百物語 第九十夜
うずくまるもの
※怪談です。苦手な方はご注意ください。
あなた、雨は好きかしら?
……そう、嫌いなの。それは残念ね。わたしは雨が好きなの。
細かい粒が糸のように降る、春先の雨。
夕立のざんざ降り。
しとしとと紅葉に降り注ぐ、時雨。
手の指先やつまさきまで凍えてしまうような夜の氷雨。
わたしは、どれも好きだわ。晴れの日よりも、季節が感じられるから。
雨が嫌いだというんならあなた、雨の夜はなるべく外に出ない方がいいわね。
これからお話しするのを聞いたら、そう思うでしょう……ええ、これは雨の夜にあったお話。
その日は昼間からもう曇り空で、ときどきパラパラと降ってはいたの。
季節はちょうど今くらいの時期……秋の中頃よ。晴れてたら、さぞかしお月様が綺麗だったでしょうよ。
でも、その日はあいにくの雨。日暮れ頃から雨が本降りになったの。
ときどきザザーッと降ったり、勢いが弱まったりするけれど、止むことはなかった。
わたしは学校が終わってから、友達といっしょに塾へ行ったの。
その帰り道でのできごとよ……ソレに遭遇したのは。
傘をさしてね、他愛のないおしゃべりをしながら、並んで歩いてたの。
そうしていつもふたりで帰るのは、もちろん家が近くにあるからなんだけれども、途中でその子がちょっと本屋さんに寄っていきたいっていうからつきあって、それでいつも通るのとは別の道を歩いてたのね。
だから、帰り道っていっても、ふだん歩いてる道じゃなかった。
ソレは、電柱に向かいあって……わたしたちに背を向けて、しゃがんでた。
夜目にも鮮やかな、着物姿でね。赤い色調で、花模様……とても綺麗だったわ。振袖じゃなさそうだけど、晴着なのはまちがいない。飲み屋さんなんかの、お仕事で着てる人じゃない。
だいたい、格子柄の黄色の帯を文庫にしめてて……ああ、そうね。いちばんよく見るのはお太鼓ってしめ方だけど、そうじゃなかったの。文庫ってのは、まず年配の人はしない。若い人がする。
よく知ってるって? そうでもないよ……おばあちゃんが着付の先生だから、くわしいだけ。ほんのちょっとだけ、ね。
それに、髪だってちゃんと結ってた。下の方で結うと落ち着いた感じに、上の方で結うとあでやかな感じにっていって、ソレは高めに結ってた。
つまりね、改まった席には向いていないのよ……もっとも、最近は着物着ても髪を結わない人さえいるくらいだから、割といい加減だけれども。
なぜこんな説明をグダグダとしたかというとね……明らかにおかしいからよ。
雨の夜だっていうのに傘もささず、電柱に向かって、うずくまってるなんて。着物も濡れるし、クリーニングするにしたって、とっても高いのよ。
絶対、ヘンでしょ?
なにかあったにちがいない、って思うじゃない。
あなたがその場にいたら、どうするかな?
関わりあわない方がいいって思うかしら……それとも、心配して話しかけようとするかしら?
