百物語 第八十四夜
部屋探しの兄妹
※怪談です。苦手な方はご注意ください。
わたしの兄貴がこの春、大学に進学したのね。
東京の大学。
それで、アパートを借りることになったの。
通おうと思えば通えるんだけど、パパ、ママにムリいってね。
でも、わたしの兄貴って、どっか抜けてるのよね。
引っ越しもするんだし、早く部屋を見つけた方がいいんじゃない?
……って、ママは何度もいったんだけど、兄貴はハア……って感じで、ぜんぜん聞いてない。
忙しくもないのに……むしろヒマを持て余してるくらいで、毎日ダラダラしてたってのに。
うん、ネトゲを夜遅くまでして、たまにわたしと顔を合わせててもスマホをいじってるとこしか、見たことなかったよ。
探し始めたのはね、三月も終わりになってからよ。
それで、なにがそんなに怖いのか、なぜかわたしに、いっしょに探してくれっていう。
貴重な春休みが最低半日はつぶれる、いやだっていったの。
でも、ママに説得されてしまって。
しかたないから朝早くに兄貴を叩き起こしてね、東京に行ったの。
乗り換えなしで行けるから大江戸線がいい。
江戸情緒の残ってるところがいい。
……なんてね、着いてからいうのよ。
アホ、いうのが遅いわ!
わたし、腹立ったから帰るっていったんだ。
でも、ひとりで探せばいいってのに、なぜか帰らないでくれっていう。
しばらく駅のホームでやり合ったんだけど、結局わたしが折れてね。
ママにお小遣いもらっちゃったし。
ベンチに座って、兄貴のスマホ奪ってあれこれ検索してるうちに、森下ってとこがいいなって思ったの。
なによりもまず、兄貴の大学に近い。
あと、昔わたしが密かに憧れてた先輩の苗字と同じだったってのもあるんだけどね。
さて森下に着きました。
さあ、不動産屋さんに行こうって歩きだしたら、そこで兄貴がまた……。
ちょっと、どんな街か歩いてみる……といいだしたの。
そんなの、部屋紹介してもらって、下見に行くときでもじゅうぶんできるでしょ?
そういっても、聞かなかった。
勝手にスタスタ歩いてくんだもん。しかたないから、あとについてったの。
兄貴、歩きながら、フンフンいいな、うん、いい……なんて、ひとりごといいつづけてるから、ちょっと離れてたんだけどね。
で、ほんとに小さい路地の入口で、突然立ち止まってね、ああ、この雰囲気いいねえっていう。
わたしが追いついて見たところ、ちょっと暗い雰囲気。
なんだか陰気だなあって感じたんだけど、本人が気にいったんなら問題ない。
それに、早く駅前にもどって不動産屋さんに行きたい。
いったん駅に戻ろうよ、もういいでしょ?
わたし、そういったんだ。
そしたら兄貴がね、おい、あれ見ろよ、という。
左手のボロアパートの窓に貼紙があって、入居者募集、大家って書いてる。
電話番号もある。
ああ、ここがいいの、ここが決めなよっていったの。
そしたら兄貴は、うんと答えて電話をかけた。
話はほんの数分で終わって……大家さん、このアパートに住んでたのね。
さっそく訪ねて部屋の鍵借りて、下見することになったのよ。
建付の悪いドアをゴリゴリ開けて、中を覗いてみたら……暗くてよく分からない。
なんだかジメジメして、カビくさい。
わたしだったら絶対願い下げだよ、こんな部屋。
それでも、中に入ってみた。
わたしからすれば、ここで即決してもらえるとありがたいからね。
玄関にはスリッパなんてなかったけど、土足で上がるわけにもいかない。
ああ、靴下汚れちゃう、なんて思いながらね。
顔を見たら兄貴、なんだか渋い顔になってる!
無理やりその背中を押して……入った瞬間。
悲鳴があがったの。うん、そうよ。悲鳴をあげたのは、兄貴。
キャーッて、女の子みたいな悲鳴だった。まったく、情けないったら、ありゃしない。
で、そのままかたまってるから、わたしも橫から中の方をのぞいてみたの。
なになに、なんなのよ……。
そしたら、いたのね。部屋のほぼ中央に、婆ちゃんがちんまりと座ってた。
わたし、大家さんの関係者かと思ったのね。たまたま掃除しに入ってきただけかなって。
でもさ、鍵はかかってたんだし……いや、建付悪かったから、本当はかかってなかったかもしれないけど。
でもでも。掃除したっていうんなら、汚すぎる。
これから掃除するにしても、なんで正座してじっとしてるの? どう考えても変でしょ?
それに……婆ちゃんのうしろには、鏡台があったの。古い、古い鏡台。
鏡なんかうっすらと膜がかかってるし、引出にはってある板がペラペラめくれてる感じの、古い鏡台。
昼間ってのに、部屋の中は暗くて……婆ちゃんも鏡台も、まるで闇の中から浮び出てきた感じだった。
その鏡に写ってたのは、婆ちゃんなんだけれども……ニマッと笑ってるの。
ううん。婆ちゃんは、わたしと兄貴の方に身体が向いてるのよ。
本来、写ってなきゃならないのは、婆ちゃんの頭のうしろなのよ。
なのに、鏡にあるのは婆ちゃんのとびきりの笑顔。
ん? ああ……とびきりの笑顔って、変かな。
わたしはそんなの見ちゃったから、もうダメだって回れ右して外に出たの。
兄貴……ううん。知らない。どうやって出たのかな。
気づいたときには、わたしの足下に転がってて、目が、目が……って叫んでた。
目がどうしたのよ、ちょっと! しっかりして!
そしたら、まぶしいって……暗いところから急に明るいところに飛び出したんだから当たり前よ。
おおげさだっつうの、まったく。アホよね。
そこそこ兄貴の眼が回復するのを待ってから、大家さんのとこにまた行ってね、変な婆さんが出るから止めます! っていったの。
そしたら大家さんが、
「へえ……昼間でも出ますか」って。
いやいや、そういう問題じゃないよね?
今思い出してみても、なんだかズレた人だったなあ……。そう思いませんか?
でも、これ以上、関わり合いになりたくないから、なんにもいわず、なんにも聞かずに帰りました。
結局、鍵返すの忘れちゃったんだけど……あの部屋のドアにささったまんまだろうから、そのうち気づくでしょって、逃げてきたの。
兄貴の部屋はその後、パパの知り合いの不動産屋さんに見つくろってもらって、無事に決まりました。
それがまた、森下の駅近くのアパートなのよね。
江戸情緒の残ってるところがいいって、やっぱり兄貴がいったらしいんだけど……他に、いっぱいあるでしょうに。
浅草でも根津でも、巣鴨でも……。
なのに、なぜかよりによって森下。ま、偶然でしょうけど……。
あ、そうそう……その婆ちゃん、けっこう大家さんに似てたような気がするの。
きっと、母親か、おばさんか、祖母か……血のつながりがあるんじゃないかな。
そんな気がする。
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