三矢重松先生一年祭祭文 折口信夫 大正十三年
かくり世はしづけくありけり。さびしきかもと大きなげきし給ひて、やがて来まさむものと思ひまつりしを、うつし身の事のしげさ、片時と言ひつゝも早も一年は来経行きぬ。
三矢重松大人の命や、いまし命のみおもかげは、これの大学の廓のゆきかひに立つとは見れど、正目には、おはしゝ日のそびやげる御うしろでをだに見ずなりぬる。
大やまと日高見の国の元つ教へを、をぢなくかたくなしきわれどちに、ねもごろにさづけ給ひて、つゆうませ給ふさまなく、ある時は、あぎとひせぬ子を、母の命(ミコト)のひたしつゝ撫でつゝおふし立つる事の如く、ある時は、讐(アタ)懲(キタ)むる軍君(ギミ)なす目さへ心さへいからして、叱りこらし給ひけむ。
わかきほどの三年四年あるは、五年よ。み心ばへにかまけまつりし事を思へば、あはれ大人の命のいまさゞりしかば、われどちいの今日の学問も、思想も生ひ来らざましを。あはれ大人の命や、世人(ヨビト)にははえ多く見え来し文学博士の名すら、み名にかけて申せば、つゆの光りなきなべてのものにてありけり。
いまし命國學の道に立つる理想を、ひた守りにまもりをへ給ひしかば、道のいりたちいと深くいましゝは更なり。教育家と言ふ方より見るにも、まことなきあきびとめく人のみ多き世に、ひとりたちそゝりて見えたまひしを、こぞの七(シチ)月十(ジフ)七日のさ夜中に、にはかにも世を易へ給ひて、泣きいさちる我どちのすべなき思ひをあはれとや見給はぬ。ゆくへも昏(ク)れに、道にまどふこゝだの弟子を、かなしとや思ひ給はぬ。かくり身のさびしさに馴れて、み眠りのどにしづまりいますをおどろかしまつりて、今日しこゝにをぎまつらくは、おくれたるわがともがらの恋しくに心どはなり、悔(クヤ)しくに慕ひまつるさまを、つばらにも沁(シミヽ)にしわけまさせむとて迎へまつるなりけり。ひそかなる世に住み給へば、ほがらに聞きわくべくなれる耳のさとりよく聞き知りたまへと申す。
今年はじむる年のめぐりのみ祭りの今日をはじめにて、われどち生きてあらむほどは、その年々に怠る事なく、こととり申さむを、その時毎にたちかへりこゝにより来たまひて、わがともがらのしぬびまつる心をうけたまへ。あらまし事は千年をかねても尽くる事なけれど、うつし世にたへずと言へるみ身のいたくつからしぬらむ。
いで、岩床安寝(イ)にかへり入らせ給へ。天がけり神あがらせたまへと申す。
この祝詞は『折口信夫全集27巻』(中央公論社、平成9年)によります。
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