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2017/06/27

宮司就任奉告祭祝詞9 草稿ができたあとに②

 ここまで宮司就任奉告祭祝詞について、どのようにつくっていったかを、それから前回、草稿ができたあとに一読し、気になった点について、説明しました。

人形感謝祭祝詞について述べたときには、いちいち各部分で立ち止まり、くどいくらいに説明をくわえましたが、今回はくりかえし説明するのを避けたこともあって、それほどではありませんでした。

 ただ、推敲の指針については、いい足りなかったところがあります。どちらかといえば、推敲後のことを多く述べてしまいましたので、ここでは推敲そのもに重点をおいた説明をし、宮司就任奉告祭祝詞について終わりにしたいと思います。

まず、当たり前ながら、日程の余裕をじゅうぶん持って草稿をつくる方がよいです。実際には急に祭事が飛び込んでくることも往々にしてあり、そうもいっていられないこともありますけれども、祭日が毎年同じだったり、予定が前もって決まっていたりするなら、十日前には草稿を完成させておくとよいのではないかなと思います。

というのも、草稿が完成したら、できれば二、三日は寝かしておきたいのです。若い人ならば一週間以上でもよいくらい、要は、草稿で何を書いたのかを忘れてしまうくらい、時間に余裕あるのが望ましいのです。書いてすぐに推敲して完成、というのはおすすめしません。草稿完成直後は、誤字などのチェック程度にとどめるべきです。

数日、あるいは一週間たち、どんなことを書いたのか、ぼんやりしてよく思い出せなくなったら、推敲によい時期です。パソコンに保存したのならプリントアウトし、手書きならその手書きの草稿を出してきて、まずざっと全体に目を通し、つぎにもういちど頭にもどって、じっくりと読んでみます。赤ペンでも黒ペンでも手にもって、修正をくわえてゆきます。草稿段階では思いつかなかった表現を思いついたら、書きくわえます。語句を補うべきと気づいたら補い、削るべきところは削ります。迷ったら、どちらかといえば削る方がよくなることが多いようです。

 こうして結尾部に至ったら、それを最初から書き直します。パソコンでしたら、特に祝詞作文に慣れていない人ならば、いちから打ち直すのがおすすめです。たいへんなようですが、ゼロからうんうんうなって草稿をつくりあげたときとはちがって、語句をくわえたり削ったりしたものを読みながら打ち込むだけです。

 こうして修正稿ができあがったら、またいちど寝かせてから推敲……といきたいところですが、時間には限りがありますので、そうもいかないこともあるでしょう。それに、推敲すれば必ずよくなるわけでもありません。やりすぎてしまうと、推敲そのものが目的になってしまう恐れさえあります。

では、どこで打ち切って決定稿とすればよいのでしょうか。その人の作文の経験にもよるのでいちがいにはいえないのですが、私の場合、急に祭事が入って祝詞を書かねばならないときをのぞき、三度は推敲することにしています。

 まだいい足りていない、部分があるような気がしますけれども、別な機会に譲ることにしまして、ひとまず宮司就任奉告祭祝詞については以上で終了とします。


 いま、祝詞の慣用表現をおぼえつつ、作文にも慣れることができるようなシステムをつくることができないかなと考えています。見切り発車、テスト版として、近いうちにまず公開するかもしれません。もしそうなったときには、よろしくお願いいたします。

2017/06/26

宮司就任奉告祭祝詞8 草稿ができたあとに①

 宮司就任奉告祭祝詞の草稿が完成しました。このあと推敲に入るわけですが、推敲の手順については後日改めて説明することにします。きょうはその前段階として、できあがった祝詞について当時、どこに改善の余地があるか、推敲のために読んでみてどう考えたのかを述べたいと思います。

まず全文に目を通して構成やその配分を確かめたあと、それからじっくりと各部分を読んでゆきました。

    挂巻も畏き某神社の大前に恐み恐みも白さく

冒頭部は、このままでよさそうです。

②高天原に事始め給ひし岐美(きみ)二柱(ふたはしら)の大神等(たち)の御言(みこと)依(よ)さしを、天つ序(つぎて)・国つ序と樛(つが)の木の弥継継(いやつぎつぎ)に伝へ奉り給ひし随(まにま)に