わたしはね、話しかけようと思ってた。でも、友達に止められたの。
「どうしたのかな?」っていった瞬間、やめて! って。
えっ、て友達の顔を見たら、怖い顔をしてる。
「このまま行くよ」
「どうして?」
でも、あとでいうからって教えてくれない。
小走りになるし……しかたないから、そのままソレの横を通りすぎたのよ。
ちょっと行った先で、友達がこういったの。
「ねえ、遠回りになるけど、あっちから帰らない?」
指さした方の道は、わたしの家にはかえって近くなるんだけど、友達の家からは遠くなる。いつもは友達の家まで行って、バイバイしてからじぶんの家に帰ってたの。
表通りから入ったら、友達の家の方が近かったからね。
わたしは深く考えずに、いいよって答えた。
そのままわたしの家の方に向かって、ちょっとしたらね……いたのよ、また。ソレが。
ううん、ちがうの。最初に見たときとは、別な場所よ。いつも通る場所だから、まちがいない。
でもね、そう思ってたのはわたしだけだったのよ。
「ああ、これはまずいかも」って、友達がいってね、立ち止まった。
見たら、顔色がもう真っ青になってて、唇を噛みしめてる。
だいじょうぶって聞いたら、わたしはだいじょうぶだって返事。
「あれね……わたし、最近よく見るんだけど、話しかけたらひどい目にあうって。今までは、こんなことなかったのに……」
「こんなことって?」
「なんども現れるってこと。一回見たらその日は終わりだったのに……雨の晩によく現れるらしいんだけど、くわしいことはよくわからない」
「ひどい目って?」
友達は答えなかった。さっさと歩きはじめて、ソレの横を通過して……またもうちょっと歩いた先にね、またソレがいた。
わたしはそこで初めて背筋が寒くなったの。
さっきは、なんとかわたしたちを先回りできるくらいの場所だった。
でも、こんどは絶対に無理な距離だったから。
ソレの脇をまた通過すると同時に友達の足がどんどん速まってって、ほとんど走ってるくらいになってね。
わたしは鈍足だから、だんだん友達から遅れちゃって、待ってって声をかけても、友達はふりむきもしない。
いちどだけね……わたし、振り返ってソレを見てみたんだ。走りながら。そしたら、やっぱりわたしたちに背中を向けてた。
最初は電柱の方に向かっていたのに、ソレの右側に電柱があったの。もしかすると、顔を見られたくないのかもね……もっとも、そんなことしてるから友達に離されたんだっていわれれば、それまでだけれども。
コースは変わらなかった。そうやって、わたしが友達を追いかけるかたちになっても。
それからすぐよ、わたしの家の前に着いたのは。
わたしは久しぶりに走ったから、ゼイゼイいって、肩で息をしてた。
走ってる途中で鞄が当たってたんでしょう、身体のあちこちが痛かった。
でもね、友達は足を止めなかったの。わたしの家の前を通過したまま、走っていっちゃった。
そのときにはもう、友達は百メートル以上、離れてた。
わたしはさっきいったように、もう限界……それでも、追いかけた方がよかった。
今でもそう思うわ……鞄も傘も放りだして、追いかけるべきだった。そうしたら、身軽になって追いつけたかもしれない。
たとえ追いつけなかったとしても、努力はすべきだったのよ。
うん……そうよ。そうなのよ。わたしはね、そのまま家に入ったの。
濡れてたからシャワー浴びて、ごはん食べて、そこに帰ってきたお父さんとちょっと話して……それでようやく友達に、連絡したの。
でも、電話に出なかったし、かけ直してもこなかった。メールの返信もなかった。
それきり。そう、それきりよ。友達は消えてしまったの。どこかへ……。
どうしてかなんて、わからない。
わかるわけがない。
家には戻らなかった、とは聞いてる。
でも、それだけ。
警察の人にも事情を聞かれてね、話したのよ、このこと。
でも、ソレが関係してるかどうかは調べてみようって程度でね。
なにか事情を知る可能性のある、不審人物。そんなふうに思ってるんじゃないかな。
わたしは、ソレが実体のある人間とは思えないんだけど……でも、そういっても信じてもらえなかった。
まあ、当然よね……わたしはこうして、友達をひとり失った。
そして、なにかできたんじゃないかと、今でも後悔してる。
警察の人にはそんなこと、どうでもいいのよ……だいたい、なんども事情を聞かせてくれっていわれたらね、疑ってるなってさすがに気づくわよ。
あなたは、どう?
わたしのことば、信じられるかしら?
それとも、わたしが友達をどうかしたって思ってるかな?
こんなことがあっても、まだ雨が好きだっていう、わたしの神経を疑うかしら?
まあ、どれでもいいわよ。
とにかく雨の晩は気をつけた方がいい。
怖い話が聞きたかったんでしょ?
いいたいのは、そういうことなんだから。
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