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2019/09/01

小豆洗い

百物語 第七十九夜

小豆洗い


※怪談です。苦手な方はご注意ください。


 最近、引っ越したんですよ。わたし、実家住まいなんで、わたしももちろんいっしょに引っ越しました。

 子供の頃から父が転勤ばかりしてるんで、もう慣れっこになっておりまして……母なんて、引っ越し先の部屋をいちどパパッと見て回っただけで、家具の配置が頭に浮ぶっていいますしね。

 他の家に比べれば、家具も荷物もそんなにないんじゃないでしょうか。一年たたずにまた引っ越すこともありますから、しらずしらずのうちに物を増やさないようにしているんでしょう。

 ふだんから、心の準備をしてる。ふつうの人はそれじゃ落ち着かないんでしょうけれども、わたしは全然気にしてません。

 ええ、子供の頃……特に中学生の頃は、転校、転校って嫌でした。

 わたし、人からドライだっていわれることがよくあるんですけれども、こんな子供時代を過ごしてたらね、ドライにもなりますよ。

 いま話してる相手が、数か月後には疎遠になってしまうかもしれない。いま、こうやってくだらないことを数人で笑いあっていても、そのうちみんなバラバラになるんだろうな……どうしても、こう考えちゃう。べたべたすることなんて、とてもできませんよ。

 こんど引っ越した家はもちろん借家なんですが、リフォームした直後で、わたしたちが初めて入る家族ってことでした。

 外観はともかく、中は新築と変わりません。床も壁も、見た目は新築。

 父が、これならしばらくいてもいいなあなんていってましたけれども、どうせまたすぐに転勤になるわよって、母に決めつけられてましたね。

 ただ、一階にいるとなんとなく圧迫感があるというのか……天井がちょっと低いんですよね。

 正確に測ったわけじゃないですけれど、二階の方があきらかに天井が高い。

 変わってますよね? でも、父も母も気にしすぎだ、まだ慣れてないからだっていうんで、そうかもしれないって、じぶんにいい聞かせたんです。

 わたしも父も翌日から仕事なので、引っ越し作業は母がやってって感じで、三日くらいでほとんど終了しました。

 なにかこの家、ちがう……って感じたのは、それからまもなくでした。

 そのとき、わたしは晩ごはんをすませたばかりで、じぶんの部屋にいました。

 音楽をかけ、ベッドの上に寝転がってボーッとしてて……うとうとしはじめたんです。食事後だし、繁忙期で疲れていたこともあったんでしょう。

 ああ、お風呂入らないと。

 父さんはまだ帰ってきてない。

 母さんは洗い物終わって洗濯物畳んでるかな、手伝わないと。アイロンがけするやつ、あったっけ……?

