江戸時代の高名な国学者・本居宣長の『毎朝拝神記』を見ておりますと、本居宣長がいちばん怖いと思っていた神様がどなたなのか、だいたい予想がつきます。
『毎朝拝神記』はタイトルほぼそのまま、毎朝神様を拝む次第とその拝詞(祝詞のようなもの)が書かれています。神棚に向かってではなく、おまつりされている神社の方角を拝むという形、つまり遥拝の次第といっていいかと思われます。
本居宣長は国文学はもちろん、『古事記伝』を残すなど神道学の上でも多大な業績をあげた方です。
では、その宣長さんが一番恐れていた神様はどなたか。
それは、『毎朝拝神記』の中で、はっきり神様のお名前を申し上げない「熊野の大宮に鎮座(しずまり)坐(ま)す大御神」と推定されます。
他の神様は、本文の記述通りにあげますと、
天照す皇(すめ)大御神、豊受(とゆうけ)の皇大御神、高御産巣日(たかみむすびの)大御神、神産巣日(かむむすびの)大御神、大国主の大神、少那毘古那ノ大神、事代主ノ大神……
皆様、はっきり名前を書かれています。今日われわれがお呼びするのと、ほとんど変わりません。
では、「熊野の大宮に鎮座坐す大御神」は普通何とお呼びしているのでしょうか。「熊野」といえば和歌山の熊野速玉大社、熊野本宮大社、熊野那智大社がすぐに思い浮かぶかもしれませんが、
八雲立(やくもたつ)出雲の国の熊野の大宮に鎮座坐す大御神
と、すぐ直前で申しておりますので、出雲の熊野さんのことなんでしょう。昔は「熊野坐神社」、今「熊野大社」と呼ばれているお宮です。
それで、スサノヲノ命かと思いますし、たぶん宣長もそう考えていたのではとは思うのですが、熊野大社の御祭神は櫛御気野命(くしみけぬのみこと)と申し上げるんですよ。
櫛御気野命とスサノヲノ命は、一般に同じ神様とされています。
納得いきますか?
納得いかない?
ただ、神様とそのお名前の関係の基本を申し上げますと、
名前=働きなんですよね。
お名前を見ると、どんな神様なのかがだいたい分かるわけです。
「名前」の方に注目するなら、それが何であるのかをある程度はっきりさせます。(粗雑ながら)空といったら、上にある青いやつで雲が浮かんでるあれだな、海といったら、なめたらしょっぱい、魚やら貝やらがいて船が浮かんでいるあれだな、などと分ります。
一方、「働き」の方は「解釈」になってくるのでけっこう曖昧であります。ここであげた二柱の神様に話を戻して、よく見る神名解では、スサノヲノ命は「スサ」は勢いのはなはだしい、「ヲ」は立派な男で、荒ぶる神様のイメージがわきます。
櫛御気野命の「くし」は不思議な、「みけ」は食べ物ですから、食物の生成する不思議な力を神格化したのではと考えられます。
この「働き」の部分で、似ていると考える人が、結局「名前は違うけど同じ神様だ」とするんでしょうね。
本居宣長が両神の関係について、実際のところ、どう考えていたのかは分りません。
私は、はっきりお名前を申し上げなかった=それくらい恐い神様だと宣長が感じていたのでは、と思っています。
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