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2019/05/15

斎田点定の儀2

 本日の北見市相内町は雲量が多いのですが、おおむね晴れ、境内は小鳥のさえずりで賑やかです。きのうお伝えしたように、今日も神社裏のグランドではタンポポがいっせいに花開いています。くもりや雨の日は、逆にこれがいっせいにしぼみ、面白いです。


 では本題、斎田点定の儀についてのつづきです。寛延元年(1748)の史料をご紹介します。
 祭場に祭員一同が入って祭具等の準備が済んだら、まず中臣祓(ほぼ現行の大祓詞と同じ)を、つぎに祭文を奏上します(後述)。
 祭文奏上後は亀の甲羅、竹、木を手にして以下を唱えます。

現天神光一万一千五百二十神、鎮地神霊一万一千五百二十神、総じて日本国中、三千余座、この座に降臨す。全く我咎なし。神の教へのごとく、そのこと、善にも悪にも尊神の御計りたらむ。

「さまし竹」を手にとるときには、以下を唱えます。

上一寸(ひときだ)は太元不測神、中一寸、大小諸神、下一寸、一切霊神。

 甲羅を火にあぶり始めるときには、以下を唱えます。

すべて、それがしがなすわざにあらず、善悪神の御計りと申して、神の置く手に任せて申すと申すなり。

 甲羅をあぶっているあいだ、三種祓を唱えつづけますが、これはよく知られていますので略します。
 以上、ご紹介しました唱え詞は道教や陰陽道の影響を受けているようです。
 いまご紹介している寛延元年(1748)の唱え詞や下記の祭文は、明和元年(1764)8月24日、文政元年(1818)4月24日、嘉永元年(1848)4月24日において踏襲されました。なお、寛延度は桃園天皇、明和度は後桜町天皇、文政度は仁孝天皇、嘉永度は孝明天皇の大嘗祭のために、この儀が行われました。
 なおこの間、明和から文政の間には、安永度の後桃園天皇、天明度の光格天皇の大嘗祭がありましたが、この二度に関しては上のような次第であったかは不明です(小職が史料をもっていない、という意味)。
 かんじんの祭文は、以下のとおり。長いので送り仮名はつけませんでした。気になる語句がある方はご遠慮なくコメントいただけると、幸いです。
 下記は祭文の書き下し文ですが、あまり読み通す方はいないと思いますので先に申しますと、占いにつかう用具・祭具については古事記の天の岩屋戸の段(の占いの部分)そのままに、実際に香具山から用材をとっていた事情を踏まえています。
 また、この祭文は延喜式祝詞「遷却祟神」の前半部分と似ています。天孫降臨の伝承では失敗をくりかえし、ついに成功という話の流れになっていますが、それと同様にこの祭文でも、まず白真名鹿が失敗します。ただし「遷却祟神」とは違い、大詔戸命が「では、わたくしが」と進み出て申し上げた、その発言内容だけで終わっています。
 そのほか祭文を読んで感じるのは、神魯岐命と神魯岐命が直接、荒ぶる神を鎮めたり、皇孫への「事よさし」、つまりこの国を平安に治めなさいと委ねられたことが不鮮明な記述であったりすること。この祭文をつくった人は、延喜式祝詞にあるような語句を解釈する能力にとぼしかったのかもしれません。
 ただ上記のように、嘉永の大嘗祭に際してもこの祭文がつかわれたらしいことから、きのうご紹介した祝詞は、江戸時代中期までさかのぼれるものではないことがわかります。そこで、きのうの祝詞は恐らく明治の大嘗祭のために、つくられたものと仮定しておきます。
 なお、末尾におおまかな意味をつけましたが、上記のような誤認そのままには訳していません。祭文本文の逐語訳ではありませんので、ご了承ください。