 そんなことをぼんやり思いながら、意識がとぎれとぎれになった状態に入って……すると、波の音が聞こえだしたんです。

 もちろん、かけていた音楽とは違います。

 かけてたのはヘビィメタ。音は絞ってましたが、好きじゃない人からすればほとんど騒音でしょう。

 それが……波の音に替わってるんですよ? 「睡眠導入」「才能を呼び醒ます」なんてCDに入ってるような波の音。

 波が押し寄せたり引いたりするたびに大きくなったり小さくなったりする。

 ヘヴィメタの方に意識を集中したら、遠くで聞こえているくらいの音量まではいくけれども、気を抜くと一気に波の音になる。

 えっ? いえいえ、それだけでした。その程度のこと……なんです。

 だから、何? っていわれると、それ以上話しようがなくなっちゃう。

 それから……時間でいうと、三十分くらいでしょうか。

 どんな目覚ましよりも効果のある母の声がして……風呂に入りなさいって、階段の下でね。

 ああ……もう。先回りしないでくださいよ。

 うん、そうそう。そうです。

 そのとおりなんですけれども。

 はい。それから毎晩、波の音が聞こえだすようになったんです。

 なにか音楽を聞いてても、それ以上の音量でかぶせてきますし、べつにうとうとしてなくても波の音がする。

 ええ、それは……どうなんでしょうかね。

 意識しちゃったら、それ以来ずっと聞こえてしまうってものなんでしょうかね。

 それで睡眠不足になったってことはありませんし、むしろ心地よいくらいで。

 まったく害はないんですが、それでも、気にはなったんです。なんでこんな音がするんだ……って。

 それでこの前の休みの日に、音がしだしてから探索を始めたんです。

 まずとなりの部屋。タンスや母のミシンがあって、だれもじぶんの部屋にしてません。でも、音源になるようなものはありません。

 わたしの部屋の前までもどって、廊下に立ったままじっとしていると、音がかすかに聞こえます。

 ドアを開けると、けっこう大きく聞こえる。当り前です。

 じゃあ、向かいの部屋は、とドアを開けると……こっちじゃまったく聞こえません。

 あちこちの壁に耳をつけてもみましたが、よく分からない。とにかく、わたしの部屋に音源がある。

 ベッドの上に立って、天井をうかがってみる……心なしか音が弱まったような気がする。

 じゃあ、床は……寝そべって耳をつけてみました。

 すると、急にザザーッと波が押し寄せてくるような音がして、わたしは慌ててその場に起き上がりました。

 ええ、床の下だったんです。音は床下からだった。

 その下がリビングとキッチンの中間あたりにくるんですが、一階にいても波の音がしたことなんていちどもありませんでした。

 母がなにかしていたり、テレビがついていたりするから気がつかなかったのか……じゃあ、ヘヴィメタ以上に聞こえたってのは、なんなんだろう?

