三矢重松先生二十年祭祭文 折口信夫 昭和十九年十二月「鳥船新集第三」
この殿よ、二十年(ハタトセ)経つ。この苑よ、二十年経つ。二十年来経行きて、物毎にとゝのほり見ゆるこの殿を、祭りの庭に厳(カザ)りなして、こゝにをぎまつり、いませまつる神、旧(モト)のみ名三矢重松(ミツヤシゲマツ)大人(ウシ)の命(ミコト)の、既(ハヤ)く神成り備(ソダ)りいます神のみまへに、この世なりしほどの学び子 なほ残りとゞまれる誰彼、遠き出羽(イデハ)の山の峡(カヒ)より、きそのゆふべまゐ出で来(コ)し者さへまじりて、二十年の御祭りつかへまつることの様を見あきらめ給ひ、昔のまゝにをぢなき者どものしわざと、見なほしうべなひ給ひて、み心おだひにうけたまへ。
五年のみ祭り、十年のみまつり仕へまつりしほどは、大人の命なほ、全(マタ)く現し身のなごりさり給はず、われどち亦いまだ若くて、哭く子なす恋ひなげき、大人のみ姿を目に見、大人の御声を耳に聞くがごと思ほゆるまに〱、心そらにこそ、仕へまつりたりしか。
この祭り仕ふる今日や、いやはるかに時へだゝりて、われどちの現し身には堪へぬ神の階(シナ)にしづまり給ふなりかり。しかすがに、おむがしく思ほさむこれの世のl現実(マサカ)のたゝずまひ 一つ・二つ申さむと思ふは、如何に。
梓弓真弓槻弓 支那事変起りて、みいくさいや勝ちつぎ、八十物部(モノヽフ)の鋭心いやふるひ、ことひろごりて、大東亜戦争と戦ひほどこり、大倭島根の神々こぞる神哮び いやはやびにはやびて、みいつあまねく、天地のそきへに到りぬ。かく栄ゆる国内に、神力のいちじるきを悟り、国の古事をしふる国学のまことの心知らまくほりする人、やゝ〱に多くなり来ぬ。
今し思へば、大人の命こそ、明治・大正の大御代かけて、この道のいやはての学者なりしを。その世にはいまだ、人の智慧短くて、大人の命の説きます詞には、耳傾くる者も少かりしを、みさかりに栄え来る国学と、國學院大學の道とのさま見れば、まことも、大人の言ひおき給ひしことのはの八十言霊(ヤソコトダマ)の、二十年経たる今のまさかに、さきはへ初むるなりけり。大人の教へ子の一人、この頃、歌よみしつらく、
師は 今はしづかにいます。あら〱と 我を叱りしこゑも 聞えず
とよみつるは、この盛りの世にありて、時ありて、静かに思ひを凝し、大人の命の神成りいます遠き境の、ゆたに しづけき様を思ひ見つるなりけり。
あはれ、そのかみのわが師の命 三矢重松大人の命、神しづまる遠世の耳あきらかに、わがまをすこと、つばらに聞きわき給ひ、み心たらひに、わがともがらの家刀自たちが作り出でたるともしけき食(ヲ)し物のくさ〱を、くひこゝろみたまひて、今の世の人々、国学の心を、おのが心に活して、つゝしみて世を経る様を見知りたまひ、この祭りの場に充ちゐる人々の上に、めぐみ深き昔のまなざしを見入れたまひ、かの世の神の位に還り給はむ暫しがほどを、楽しみ、よろこび、あそび給へ、とこひ申す言、聞き給へとまをす。
この祝詞は『折口信夫全集27巻』(中央公論社、平成9年)によります。
0 件のコメント:
コメントを投稿