 奏上時のことを考え、大祓詞などで慣れている「高天原に神留り坐す皇睦、神漏伎・神漏美命……」とした方が、読み誤る可能性が低くなるなと思いました。このまま自分の創意を活かすか、伝統的な慣れ親しんだ語句でゆくか。また、「天つ序」以降の「つ」の音に注意すれば、このあたりは読みやすいと感じました。

③大神等はも、某年と云ふ年、是の〇〇の清き明(あか)き処と、今の〇〇てふ処(ところ)を斎(いは)ひ定めて鎮め奉りしより此方(このかた)

「大神等はも」の「はも」が問題。ここで文が切れると考えれば「大神等よ」といった詠嘆の意味になりますが、切らずに奏上するとこの部分の主語ととれます。すると後半との兼ね合いで、神様がみずからじぶんの鎮座地を定め、じぶんをお鎮めした、ということになってしまいます。「大神等はも」を削り、主語を明確にするため、創祀当時の神職、氏子崇敬者を挿入するべきかもしれません。また、このままならば「斎ひ定めて」は敬語不足。「斎ひ定め奉りて」とするか「斎ひ定め、鎮め奉り」とするか。

    神職(かむづかさ)を初めて、御氏子・崇敬者の諸諸、吾が大神と慕ひ奉り、産土の大神と尊(たふと)び奉りて、時時の御祭の大きも小さきも、厳(いか)しく麗(うるは)しく治(をさ)め奉りて

 前項の内容から、「神職を初めて……諸諸」をここで削り、③の冒頭に移動、「大神等はも」を削除すればよいかもしれません。移動しても、意味はとおるようです。

    去年(こぞ)より今年にては某い、万(よろづ)に事執り計り、仕へ奉れる間(ほど)に、此度(こたび)大神等(たち)の是の御社(みやしろ)の宮司(みやづかさ)と、おほけなくも某い、任(ま)けらえたれば、重き尊き務(つとめ)と畏み恐り奉りて

この部分、まずは問題なさそうです。

⑥今日を生日の足日と撰び定めて、礼代(ゐやじろ)の幣帛(みてぐら)と、御食・御酒を初めて、種種の味物(ためつもの)を献奉(たてまつ)り、玉串をも捧げ奉りて、事の由(よし)告げ奉り、拝(をろが)み奉る状(さま)を、大神等(たち)の御心に平らけく安らけく聞し食して

 ここは「~奉り」の連続がくどいような気がします。「玉串をも捧げ奉り」と「拝み奉る」のうちどちらかを削るか、両方削るか。

⑦皇御孫命(すめみまのみこと)の大御代を手長の御代の穏(おだ)しき御代と、堅磐に常磐に斎(いは)ひ幸(さきは)へ奉り給ひ

 ここでは「斎ひ幸へ奉り給ひ」としましたが、「斎ひ奉り、幸へ奉り給ひ」の方が奏上しやすいかもしれません。

⑧是の〇〇の郷内(さとぬち)は白すも更なり、谷蟆(たにぐく)の狭度(さわた)る極(きはみ)、塩沫(しほなは)の留まる限、奇(くす)しく妙(たへ)なる大御蔭を弥益益に蒙(かがふ)らしめ給ひ

 奉仕神社の発展を願ってのことながら、「谷蟆の……塩沫の……」は誇大表現かなと思います。そこまでの発展に寄与すべく宮司としてがんばります、ということでよいかもしれません。この部分を削って、氏子区域(文中の〇〇は地名)にお蔭を、と申すだけにするのも、ひとつの見識でしょう。結局じぶん自身の信仰の問題にも関わってきますので、判断に迷うところです。