 まもなく帰ってきた父に、嘘をつきまして。

 部屋の床下から、変な音がする……と、これは嘘じゃない。

 もしかしたら、だれかが入りこんでるかもしれない、怖い……と、これは嘘です。

 そしたら父が予想以上に真剣になってしまいまして……服を着替えて早々、調査開始となったんです。

 まず、外に出てぐるっと家を一周してみました。

 どこか目につきにくいところに侵入口があるんじゃないかって。父はけっこうじっくり見てたんですが、そんなものはなかった。

 明るくなったらもういちど見てみようってことで、家の中へ。

 その間も、波の音はしていました。

 わたしの部屋に入ったとたん、父もその音に気づいて、わたしがしたのと同様、音源を探しはじめました。

 まもなく、やっぱり床下だろうってことになったものの、あいにく絨毯を敷いています。

 それを剥がして探ってみるのはたいへんだってことで、一階に降りました。

 父はキッチンとリビングの間に立って、しばらくのあいだ耳をすませていました。

 あれを開けて見てみよう……と、キッチンの隅の天井を指さすのを見ると、そこには正方形の板がはめこまれています。

 横につまみがある、取り外せるようだ、懐中電灯持ってこい……となりまして。

 リビングから椅子を持ってきて、父はその上にのぼり、板をあげて首を突っ込みました。

 ……なんじゃ、こりゃ、というのが父の第一声でした。

 わたしと母はようすを見守っていましたが、なんなの? と聞くしかありません。

 部屋がある……というのが、父の返事。

 せまいけれども、椅子とか机とか……学校でつかっているような椅子や机がたくさんあって、黒板や教卓まである……いえいえ、それが、ごく小さいものなんです。

 父につづいて、わたしも見てみたんですよ。

 あんな机と椅子なら、身長三十センチくらいじゃないとつかいものになんないんじゃないかな……。

 小人の学校? やめてくださいよ……小人がたくさんいて勉強してるなんて、怖いじゃないですか。

 だいたい、なんで小人の学校があったっていうのに、波の音がするんですか? わけが分かりません。

 その後……不動産屋さんや大家さんに連絡したり、会ったりって、父はしばらく面倒だったようですけれども、結局そのままなんです。

 べつになにか謂れがあるわけでもありませんし、住むのに支障ありませんから、どうしようもない。ただ、夜に波の音がするだけ。

 かといって、あんなもの、触るのはイヤだし、動かしてなにかあるのはもっとイヤだ。

 ああ、そうそう……外部から人間が入ったような形跡はありませんでした。

 侵入口はないし、空気孔なんかはありますけれど、ふつうの人間が出入りするのは無理なサイズです。

 うん、ふつうの人間にはね。あくまでも。

 ええ、いまもしてるんですよ、波の音。

 もしよければ聞きにきてもかまいませんよ。

 わたしの部屋、物があんまりないし、いまはただ寝る場所になってしまって。

 いつも綺麗ですから。

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2019/08/31

死の鳥

百物語 第七十八夜

死の鳥


※怪談です。苦手な方はご注意ください。


 五歳のときです。

 ある夜、表が騒がしいのでふと目をさましたんです。

 夜中で、両隣には両親が寝ていました。

 聞いたことのない音がしていて、それが近づいてくる。

 わたしはどうにも気になってしまいまして、布団を離れて窓辺にゆき、カーテンをめくってみました。

 すると、向かいの家のおばちゃんが立っていて、首を伸ばしてなにかを見ている。

 おじちゃんも腕を組んで、同じ方を見ている。

 そればかりか三々五々、近所の人が集まってきました。

 みなその場に立って、わたしから見て右手に顔を向けています。

 まもなく、近くで飼われている犬がいっせいに吠えだし……ソレが、現れました。

 男。いや、男だと思うんですが、定かではありません。ぜんたいの様子からは男のように見えますが、男装した女だったといわれれば、そんな気もします。

 なにしろ背が低いし……ええ、百六十センチほどの父より低いな、とそのとき思いました……それに、ひどく華奢な感じがしたんです。

 そいつはフェルト地のつばつきの帽子を目深にかぶっていて、顔の下半分には包帯を巻いています。

 そして、肩にはなにかをかついでいる。

 それが、こっちに向かって歩いてくる。

 音が大きくなってくる。

 父と母が起きだしてきて、わたしの後ろに立って往来のようすを見渡しました。

「なんなの?」

「なんだろう」

 ふだん深夜にそう人が集まることなんてありませんでしたし、両親が困惑気味だったのを憶えています。

 そして、そいつがちょうど家の前を通りかかったときです。

 コラ! と、だれかが叫びました。

 いやあ、そこまでは……分かりかねます。

 とにかく、その場にいただれかが叫んだ。

 するとそいつがですね、急に走りだしたんです。

 その場に立ってた人がそのあとを追いかけて……瞬く間に、だれもいなくなってしまいました。

「なんなの?」

「なんだろう」

 またそんなことを両親がいって。

 でも結局分からないから、寝ようってことになったんです。

 ところが翌朝、そいつの置き土産があったんですよね。

 鴨とか、鶏とか……よく見ませんでしたが、とにかく鳥ばっかりです。

 なぜか、みんな羽と足を縛られていて、身動きできず鳴きわめくばかり。

 それが家の前に……うるさくてわたしも両親も眼をさましたんです。

 どうやら夜、騒がしかったのはこの鳥のせいで、そいつが肩にかついでたのは袋かなにか、おそらく袋に鳥を入れてたんだろうと。

 そいつを追いかけてって、捕まえたのかどうか。

