5月1日の践祚、改元から一か月がすぎました。
天皇の御代替わりに特別な儀式がおこなわれることはよくしられていても、いろいろあって混乱してきます。そこで御代替わりに際しての諸儀式等について、いろいろ調べてみました。
数多くある儀式等のうち、その中核になるのは、つぎの四種類です。そのほかの諸儀式等は、以下のいずれかにともなうものと考えられます(リンクは当ブログ内の記事)。
①践祚式(せんそしき)
②即位式
③大嘗祭
④改元の儀
前代の天皇が崩御(亡くなられること)か譲位のすぐあとに、剣璽などをうけつぐ①、新帝が高御座につかれ、即位した旨を内外にしめす②、御代の初めの11月、新帝が新穀を神々に供えられ、ともにお食べになる③が中核となるわけです。
長い日本史上、つぎの天皇となられる方(ふつう皇太子)がきまっていても、必ずしもすぐに践祚がおこなわれたとはかぎらず、きまっていなければ、よけいに日数がかかります。
それでも「皇位は一日も空しくすべからず」(『日本書紀』の仁徳天皇の詔など)との考えにのっとり、さかのぼって皇位をつがれたものと、みなされています。
当然ながら、御代替わりは前帝の崩御か、譲位のときとなります。
今回は光格天皇以来、約200年ぶりの「譲位」ですが、皇極天皇より孝徳天皇に皇位を譲られたのが、史上初の譲位です。
譲位の際にはかつて、譲国の儀がおこなわれていました。
まず譲位予定日の三日前に近江(滋賀県)の逢坂関、美濃(岐阜県)の不破関、伊勢(三重県)の鈴鹿関の三関を警護するため固関使(こげんし)が派遣され、人心の動揺にそなえます。
つぎに譲位される天皇が内裏より仙洞御所(後院)へと遷られます。
当日はまず、天皇が紫宸殿より出御(おでましになる)され、皇太子が春宮坊を出て、紫宸殿の所定の御座につかれます。親王を初め文武百官の官人は紫宸殿の南庭にならびます。ついで、宣命使が宣命を読みあげ、譲位された旨をしめされました。
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