百物語 第三十五夜
鮭の頭
※怪談です。苦手な方はご注意ください。
僕はもともと田舎もんだからね。
秋田の山の中で生まれ育ったんですよ。昔話みたいなもんなんだけど、子供の頃にこんな経験をしました。
十二月の初めだったかな。山ひとつ越えてね、婆さんの家に塩引きの鮭を二本、持っていけっていわれてね。鮭といえば冬の保存食って意味合いが、まだ強い頃だった。
今みたいな防寒着はなくて、蓑だよ、蓑。君は実際に使ったことなんて、ないだろう。それをつけてさ。藁沓に唐辛子いれて。
婆さんの家は、当時の私の実家よりも山深いところにあるんだ。だからよけいに鮭は貴重だよね。今じゃ車でちょっと町まで出て、買えばいいけど。
出がけに親父がいうわけさ。
「途中に出る狐は化かすから、気をつけろよ」って。
私はそのとき、小学五年生だったかな。そんなわけないだろう、からかってるんだろうって思うくらいの分別はあった。そしたら親父がつづけて、
「化かされてるって気づいたらその場で腰を下ろして、二、三回深く息を吸ってな、眉にツバをつけろ」
なんていう。
今思い起こしてみると、案外真顔だったかもしれない。
でも、当時はそれを話半分に聞いてね。
まあ、婆さんのところに行けば、何かごちそうしてくれるし、小遣いをもらえることもあったから、道中がたいへんなくらいで、嫌な気はしなかった。
その日は、いい天気だった。うん、さすがに雪もようの日に、子供をそんなお使いにはやらないさ。
雪が少ない年ではあったんだが、だんだん山場にさしかかってくると、やっぱり雪が多くなってきてね。鮭二本、荒縄で縛ったのを肩にかけていたのが、心持ち重くなってきた。
そのうえ、雪がとけかかっているところがたびたび現れて、足をとられる。道端の木の枝に積もった雪がバサバサいって、落ちる。
こういうとき、絶対休憩しない方がいいんだよ。動かないでいると汗がすぐに冷たくなるし、もう歩きたくないってなりがちだからね。
それにしても、この鮭の重さはどうしたことだろう。
峠を越えて、婆さんのうちのある集落が見える頃には、十本も二十本も背負っているように感じた。
見れば、確かに鮭二本。当り前だけどね。
背負うのを左肩から右肩に変えて、ちょっと歩いたんだけど、やっぱり重い。すごく重い。
疲れたからじゃない、もう本当にたえきれない。
そこで気づいた。もしかして、これは狐のしわざなんじゃないか、って。
だけど私はね、親父のいうことを聞かなかったんだ。
鮭をいちどおろして、一本ずつ両脇に抱えることにしたんだよ。そうすると、案外重くなかった。それからは、ずんずん歩いていけた。
ところが、峠をおりきって集落の入口まできたらさ、犬が寝そべっていたんだよ。
秋田犬みたいな風貌なんだが、これが秋田のゆうに二、三倍くらいはあってね。巨大な狐の襟巻みたいな尻尾を、バタバタ振っていたんだ。
まるで熊みたいな、そんな巨大な犬が通せんぼをしていた。迂回することもできるが、雪の中をこいでいかなきゃならない。
私は意を決してね、おそるおそる脇を通り抜けようとしたんだ。
でも、どうしたはずみか、そのバタバタ振る尻尾を踏んずけてしまったんだよ。
そんなでかい犬でも痛かったと見えて、急にけたたましく吠えて、飛び起きてね。
私の方はもう、生きた心地がしない。何やら叫びつつ逃げようとしたんだけれども、足がもつれてしまって、転んだんだよね、その場で。
いやいや……。それがね、次の瞬間には、犬の姿が消えてたんだよ。
鮭? ああ、放り出していたさ。
なぜかどっちも、頭の部分がなくてね。おおかた、私を化かした狐が取っていったんだろうさ。
この話、疲れてたから幻覚を見たんだとか何とか、理由は何とでもつけられるよ。それでも私自身は、狐に化かされたと思ってるからね。きょうび、なかなかいないよ、そんな経験をした人間は。
婆さんの家に着いてから、狐に化かされて、鮭の頭をとられたって正直に話したら、笑ってたな。
あんたの父さんも子供の頃に、化かされたことがあるって。
してみると、気をつけろって親父がいったのは、自分が経験したからだったみたいだね。
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