 ちょっとそのあたりはあいまいなのですが、きっと捕まえられなかったんでしょう。

 ただ、そいつはべつに鳥泥棒なんかじゃなかった。

 近所で盗みに入られたって通報する人はいなかった。

 だれかがコラと叫んだ。するとそいつが走りだし、みんな理由が分からないまま追いかけた……それだけなんです。

 まあ、あからさまに怪しい姿ではありました。もしかすると変質者かなんかだったんでしょうか。

 それにしても、きっと未遂でしょうよ。いやあ……よく分かりませんが、性犯罪者でもないでしょう。

 あんな大きな袋に鳥を抱えて……不自然にすぎます。

 さて、だんだん日が昇ってくるにつれて、また近所の人たちが集まってきました。

 目の前には、ガアガア、コケコーと騒ぐ鳥が多数。

 この鳥どうする? となって……結局、駐在所に届けることになったんです。

 おまわりさんも困ったと思うんですよね。

 生き物ですからエサをやらなきゃならない、逃がしちゃいけない。勝手に処分してしまうわけにもいかない。

 田舎なもんで養鶏やってる農家が多いから、使ってない檻をいっぱい借りてきて駐在所の脇でしばらく飼ってました。

 でも、つぎの日から一羽、また一羽と……バタバタッと死んじゃったんですね。

 それとほぼ同時期に、あちこちで亡くなる人が出始めまして……死因はバラバラです。

 自殺した人もいましたけれど、たいてい病死です。

 五、六件目になったところで、いくらなんでも短期間にこんなにオトムライが出るのはおかしい、と噂しあうようになりまして……気づいた人が、いたんです。 

 あの晩、道に立ってあいつがくるのを見送った人が死んでるんじゃないか、って。

 これはもう、防ぎようがないですよね。それでも鳥の数は有限、まもなく全滅してしまいまして……ええ、同時にパタッとお葬式も止まって。

 もちろん、こんな噂も立ち消えになりました。

 ううん、どうでしたかね……二十羽は確実にいました。三十羽まで行くかどうか。

 いえいえ、これは、わたしの記憶に、母からあとで聞いたことを加えてお話ししているんです。

 五歳ですから、近所の人がひそひそなにか話してて、なんとなく不吉な感じがするってのは認識できていても、内容まではよく分かりませんから。

 おかしなことに、父はこの間の事情をまったく憶えていない……ええ、まったくです。

 コレについて父母が話をすると、険悪な雰囲気になって終わるんですけれども。

 父は、そんなことあったかと、いまでもいっております。

 確かにわたしの後ろに立って、往来のようすを眺めて、母となんだろう、なにかしらといい合ってたはずなのに。

 知り合いもけっこういたので、何度も葬儀に参列しているはずなんですが。

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もう引っ越してその町を離れてしまいましたので……確かめるとなると、なかなかたいへんです。

 近所の人で、当時のことを憶えている人が絶対いるはずなので、もちろん聞いてみたいとは思うんですけれども。

2019/08/30

三四郎狸

百物語 第七十七夜

三四郎狸


※怪談です。苦手な方はご注意ください。


 あんまり田舎すぎるんじゃねえかって話だけども。

 つい最近よう――狸に化かされたって話で町中もちきりになったんだ。

 おれが住んでる町ってのは、人口がどんどん減って今じゃ三千くらい、まあ過疎化が進んでるわけだ。

 若いのは全然いない。子供はなあ、そこそこいるよ。朝と晩、ジャージ着てぽつりぽつりと歩いてるのを見かける。

 ただ、高校がないから……ああ、ないんだ、高校が。だから中学卒業したらみんな外に出て、そのまんま。帰ってくるのはわずか。残るのは爺さん婆さんばかりだ。

 で、その爺さん婆さんの中には信仰心の篤いのがいる。寺参りをする。毎日通ってるのもいる。

 なぜか町営墓地があんまり人気なくてな、寺の境内に墓があるってうちが、けっこうあるんだ。死んだらよろしくってのもあるんだろうが、じぶんでお経を唱えてる爺さんも、こないだ見たなあ。

 寺はふたつあってな、小さい道をはさんで、並んでるんだ。うん……ああ、ふたつしかないんだよ。ふたつだけ。いやあ、十分でしょ? ふたつで。なんせ三千人くらいしかいなんだから。ひとつは禅宗で……もうひとつは浄土宗だったかな。自信ないけど。

 さて、事件はそのふたつある寺の間の道で起こった。

 べつにおたがいの寺を見ないようにしてるわけでもなかろうが、道の両側は塀で、その向こうにゃけっこう背の高い木が並んでる。

 夏場なんかは下にいると涼しいわな。日中でもちょっと暗くて、陰気なところだ。人はあまり通らず……って、他の道にしたって人がいっぱい歩いてるわけじゃないから、たいした変わりないかもしれん。

 寺帰りの爺さん婆さんの夫婦が、仏さんにお供えしたものをな……この道で失くしたんだ。

 パッと消えた。うん……パッと、だ。少なくとも本人たちはそういってた。スーパーで買った饅頭と落雁のパックが計三つ。

 レジ袋に入れてたのが急に軽くなったので見たら、影もかたちもなくなってる。もちろん、レジ袋にゃ穴なんざ開いちゃいない。

 落したんじゃないかって、引き返した。ゆっくり、ゆっくり……ヨチヨチ歩いて。寺の塀の角を曲がって、門まで。境内に入って、墓の前まで……探してみたが、とうとう見つからなかった。

 うん。お盆のときだっていうから、ちらほらいるよ、人は。でも、お供えしたもんを拾って持ってくって人はいないしょ? 饅頭と落雁だから、すぐお供えって分かるんだから。

 いやね、昔は食べたもんさ。おれの町じゃ……お供えは墓に置いていくのがふつうだったんだな。それに、よその墓にあがってるものを食うのは、むしろいいことだった。供養になるってな。おれの子供の頃はそうだった。

