アイヌの人たちの間で、最も重要な神様は ape huci kamuy つまり「火の媼神」であります。
ape が「火」、huci が「おばあさん」、kamuy が「神」です。ただし、kamuy と神は非常によく似てはいますけれども、ちょっと違う部分もあります。
北海道の冬は寒いですから、囲炉裏で熱を発し、食物を温めてくれたり暖をとらせてくれたりする火の働きを、神の力の顕現と感じる。これは北海道に住む人間として、実によく分かります。
と同時に、神道でいう「カグツチのスサビ」、ひとたび人が制御できなくなった火は、家どころか山や野を焼き尽くしてしまいます。
このおばあさんは、神道の神棚のような場所にお祭りされているのではなく、囲炉裏にいらっしゃいます。服を六枚着ていると言います(アイヌ語での「六」は日本語の「八」のように大きい数を指すことがあるので、「たくさんの服」とも取れます)。何か神様へメッセージを伝えたいとき、先祖をお祭りするときには、このお婆さんに一度お断りをしなければ伝わりません。
そのお断りの言葉の中、ape huci kamuy には「育ての神」「重い神」「神の妻」などと様々な称え言葉が冠せられます。
重いというのは、立派な神なので威厳のある、重々しい存在だから。「重要な神」ということでもありましょう。そうした神様はバタバタ走り回ったりせず、動作もむしろ鈍重なのだそうです。「神の妻」は「神々しき淑女」と意訳した方がよいかもしれません。
大国主命に、様々な別名があるのに似ています。
久保寺逸彦の『アイヌの神謡』を開きますと、最初に「火の媼神の自叙」が出てきます。神自身が語る、いわゆるユーカラです。
その中では、このおばあさん神には夫がいまして、ある日その夫がいなくなってしまいます。
あちこち探しても見つからない。旦那さんは浮気しておりまして、相手がこともあろうに水の神様。その水の神様と盛大にケンカしまして、旦那を取り返す――そういう筋です。
火の神様と水の神様のケンカですから、それはもうスゴイものです。また、ギリシア神話のゼウスみたいですが、旦那さんも神様なのかと思いきや、読んでいる限りそんな感じはしません。
万葉集に、大和三山(香具山、畝傍山、耳成山)が三角関係で争う歌がありまして、「神代より、かくあるらし」なんて言っていますけれども、逆に人間のようなことをしている神様、また人間のようなことをすると思われている神様。全知全能の神様よりも私は好きです。
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