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2019/06/12

三矢重松先生一年祭祭文(ひらがな版)

〇なぜかはわかりませんが検索をたどって折口信夫作、三矢重松先生の一年祭歌碑除幕式の祝詞を読まれる方が、けっこういらっしゃるようです。三矢重松先生については、こちら(wikipedia)をご参照ください。

 折口先生の祝詞の構成は、こんにちの神職がつくるものとまったく異なります。「型」というものがありません。

 祝詞には先人がくふうを重ね、つくりあげてきた「型」があります。それを守れば、まず大失敗はありません。しかしながら恩師の三矢先生のみたまに呼びかけようとしたとき、折口先生には型など不要だったのでしょう。古代からきた未来人と称される折口先生ですから、豊富な語彙の蓄積があり、縦横に語法をあつかい、三矢先生との師弟愛を知らない人でも、こころをうつものとなっています。

 いま古語で祝詞を書いたとしても、発音は古代とはかけはなれたものとなってしまうのはまちがいないのですが、それでもこれらの祝詞を読むと、やまとことばの美しさを感じることができます。

 そこできょうは一年祭のほうを、漢語はそのままにし、ほかはすべてひらがなにして再掲してみます。ひらがなばかりだと意味をとるのに時間がかかりますが、ここは意味を置いておいて、音の美しさを感じていただければと思います。

〈以下、再掲〉

かくりよは しづけく ありけり さびしきかもと おおきなげき したまひて やがて きまさむものと おもひまつりしを うつしみの ことのしげさ かたときと いひつつも はやも ひととせは きへゆきぬ

みつやしげまつ うしのみことや いましみことの みおもかげは これの大学の くるわのゆきかひに たつとはみれど まさめには おはししひの そびやげる みうしろでをだに みずなりぬる

おおやまと ひだかみのくにの もとつをしへを をぢなく かたくなしき われどちに ねもごろに さづけたまひて つゆうませたまふさまなく あるときは あぎとひせぬこを ははのみことの ひたしつつ なでつつ おふしたつることのごとく あるときは あたきたむる いくさぎみなす めさへ こころさへ いからして しかりこらしたまひけむ

わかきほどの みつとせ よつとせあるは いつとせよ みこころばへに かまけまつりし ことをおもへば あはれ うしのみことの いまさざりしかば われどちいの けふの学問も 思想も おひきたらざましを あはれ うしのみことや よびとには はえおほく みえこし 文学博士の なすら みなにかけて まをせば つゆのひかりなき なべてのものにてありけり

いましみこと 國學のみちに たつる理想を ひたまもりに まもりをへたまひしかば みちのいりたち いとふかく いまししはさらなり 教育家と いふかたよりみるにも まことなき あきびとめくひとのみ おほきよに ひとり たちそそりて みえたまひしを こぞの七月十七日の さよなかに にはかにも よをかへたまひて なきいさちる われどちの すべなきおもひを あはれとやみたまはぬ ゆくへもくれに みちにまどふ ここだの弟子を かなしとや おもひたまはぬ

かくりみの さびしさになれて みねむり のどにしづまりいますを おどろかしまつりて けふし ここにをぎまつらくは おくれたる わがともがらの こひしくに こころどはなり くやしくに したひまつるさまを つばらにも しみみに しわけまさせむとて むかへまつるなりけり ひそかなる よにすみたまへば ほがらに ききわくべくなれる みみのさとり よくききしりたまへとまをす

ことしはじむる としのめぐりの みまつりの けふをはじめにて われどち いきてあらむほどは そのとしどしに おこたることなく こととり まをさむを そのときごとに たちかへり ここによりきたまひて わがともがらの しぬびまつる こころをうけたまへ

あらましごとは ちとせをかねても つくることなけれど うつしよに たへずといへる みみのいたくつからしぬらむ

いで いはどこ やすいに かへりいらせたまへ

あまがけり かむあがらせたまへとまをす

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