 だがいつの頃からかカラスが食うから持ち帰りましょうってことになって、今に至るわけだ。

 昔はそうだったんだから、年寄りの中には、道に落ちてるのを、あるいは墓に供えてあるのを見て、持ってくもんもあるか分からん。

 そうじゃないなら寺に届けたのかもしれん。届けられても困ると思うんだがな、いちどお供えしたものなんて……うん、お寺さんには聞かなかったそうだ。忙しいだろうからってな。

 でもな、話はもとに戻るが、パッと消えてるんだな。

 手に持ってるのが急に軽くなったから、饅頭と落雁がなくなってるのに気づいたわけだ。

 どこ行ったんだろうって探し回ったのは、そんなことなど起りようがないって、やっぱり疑ってたんだろうよ。それが、見つからなかった。

 結局、爺さん婆さんはあきらめて帰った。財布落としたわけじゃないからな。饅頭と落雁だから、あきらめもつくってもんで。

 ……ところがその数時間後だと思うんだが、こんどはまた別のグループの供えたもんがなくなった。やっぱり寺と寺の間の道で。

 爺さん婆さんと、その子供夫婦、孫と五、六人だったかな。歩いてるうちにいつのまにか消えた。これは確か、ぶどうやら和菓子やらのパックだったって聞いた。

 うん、全部だ。全部なくなった。落としたんじゃないかって探したのも、見つからなかったのも同じ。

 ついでまた別のご一行が、それからまた別なのが同じように……と、つづいたんだな。

 で、これが噂になった。

 寺の脇の道を歩いたらお供えをとられる、ってな。

 うん、〈とられる〉なんだ。〈なくす〉とか〈なくなる〉とかじゃないんだ。ひとりでに消えるわけがないんだから、お供えをとったもんがあるってこった。

 いや、動物はいない。いくら田舎っていっても市街地の中だし、今日び、野良犬、野良猫がそうそう歩いてもいない。

 お盆が明けた頃にはな、こりゃあ〈三四郎狸〉が帰ってきたんだ、そいつのしわざに違いないっていうやつが現れた。

〈三四郎狸〉ってのはな、このあたりに出没して、弁当の中身やなんかを奪ったっていう狸さ。最初に奪われたのが三四郎って人だったから、そんな通り名がついた……と、これは受け売りなんだけれども、まあこの一帯の言い伝えさ。

 でも、おれが聞いたところじゃ、〈三四郎狸〉ってのは明治の頃の話だ。町史の伝説を書いたページにも載ってるっていうんだが。

 それにしてもまた、えらい古いもんが再登場したもんだ。だいたい、明治時代の狸が食いもんを奪うなんて、そんな馬鹿な話があるかって……うん、そう思うよなあ? おれもそうだった。

 面白いことに、これをいいだしたのも同調したのも、三十、四十くらいのやつらだったんだな。

 爺さん婆さんの方は、そんなことあるかって、馬鹿にするもんが多かった。普通、逆じゃねえかって思うんだけれども。まあ、最近の爺さん婆さんの中には、いい歳して昔のしきたりや常識を知らんのもいるからなあ……。

 ああ、駄目だね。少なくともおれの周りじゃそうだ。人のこといえんけど、戦後まもなくの生まれなんて全然ダメだね。

 話がそれちまった。さてこの騒動、しばらくつづいたんだが、お彼岸のときまでにゃ解決しなきゃならないって、三十、四十くらいのやつら数人がカメラ何台かしかけたり、交替で見張ったりしたんだな。

 まず〈三四郎狸〉かどうかはともかく、どうしてお供えが消えるのか探ろうってことでな。猟銃免許持ってるやつがいるんだが、さすがに街中じゃぶっ放せない、罠仕掛けるにしても人間がかかっちまうかもしれんていうんで、捕獲はひとまず諦めた。

 仕事もあるし、女房も子供もいるってのにご苦労なこったって、爺さん婆さん連中は笑ってたな。

 こっちの方がよっぽど暇のはずなんだが、みんな放っとけばいいっていう意見だった。

 若いやつは頑張ってたな。炎天下の中、ひとりがエサの入ったレジ袋とビデオカメラを持って寺の間の道を行きつ戻りつする。

 もうひとりは近くに車を停めておいて、パソコンの画面になにか映らないかチェックする。時間を決めておいて交替する……なんて具合に。

 カメラは両側の塀の上に四台、道に二台。ある程度、距離をとって設置してあった。

 こうして張り込みをつづけていくうちにも、お供え消失事件はたびたび起きている。にも関わらず、若い連中のは奪わない。お供えしなきゃダメなんかって、一回わざわざ墓にお供えしてから持ち歩いたんだが、異変もなにもない。

