新帝陛下御即位を奉祝した懸垂幕を、ご社殿の左右にかけていたのですが、大事をとって仕舞いました。今後もこんな強風の日があるかもしれないので、拝殿内に移そうと思います。
本日は折口信夫先生(wikipedia)の「大嘗祭の本義」という論文の内容をご紹介いたします。古代の天皇について民俗学の見地から考察した論文です。大嘗祭を考える上で、こんにちなお重要ですので、今日は『折口信夫全集 第3巻』(中央公論社)をもとに、その内容をご紹介いたします。
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大嘗祭とは
大嘗祭は新嘗祭の大規模なもので、「新嘗(にいなめ)」は神にニエを奉るための物忌の期間である、ニヘノイミから生まれた語です。新嘗祭はもともと、天皇が神に命令されて行ったマツリゴトの報告をするための祭りでしたが、そこに天皇の鎮魂、復活祭の要素が加わって、複雑化しました。さまざまな魂をつける
悠紀・主基の国から米を奉るのは稲魂を、諸国の歌舞が奏上されるのは諸国の国魂を天皇に奉ることを意味します。大嘗宮において天皇が衾(今のふとんのようなもの)に籠られるのは、お身体に天皇霊をつけるためです。天皇となるために、まざまな魂をつけることが必要なのです。大嘗祭で行われること
大嘗宮で行われる諸儀の前後、天皇は廻立殿にて湯をつかわれます。これを機に大嘗祭のための物忌から解放され、水の霊力を身につけて神格を得て、そこで奉仕する女性と聖婚を行われます。この廻立殿で行われていた復活祭の行事が、時代がくだると大嘗宮で行われるようになったのです。翌日、様々な魂をつけて神格を得られた天皇は、高御座にてノリトをくだされる。そこで地上は天上となり、時間も場所も、人も人の発することばも皆、始原へとに回帰します。大嘗祭の日本文化への影響
大嘗祭で一夜のうちに行われることを見てみると、収穫報告祭(秋)、鎮魂と復活の祭り(冬)、新年祭(春)の各要素を含んでいます。これらが独立して、季節ごとの祭りになってゆくことで日本文化における四季についての観念が成立したといえます。-------------------ご紹介内容ここまで-------------------
新帝が践祚され、大嘗祭が行われるとなると神道人の誰でも故実を調べたり、考察を加えたりしたくなります(かくいう小職も同じ)。大嘗祭関連では、折口先生にはただいまご紹介しました論文のほか、「大嘗祭の風俗歌」「大嘗祭の本義竝びに真床襲衾」「御即位式と大嘗祭と」があり、昭和3年に相次いで書かれました。
なかでも「大嘗祭の本義(別稿)」(『新折口信夫全集 第18巻』p.31)は今日ご紹介したものとは別の論文。悠紀殿・主基殿の意義、皇后の役割について、草稿段階なので大胆な推測がなされていて非常に知的好奇心がくすぐられる内容になっています。
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