⑨神職(かむづかさ)を初めて氏子総代神社委員に至る迄に、己が乖乖(むきむき)在らしめ給はず、仕へ奉らしめ給へと、恐み恐みも白す

 ここは「在らしめ給はず」を「無く」に変えた方がよさそうです。その場合、ちょっと舌足らずですので、つぎの「仕へ奉らしめ……」の前になにか語句を補う必要があります。もしくは、あまり見ないかたちですが、「仕へ奉らしめ」を削り、「……在らしめ給はざれと、恐み恐みも白す」とするか。

 ざっとこのようなことを考えたのですが、いかがでしたのでしょうか。奏上しやすい、しにくい語句のつながりは、人によって違うかもしれません。でも、推敲段階でぜひ注意したいポイントです。

 いま説明してきましたように、こうして気になった語句をチェック後、これで完成というところまで、こんどはそれぞれの箇所について検討を重ねてゆくことになります。ですが、ここではこれ以上触れず、次回推敲そのものについてもう少し説明し、宮司就任奉告祭祝詞については終わりにしたいと思います。

2017/06/23

宮司就任奉告祭祝詞6 お供えなど

 今日はお供えの部分、拝礼の部分、神様にお聞き届けくださいとお願いする部分について、どうつくっていったか、説明してゆきたいと思います。

 いまあげた順番につくっていったのですが、その前にワンクッション置きまして、

今日を生日の足日と撰び定めて

 としました。余談ながら、奉告祭当日は強風の吹き荒れる寒い日で、奏上中にご社殿のガラス窓がばたばた震えるほどでした。それでも自然の力を思い知らされる「生日」(いきいきした日)でいえますし、したがって「足日」(祭日として満ち足りた日)ともいえると思っています。

 つづきまして、神饌についての部分。小祭式ながら三方の台数も内容もそれなりに多かったのですが、幹部に力を入れましたのでここは控えめに、オーソドックスな表現を用いることにしました。

礼代(ゐやじろ)の幣帛(みてぐら)と、御食・御酒を初めて、種種の味物(ためつもの)を献奉(たてまつ)り、

「礼代」は礼儀のしるし、というくらいの意味。いろいろな祝詞を読んでいますと、「謝礼」の「礼」のようにとれるつかい方も見かけます。「味物」は、おいしいもの。

 ついで、玉串拝礼、このように奉告いたしまして、拝礼する様子を、という意味の語句をつくってゆきました。

玉串をも捧げ奉りて、事の由(よし)告げ奉り、拝(をろが)み奉る状(さま)を

 こうした様子を、神様のみこころも平安にお聞き届けくださいまして……とし、つぎのお願い申し上げる部分につなげることにしました。

御心に平らけく安らけく聞し食して

こうした部分で「御心に」から始めるのは、すでに式祝詞に例があります。

かく奉るうづの幣帛を、安幣帛の足幣帛と、皇神の御心に平らけく安らけく聞し食して(廣瀬大忌祭)

 廣瀬大忌祭では「皇神の御心に……」となっていますので、これにならい、「大神等(たち)の」を加えて完成としました。

 これで完成しましたので、すべてつなげてみたものを以下に掲げます。

今日を生日の足日と撰び定めて、礼代(ゐやじろ)の幣帛(みてぐら)と、御食・御酒を初めて、種種の味物(ためつもの)を献奉(たてまつ)り、玉串をも捧げ奉りて、事の由(よし)告げ奉り、拝(をろが)み奉る状(さま)を、大神等(たち)の御心に平らけく安らけく聞し食して


 あすはお願い申し上げる部分より、祝詞の終わりまで、説明してゆきたいと思います。

2017/06/22

宮司就任奉告祭祝詞5 幹部④

 きょうは幹部最後の部分です。前述のように、幹部を書きだす前にあらかじめ内容を決めていて、ここで書くのは「最近の神社の状況を踏まえて、じぶんがお仕え申し上げることになった」ことを申す、ということでした。なお、こののち神饌をたてまつる語句につなげようと、考えています。