 その頃にゃ爺さん婆さんたち、墓参りからの帰りは、寺の間の道を通らず、遠回りするようになっていた。

 そして……九月十日の朝っていったな。とうとうシッポをつかんだ。

 若い連中、落雁のパックにな、紐を巻きつけておいたんだ。キッチリとな。

 落雁のパックは消えちまった。でも、紐はある。見ると、寺の塀の角まで伸びている。

 紐の先端をとり、慌てて追いかけた。カメラは回したまんまだ。車の中からモニターを監視してたやつも出てきて、そのあとにつく。

 紐は伸びて伸びて……川の方へとゆく。

 土手を登って、おりて……おりたところの茂みの中へと、落雁パックが入っていくのを見つけた。

 そこへモニター監視してた方が追いついて、茂みを回りこむように移動する。

 ガサッと音がしたかと思うと……一声、ギャン。

 それがあんまり大きいんで思わずひるんだんだが、カメラを持った方が茂みをかきわけて入った……だが、それはもういなかった。

 しばらくじっとしてカメラを回してたんだが、再び現れることはなかった。

 落雁のパックは……開けた形跡はないってのに、落雁だけがなくなっていた。

 仕方ない、車まで戻ろうってんで、ふたり並んで歩きだした。ああ、寺の近くに停めてあるからな。

 いまのはなんだったんだ、やっぱり狸っぽいな、つぎの作戦は……なんてことを話しつつ寺までくると、車の脇にモニターを監視してたやつが立っている。

 エサを持ってたやつの方に近づいてきて、

「どうしたんだよ、急に駆けだしたりして……なんかあったのかよ」

 なんて聞いてくる。

 エサを持ってた方は、えっ、となった。

 いままで話してたやつは……脇を見ると、だれもいない。

 事情を説明すると、こりゃあ一杯食わされたんじゃねえかってことになった。

 それで車に入ってな、カメラで撮ったのを見てみることにした。

 ところがなにも……全く映ってなかったんだな。真っ黒。モニター監視してた方は、さっきまで異状なかったんだがなあと首を傾げる。

 ただ、ギャンと一声あげているのだけは入ってた。

 こりゃあ本物かもしれんなあ、やられたか……それにしても頭が痛くなるくらいの音量だ、なんていい合った。

 それにしても疲れたな、ひさしぶりにあんなに走ったってジュースを飲んで一息ついていると、車の外にだれかがきた。

 そこでまた、えっ、となった。

 モニター監視してたやつが、いつのまにか外にいて怒鳴ってる。

「なにやってんだ、開けろ、開けろ」

 知らないうちに、カギがかかってたんだな。それでロックを外すと、そいつ、死ぬかと思ったっていいながら入ってきた。

 いままで一緒にいたやつは……いなくなってる。

 もう一回、エサを持ってたやつが経緯を説明したらな、モニターを監視してた方は、嘘つくなって怒りだした。

 一緒に追いかけてった、川原に茂みのところで、おれがまだ探しまわってるってのに、おまえはブツブツいいながら勝手に帰ったんじゃねえかって。

 じゃあ、あのときつれだって車まで戻ったのはだれなんだ。

 車の脇に立ってて、録画したのを一緒に見たのはだれなんだ。

 いや……おまえって……本当におまえだよな?

 ――幸い、そいつは本物だった。

 それ以上の怪しいことはもうなかったんだ。家族構成やら、ふたりだけしか知らないことやらを、長い時間かけて確認しなきゃならなかったんだがな。

 そして、落雁はキッチリ奪われちまってる。これ……やっぱり化かされたってことだよなあ。

 残ったのは、ギャンと一声だけ大音量で入ってる録画……ただし画面は真っ黒けってやつと、落雁だけ抜き取られてるパック。

 ああ、おれも見てみたんだ。でも、証拠にもなんにもなりゃしないだろう。声にしたって、専門家に聞いてみたらなんの声だって分かりそうなもんだし、パックにしたって、落雁だけ取ってラップを包み直すなんてこともできそうだしな。