高天原に神留り坐す皇親・神魯岐、神魯美命、荒ぶる神は掃ひ平けて、石・木・草・葉はその語を断ちて、群神に詔はく、わが皇御孫命は豊葦原の水穂の国を安く平けく知ろし食して、天降し寄さし奉りしとき、いづれの神を皇御孫尊の朝の御食・夕の御食、長の御食・遠の御食と聞し食すに、仕へ奉るべき神を問ひ賜ふときに、天の香具山に住む白真名鹿(しらまなか)、われ仕へ奉らむと、わが肩の骨を内抜きに抜きて、火なし出だして、卜以ちてこれを問ひ給ふときに、すでに火の偽りをいたす。大詔戸命、進みて啓さく、白真名鹿は上つ国の知れど、なんぞ下つ国のことを知らんや。われはよく上つ国・下つ国の天神・地祇を知る。いはんやまた人の憤りをや。わが八十骨を日に乾きさらし、斧を以ちて打ち、天のち別きにち別きて甲の上、甲の尻に真澄の鏡取り作れ、天の刀を以ちて町を掘り、刺し掃へ、天の香具山のふもり木を取りて、火燧りを造りて、天の香火を〓(木へんに造)り出で、天のははかの木を吹き着け、天の香具山の節なき竹を取りて、卜串を折り立て問へ。土を曳かば下つ国の八重までにまさに聞かむ。天を曳かば高天原の八重までにまさに聞かむ。神の方を通し灼かば、衆神の中、天神・地祇まさに聞かむ。まさに青山を枯山になし、枯山青になし、青河を白川になし、白川を青河になさむ。国は退き立つ限り、天雲は壁き立つ限り、青雲は棚曳く限り、白雲は向伏す限り、日は正に縦さまに、日は正に横さまに聞き通さむ。陸の道は馬の蹄の詣るところの限り、海の路は船の艫の泊まるところの限り、人の方を灼かば衆人の心の中の憤りのこと、聞かしてまさに知るべし。かれ、国の広く曳き立つ、高天のごとく隠れなからん。慎みてな怠りそ。

【大意】高天原に神々しく留りなさり、天皇陛下と近しくいらっしゃる男女二柱の御祖神が、荒ぶる神を退けておとなしくさせ、石や木や草葉もことばを発するのを止めさせたとき、諸神に「わが皇孫は下界の国を平安にお治めになるように」とおっしゃって、皇孫に神々をお伴させ、下界のことを委ねようと向かわせた。その際に、皇孫の朝夕、永遠に食べていくことのできるお食事につき、お仕え申すのはどの神がよいだろうと問われたところ、天の香具山に住む白真名鹿が「わたくしがお仕え申しましょう」と、じぶんの肩の骨を内抜きに抜いて、火を起こしてあぶり、占いでその是非をお問いなさろうとしたが、どうしても占うのによい火が起きなかった。そこで大詔戸命が進み出て申し上げるには「白真名鹿は高天原のことは知っているが、下界のことは知らない。わたくしは高天原の天つ神、下界の国つ神をよく知っている。人の気持ちなどもちろんのことだ。わたくしの骨を高天原でするように天日で乾かし、斧で打って分け、甲羅の上下を澄みきった鏡のようにせよ、神聖な刀でマチを掘って刺し掃い、天の香具山でふもり木を取って火を切る用具をつくり、清らかな火を起こし、ははかの木をたきつけにし、節のない竹を折りとって卜串を立てて神意を占いなさい。もし下界のことを占うとても、下界のさらに奥底までこの由聞こえ、天について占うとても、高天原の上の極みにまで、この由聞こえるだろう。神について占うなら、天つ神も国つ神もすべてが聞くだろう。青々とした山を枯れた山にし、枯れた山は青々とした山にし、青々とした川は白々と、白々とした川は青々とした川にするだろう。陸地の続くかぎり、雲が立ち上るかぎり、棚引くかぎり、雲が陸地に覆いかぶさるかぎりの場所までも、縦横に聞くだろう。陸地の道は馬がゆける限りまで、海路は船のへさきがゆけるところまで。人について占うなら、どの人間の心中、どの感情についてもお聞きになり、知らせるだろう。だからこそ下界のことがはっきり占いに示されるのは、高天原でのことのように隠れなきものに相違ない。身をつつしみ、怠慢なことがあってはいけない」と。

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