです。

 そろそろ日が暮れてきましたね。

 もうちょっとしたら、聞こえると思います。

 あなたにも聞こえますかね。物悲しい、ハーモニカの音。

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