 多少ここで私が赴任する前の神社の状況について、説明しなければなりません。私の前には支部長、かつ他神社の宮司さんが、私が赴任することになる神社の宮司代務者として入られ、一年間ご奉仕されていらっしゃいました。また、さらにその前にいらっしゃった宮司さんとは面識のない状態でした。

 すでに述べたように、高天原に始まった修理固成の御言依しより語り起こし、それがつぎつぎに受け継がれてきた旨を申してきまして、恐れ多くも私が引き継ぐことになった……としたい。そして、代々の宮司さんの事績を列挙するととても長大な祝詞になってしまいますので、やはり直前にご奉仕されていた方から引き継いだことだけを申す方が、自然だろうなと思いまして、この部分を書くことにしました。

 去年から今年にかけて、支部長さんがいろいろと神社に関することをされていた、ということで、

去年(こぞ)より今年にては某い、万(よろづ)に事執り計り、仕へ奉り

「某い」には、支部長さんの職氏名が入ります。そのような状況でありましたところ……と、このあとへつなげてゆきたいのですが、どうすればよいでしょうか。「て」で切ってつなげるのは単純ですし、いまいち意味がとおらないようです。「事執り計り、仕へ奉」るのは過去のある時点でのできごとを指すのではなく、この祝詞を奏上するときまで「事執り計り、仕へ奉」ってきた、といいたい。

要は「事執り計り、仕へ奉」ることが継続してきていまに至る、という状況を、古語にしたいわけです。すると「仕へ奉れり」「仕へ奉りたり」などが候補としてあげられます。ここでの「り」「たり」は、上にくる語のかたち以外に、違いはありません。そこで「仕へ奉れり」を採用することにします。さらに、ここからつぎの語句につなげてゆくため、「仕へ奉れる間(ほど)に」とします。

つづいて申したい内容は、このたびこちらの神社の宮司として、恐れ多くも私が任じられました、ということ。

此度(こたび)大神等(たち)の是の御社(みやしろ)の宮司(みやづかさ)と、おほけなくも某い、任(ま)けらえたれば

 この「某い」は私の氏名です。「職」はまだ入れません。「おほけなく」は恐れ多いという意味。「おほけなく憂き世の民に覆ふかな……」と百人一首の歌の中にもあります。「任けらえ」は時代がくだると「任けられ」となるところ。奈良時代の言い方です。

 つづいて、大任であるとかしこみ恐れている旨を申すことにしました。

重き尊き務(つとめ)と畏み恐り奉りて

 ここでの「恐り」、変だと思いますか? 上代までは「恐り奉る」という言い方をしていました。「恐れ奉り」となっていったのは、平安時代の中頃からといいます。知っている範囲で、できるだけ古い読み方でと考えまして、「恐り奉り」としました。むろん、「恐れ奉り」はまちがっている、というつもりはありません。

 では、きょう説明してきた部分を、つなげてみましょう。

去年(こぞ)より今年にては某い、万(よろづ)に事執り計り、仕へ奉れる間(ほど)に、此度(こたび)大神等(たち)の是の御社(みやしろ)の宮司(みやづかさ)と、おほけなくも某い、任(ま)けらえたれば、重き尊き務(つとめ)と畏み恐り奉りて

 これで祝詞全体の幹部が完成しましたので、以下に掲げます。

高天原に事始め給ひし岐美(きみ)二柱(ふたはしら)の大神等(たち)の御言(みこと)依(よ)さしを、天つ序(つぎて)・国つ序と樛(つが)の木の弥継継(いやつぎつぎ)に伝へ奉り給ひし随(まにま)に、
大神等はも、某年と云ふ年、是の〇〇の清き明(あか)き処と、今の〇〇てふ処(ところ)を斎(いは)ひ定めて鎮め奉りしより此方(このかた)
神職(かむづかさ)を初めて、御氏子・崇敬者の諸諸、吾が大神と慕ひ奉り、産土の大神と尊(たふと)び奉りて、時時の御祭の大きも小さきも、厳(いか)しく麗(うるは)しく治(をさ)め奉りて
去年(こぞ)より今年にては某い、万(よろづ)に事執り計り、仕へ奉れる間(ほど)に、此度(こたび)大神等(たち)の是の御社(みやしろ)の宮司(みやづかさ)と、おほけなくも某い、任(ま)けらえたれば、重き尊き務(つとめ)と畏み恐り奉りて


