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2019/06/07

藤井高尚の家が壊されそうです

〇ことしの1月15日、気になるニュースが報道されました。

 藤井高尚の旧邸がとりこわされるかもしれない、というのです。そこでこの日「藤井高尚旧邸を後世に伝える会」が、旧邸の再調査と文化的価値を見直すよう、岡山市の教育委員会に申し入れました。

 その後、続報がないようでどうなったかは、わかりません。同会が現在の所有者である岡山大学に要望書を手渡したのですが、3月の時点で回答はなかったようです。twitterやFacebookでも同会は広報活動していますが、残念ながら低調といわざるをえないようです。

 同邸は岡山市北区吉備津にあり、昭和39年(1964)、岡山大学に寄贈されました。改修ののち、宿舎として研究活動につかわれてきたとのこと。それがいま、建物が傷んできたので改修しようとしたところ数千万円の予算が必要なことから、大学側では譲渡か、更地にして売却するかを検討していました。

 現在、大学は譲渡の方向でうごいているようですが、買い手が見つかるのか、見つかったとしても旧邸を改修する意志がある相手なのか、見通しは暗いようです。

 藤井高尚は明和元年うまれ、天保11年没(1764 - 1840)。吉備津神社の祠官(宮司・社家頭)の家に生をうけて成年後、跡をついでいますが、なんといっても本居宣長の弟子、国学者だったことで有名です。

 伊勢物語の注釈など、筆のたつ人なのですが、中でも独創的な指摘が見受けられるのは『大祓詞後後釈』です。そもそもこの題名、本居宣長の『大祓詞後釈』を踏まえています(ですので「後」の字が多いのではないのです)。本居宣長は賀茂真淵の『祝詞考』を踏まえ『大祓詞後釈』を書いていますから、賀茂真淵から本居宣長へのつながりを、藤井高尚はじゅうぶん意識していたのではないかと思われます。

 ただ、題名とは似ても似つかず、本居宣長がそうだったように、藤井高尚は師の説にむやみにしたがうことはせず、違うと判断したところは躊躇せずに異見をのべています。

 学問上のこのような態度は本居宣長に顕著で、あとにつづく国学者たちはみな、師の説にとらわれることなく、じぶんの信じる説を訴えました。しかし、研究対象を深く読みこみ、論理的に自説を訴える点では、みな本居宣長にはかないませんでした。

 本居宣長以降の国学者の著作を読んでいると、こんなことがよくあります。師の説とは違う自説をのべる。でも、その理由をみてみると論理が飛躍していたり、事実誤認だったり、前提じたいが誤っていたり……。

 藤井高尚はその点、他の国学者よりはずっと本居宣長の域に近かったと思います。

 その藤井高尚の旧邸、上でのべたように、この後どうなるのかはわかりません。残してほしいとは思いますが、先行き不透明。もうちょっと、藤井高尚が知られていられればと残念でなりません。

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