三矢重松先生歌碑建立の祭詞 折口信夫
昭和十八年九月「國學院雑誌」第四十九巻第九号。十九年二月「鳥船新集第三」
昭和十八年七月、羽後国西田川郡湯田川温泉、由豆佐米神社境内にて
天飛ぶものと航空機 空より行けど、この国土の上のこと 一つ〱つばらに知りたまへり。あはれ、むかしの三矢重松大人の命。今しはまたく神(カミ)成(ナ)りまして、廿年前も、ことしこの月けふの日も、ひとつ七月(フミツキ)とをかあまり六日の日の 若昼の光りたゞさす此石ぶみのほどに、みまし命のみ霊こひ降(オロ)し、鎮めまつることのさまを、聞きたまへとまをす。此向つ峰(ヲ)の金(カネ)の御嶽(ミタケ)の峯の石掘りおこし、荒砥もてすり、和砥(ニギト)もてみがき、岩肌なめらに彫(ヱ)り出でたる文字のいうなると、石工(イシク)がのみのにほふが如きと、歌のみ心に相かなひて、まことも、我どちをぢなき者どもの歌霊も、おびかれ出でぬべく、よみ残したまひし大人なつかしく、ともすれば口ずさまるゝこれのみ歌のすがたなるかも。
わが思ふ田川処女に かざゝせて、見まくしぞ思ふ。かたかごの花
出羽の国田川の西の郡 み湯わく田居の田川の傍(カタ)岡 由豆佐米の杜にいます神のみたまのふゆにあづかりて、里びとみな顔よく生ひ出で、あるは、加賀帽子もり出づる眉(マヨ)引(ビ)き清らに、あるは、野の花 山の花をりかざす髪の、たわよき様など、はやく大人の命の、み心あきらに喜び歌ひたまへることなりけり。
里びとや。里の子どもや。新(イマ)立つる石ぶみの歌にあえて、汝(ナレ)たち その美しき心の、面(オモ)に匂ひ出づるまで、いや勤(イソ)しみ、いや虔ましく、すめら御国の事あるこの日に仕へまつれ。かく大人の命の歌の心 ときのぶる者は、東京都國學院大學のそのかみの大学(フミヤ)学生(ワラハ)にて、大人の命のまなび子として、国学の道みさかりにおこる今日この頃、学者なるは学者として、神主なるは神主として、あらた代の大御業のたゞかたはしも、おふけなけれど、あなゝひまつらむの誓言(チカゴト)堅(カタ)に、こゝに集ひて、大人のみ霊にかしこまりまをす某甲(ナニガシ)、某乙(カヾシ)なり。
この祝詞は『折口信夫全集27巻』(中央公論社、平成9年)によります。
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