 あすはお供えの部分、拝礼の部分、神様にお聞き届けくださいとお願いする部分について、説明してゆきたいと思います。

2017/06/21

宮司就任奉告祭祝詞4 幹部③

 きょうは宮司就任奉告祭祝詞における幹部の三回目、まず前回つくったところを以下に掲げます。

大神等はも、某年と云ふ年、是の〇〇の清き明(あか)き処と、今の〇〇てふ処(ところ)を斎(いは)ひ定めて鎮め奉りしより此方(このかた)

 これに、代々の神職や氏子崇敬者によって、神社の護持運営が行われてきたことをつづけます。

私が宮司として奉職することになった神社は、氏子区域のほぼ全域が行政区画上の村だった頃、一村の総鎮守と目されていました。昭和三十一年にとなりの市と合併することになったのですが、いまでも住民のこころの中には旧村一帯の枠組みが色濃く残っているようです。

 そう考えますと、神職、氏子崇敬者が、神様を尊崇し、お祭をさかんに行ってきたようすを書くのがいいだろう、と思いました。まず、この部分の主語になる部分。

神職(かむづかさ)を初めて、御氏子・崇敬者の諸諸

 神職を「初めて」は「初めとして」という意味。「諸諸」は「諸」とすることもできます。こういう人たちが「神様を尊崇していた」とつづけるわけですが、ここでは対句を用いて、以下のようにしました。

吾が大神と慕ひ奉り、産土の大神と尊(たふと)び奉りて

おおまかな意味は「私の神様とお慕い申し、産土の大神として、尊敬申し上げて」となります。「吾が大神……」は「おらが村の~」というフレーズを思い出させます。「おらが村の……」は俗っぽいですが、当時の地域の人々の心情として「私の神様とお慕い申し」はそう外れていないのではないかなと思います。

「産土の大神」はそのままです。「産土大神」と「の」を入れないのが普通かもしれません。ここでは読み誤り防止のために入れています。「尊び」の位置には「崇め」「称へ」「敬ひ」「恐み」など、信仰心の諸相を表現するさまざまな語をいれることが可能です。そのうち、もっともしっくりくる語が「尊び」だと感じたので、この語を選びました。これは直前の「慕ひ」についても事情は変わりません。

 では、そのような神様をお祭りしていたとつづけたいところ、春に〇〇祭、秋に〇〇祭……などとやってゆくと、当然ながらきりがありませんので、まとめて書くことにしました。

時時の御祭の大きも小さきも、厳(いか)しく麗(うるは)しく治(をさ)め奉りて

「時時の」は「そのときどきの」「そのとき、そのときの」。意味からしてまさに不定で、祭日の決まっているお祭も臨時祭も含めています。そうしたお祭の「大きも小さきも」と、同じく大小みなひっくるめまして、「厳しく麗しく治め奉りて」は、おごそかに、立派に済まし申し上げて。

 ここまでをまとめて、以下に掲げます。

神職(かむづかさ)を初めて、御氏子・崇敬者の諸諸、吾が大神と慕ひ奉り、産土の大神と尊(たふと)び奉りて、時時の御祭の大きも小さきも、厳(いか)しく麗(うるは)しく治(をさ)め奉りて


