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2017/05/18

戦前の「学階制度」

 神社本庁の階位は現在、浄・明・正・権正・直の各階です。権正階の「権」は「仮の」または「副」なので置いておくとして、じゃあその他の浄・明・正・直はどこから出てきたかというと、神道で理想とされる心の有様からであり、神に仕える者の心構えからでもあります。

 順番や字の異同などはありますが、天武天皇14年1月21日に改正された爵位のうちに、明位(みょうい)と浄位(じょうい)があって、これは皇子や諸王の位階。一方、臣下の位階には正位(しょうい)と直位(じきい)がありました。その後も例えば続日本紀に「明き浄き直き誠の心」(文武天皇元年8月17日の宣命)、「清き明き正しき直き心」(神亀元年2月4日)などとあります。

 時代は下って明治以降、戦前にはこうした階位はありませんでした。

 明治15年に皇典講究所という機関が設立されると、同年より内務省令により、府県社以下の神社に任用するための条件として、同所を卒業するか、同所または同分所が実施する試験に合格しなければならないと定められました。

 ついで明治19年には学階制度が設けられ、5等級の「学正」と8等級の「司業」が置かれました。しかしこれは、級の数が多いためか、大正10年には「学正」「一等司業」「二等司業」の三つに改変されております。

 明治35年には、同所の学階「学正」を持っていれば無試験で奏任官(※1)待遇に、同じく「司業」保持者は判任官(※2)待遇の神職として任用されることになりました。そして終戦まで、主だった神職養成機関として多数の神主さんを送り出して来た訳です。

 上記の「同所または同分所が実施する試験」に注目してみます。

 まず試験科目は「学正」と「司業」とでほぼ共通。「道義」「歴史」「国文」「法制」「祭式」の五科目。「学正」はこの他に口述試験が課されます。また、「学正」は年一回、皇典講究所にて、「司業」は年二回、同所と同分所とで試験が行われます。

 ちなみにこの間、国会図書館のデジタル文書を見ていますと、この試験の対策問題集が多数ありました。今も昔も試験に臨む人の心理は変わりないようですね。

(※1)(※2)
昔、お役所に勤めていた人のレヴェルのようなものです。大別して上から順に、以下の四つ。戦前のことを調べていると、よく出て来ます。

【親任官】親任式で任命されます。偉い人なので「閣下」と呼ばれます。「親」は「みずから」ですから陛下が自ら任じる訳です。総理大臣や大審院長(今でいう最高裁長官)、神宮祭主、陸海軍大将などなど。

【勅任官】「勅」をもって任ぜられる官吏ということで、この人たちも「閣下」です。なお、広い意味では親任官も含め「勅任官」だそうです。大まかには中央省庁本省の次官や局長、府県知事、陸海軍中将・少将など。

【奏任官】この奏任官までが「高等官」で、3等から9等までありました(1、2等は勅任官)。総理大臣が奏上し陛下がいいよと仰って任命されます。判任官から昇進する人もおり、高等文官試験に合格・採用されたキャリアもいました。軍人さんでは士官に相当します。

【判任官】上記の三つと異なり、陛下の委任を受けた行政官庁によって任命されました。警察官でいうと警部、警部補で巡査部長、巡査は判任官「待遇」とちょっと落ちます。軍人さんでは下士官が相当しました。


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