 あすは幹部の最後の部分、最近の神社の状況を踏まえて、じぶんがお仕え申し上げることになった旨をどう書いていったか、説明してゆきたいと思います。

2017/06/20

宮司就任奉告祭祝詞3 幹部②

 予告どおり、宮司就任奉告祭祝詞の一部、神社のご鎮座の状況についてどう書いたのかを、述べてゆきます。まず、大神様が〇〇年にご鎮座した、とします。

大神等(たち)はも、某年と云ふ年、鎮(しづま)り坐して

「はも」は「は」と「も」の複合語。上にくる語を強調します。辞書には「強い執着や深い感慨を持ちつづけている場合に使う」とあります。ここでは「深い執着」というより「深い感慨」の方です。「某年」には具体的なご鎮座の年がはいります。

これだけだと少しあっさりしていますので、どこにご鎮座したのかも申すことにします。まさに祝詞を奏上している場所に、初めからずっとお鎮りになられているなら、不要かもしれません。しかし、実はこの神社は初め、現在地とはべつな場所にご鎮座されましたので、それを踏まえて「某年と云ふ年」のあとに、つけ加えることにしました。

大神等はも、某年と云ふ年、是の〇〇の清き明(あか)き処(ところ)と、今の〇〇てふ処に鎮り坐して

 最初の〇〇は現鎮座地、より大きな範囲の地名、二番目には最初の鎮座地の地名で、〇〇町くらいの小さな範囲の地名がはいります。「今の」は、過去の文献、村史等にあたっても二番目の地名が昔からのものなのか不明だったので、念のためつけ加えました。「てふ」の意味は「という」です。

 ここでふと、つぎに代々の神職、氏子崇敬者のようすを書こうとしていたのを思い出しました。それならば、「神様がお鎮まりになった」というより、(当時の氏子崇敬者が)「神様をお鎮め申し上げた」とする方があとの内容につなげやすくなります。そこで、

大神等はも、某年と云ふ年、是の〇〇の清き明き処と、今の〇〇てふ処を斎(いは)ひ定めて鎮め奉り

 としました。「斎ふ」という語はユハフ(いまでいう「結わえる」)と近い語ということもあって、「お祀りする」「幸福を願ってよいことばを述べる」など主要な意味の他に、魂をひとつの場所にとどめるという意味もあり、ご鎮座に関することを申すときには非常につかいやすいことばです。

 ご鎮座された当時については、これでだいたい述べることができたとして、こののち、代々の神職や氏子崇敬者が神社の護持運営をしてきた……という内容にしたいので、ここで内容上、切れ目をいれることにします。

大神等はも、某年と云ふ年、是の〇〇の清き明(あか)き処と、今の〇〇てふ処(ところ)を斎(いは)ひ定めて鎮め奉りしより此方(このかた)

 この地のよい場所にご鎮座を乞い願って以来、とし、神職を初め氏子崇敬者が……と、つづけることにしました。

高天原に事始め給ひし岐美(きみ)二柱(ふたはしら)の大神等(たち)の御言(みこと)依(よ)さしを、天つ序(つぎて)・国つ序と樛(つが)の木の弥継継(いやつぎつぎ)に伝へ奉り給ひし随(まにま)に、
大神等はも、某年と云ふ年、是の〇〇の清き明(あか)き処と、今の〇〇てふ処(ところ)を斎(いは)ひ定めて鎮め奉りしより此方(このかた)


 次回はいま述べた、代々の神職や氏子崇敬者によって、神社の護持運営が行われてきたことについてどう書いていったかを説明したいと思います。

2017/06/19

宮司就任奉告祭祝詞2 幹部①

 きのうに引き続き、本題部分について述べます。

 まず書き出す前にどのようなことを考えたのかというと、第一に、高天原から始めて、修理固成の御言依さしが受け継がれてきて、それでじぶんがこれからご奉仕申し上げる神社のご鎮座に至ったということです。

 第二は、ご鎮座以降、代々の神職を初め氏子崇敬者の信仰心により、神社の護持運営が行われてきたということ。

 第三は、神社の最近の状況を踏まえた上で、じぶんがお仕えすることになったと申し上げよう、ということ。

 これを順番に申してゆき、神饌をお供えする部分につなげようと考えました。

 前置きはこれくらいにして、さっそく一番目から順に、どのようにつくっていったのかを述べてゆくことにしましょう。

 結局は、高天原にいらっしゃるカムロキノ命、カムロミノ命の仰せで……という、よく式祝詞で見かけるかたちとほぼ同様なのですが、まず以下のようにしました。

高天原に事始め給ひし岐美(きみ)二柱(ふたはしら)の大神等(たち)の御言(みこと)依(よ)さしを

式祝詞では「高天原に」のつぎは、「神留(づま)り坐す」、あるいは「事始めて」「神留り坐して事始め給ひし」と、みっつのパターンしかありません。ここでは「ことをお始めになられた」ということで「事始め給ひし」としました。

ただ、「こと」といっても具体的になんなのか明確ではなく、いろいろな解釈ができるところです。私がここで想定したのは、国生み、神生みを初め、ありとあらゆることをお始めになった、ということでした。前述のように、修理固成を軸に書いていこうと思っていますので、当然、修理固成も始められたとの意を含んで「事始め給ひし」としました。

始めたのはつぎの「岐美二柱の大神等」ですから、「始め」には敬語をつけます。「し」は過去の意味。

 その「岐美二柱の大神等」は字そのままの意味でしたら、男神・女神二柱ということになります。その男神・女神、式祝詞であるかたちではカムロギ、カムロミノ命が、具体的にどの神様なのかについては諸説あります。

 また、例えば「神漏伎・神漏弥命」(式祝詞の祈年祭での表記)のように、ちゃんと書かないのかという意見があるかもしれません。ご神名を申すことについては、お名前を申すのをはばかる立場と、お名前を申すことでご神威の発動を願う立場とがあると思います。ここではカムロギ、カムロミノ命に申す祝詞ではなく、これからじぶんのご奉仕する神社のご祭神へ申すことから、「岐美二柱の大神等」としました。

 では「御言依さしを」の「御言」とは何なのか。これは修理固成せよ、との「御言」を想定しています。古事記によると、以下のようになっています。

ここに天つ神諸の命もちて、伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱の神に、「この漂へる国を修(をさ)め理(つく)り固(かた)め成(な)せ」と詔(の)りて……

 この「修理固成」が天つ神諸から、イザナギノ命、イザナミノ命へ、またその後、三貴子へとつぎつぎに伝わっていき、遥か後代のわれわれにまで届いてきていまに至る、という思想があります。この思想を踏まえて、作文したいと考えたわけです。

 ではその「修理固成」の「御言依さし」が伝わってきたようすを、どう書くか。もちろん具体的にいちいちあげてゆくより、おおまかに申す方が無難でしょう。そこで、

天つ序(つぎて)・国つ序と樛(つが)の木の弥継継(いやつぎつぎ)に伝へ奉り給ひし随(まにま)に

 としました。「序」は順番、次第という意味。高天原でも葦原の中つ国でも(「御言依し」が受け伝えられて……)ということから「天つ序・国つ序」と並べました。つづく「樛の木の」は「つぎつぎ」にかかる枕詞です。その「つぎつぎ」は「継継」としていますけれども「次次」とも書けるところです。

 つぎの「伝へ奉り給ひ」は二方面への敬語をつかっています。ここで「伝へ」たのは多くの神々、「伝へ」られたのも神々ですので、どなたへの敬意かがはっきりしませんけれども、どちらも敬意を払うべき対象ですので、どちらにも敬語をつかいます。時代がくだると、伝え、伝えられてきた中にわれわれに近しい人々もでてくる、ということになりますが、だからといって敬語をつかわないわけにはいきません。

 蛇足ながら、二方面に敬語を用いるのは平安時代以降なので、上代では、こうして二方面に敬語をつかうことがありませんでした。例えばこの場合、上代ならば「伝へ奉り」としていたところです。式祝詞はこんにち作文する上でも、なお規範でありつづけていますが、この点には注意が必要です。


 あすはこのつづきの部分、じぶんが宮司として奉職することになった神社の、ご鎮座の状況についてどう書いていったか、説明したいと思います。