 ああ、今でも相変わらず寺の間の道じゃ、お供えがとられてるな。とられても別にさしあたって困りゃしないってんで、その道を通るのもいるし、家に持って帰って食うべえって避けて帰るのもいる。

 若いやつらの間じゃ〈三四郎狸〉のしわざってことに、やっぱりなってる。正体をつきとめようって試みは中断したんだけれども、またそのうちやろうっていってるな。

 で、爺さん婆さんはそれを否定してる。

 ああ、おれもな……実は取られてるんだよ。パッと消えた。本当に、パッと消えたとしかいいようがないんだ。ええと……温泉饅頭の十二個入りのやつと、月餅三個と、二回、な。

 いやいや、絶対落としちゃいないんだ……墓に供えたまんま忘れてきたってのもない。

 本当にパッ消えるんだから。あっと思ったつぎの瞬間には、なくなってる。すさまじいもんだぜ……ありゃあ。人智を超えてる。

 あんたも試してみるかい?

 いっぺん体験してみなよ。

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2019/08/29

潔斎

百物語 第七十六夜

潔斎


※怪談です。苦手な方はご注意ください。



 最近、東北のとある山に登ったときのことじゃ。

 ……ん? うん、もうあまり長くはないからのう、死ぬ前に行って置きたかったってこっちゃ。

 ああ、ただの登山じゃないわい。

 古来篤く信仰されてきた山の上に神社があってな、そこにお参りしたかった。

 標高は千メートル以上あって、夏でもむろん寒い。若いのふたりに荷物持ってもらってな。

 わがままにつきあわせて……体力からいって、ふもとからじゃとても登れんので、途中まではバスで行った。

 バスの終点にも神社があって、斎舘がある。うん、サイカン……こりゃあまあ、わしみたいな参拝者のための宿泊施設。レジャー目的では泊めないところだ。

 その斎館で一泊して、いよいよお山に向かうこととなった。

 ところが出発して三十分ほど、まだほとんど平坦な道でな、若いもんのひとりが突然足を止めたんじゃ。

「どうした」と聞いたら、

「分からない、なぜか身体が動かないんだ」という。

 前の日の朝からいっしょじゃが、原因になるようなことは思いあたらん。本人に尋ねても、

「調子は悪くない、むしろすがすがしい気分です」なんていっとる。能天気なもんじゃ。

 もうひとりの若いもんが、ふざけてるだけなんじゃないのかってな、背中を強く押した。

 じゃがのう……つんのめって倒れてな、手をついたんだが、足の方はガンとして動かない。

 ぴったり地面にくっついておる。

 わしとふたりがかりで足を持ちあげようとすると、本人、ひどく痛がる。

 そうして困っとったところへ、人が通りかかったんじゃ。

 山伏姿でな。額にゃ黒い頭巾、鈴懸を首にかけて、錫杖シャンシャンいわせてな。目鼻口が大きくてまるで天狗じゃ。

「どうしましたか」とかける声はふつうじゃった。

 事情を説明すると、

「ああ、たまにそういうことはあります」顔色を曇らせてな、「お山に登られるのは、止めた方がいいかもしれませんよ」

「ですが、この歳ですのでね。こうしてくることはたぶん二度とできませんので、なんとか登っておきたいんです」

 山伏はそうですかと答えた。首をひねって考える風じゃった。

「罰当たりな話ですけど、昔このあたりで首をくくった者がおったんです。そのせいかもしれない」

 そばに岩があって、その上に張り出している枝を指さす。

 ハアそうですかと間抜けな返事をすると、これでなんとかなるかもしれないって、若いもんの足のあたりで指をスウーッと何度か上下させた。

「どうですか」

 すると若いもん、

「ああ、動くようになった」

 これも間抜けな返事じゃな。それにしても驚いた。さっきはテコでも動かんかったのが、自由に足を上下させている。

 ピョンピョン跳ねたり足をかわるがわる上げ下げしたりしていると、山伏は、

「よかった。それでは」といいのこして、去っていった。

 それがまたたいそうな早足でのう、わしらもそのあとについていったわけだが、あっという間に見えんくなった。

 真夏のことで、天気がよかった。

 まだそう標高のある場所ではないからか、天候が急変する恐れはなさそうじゃった……と、いうのが甘かったんじゃな。

 なんだか曇ってきたなと思ってからすぐじゃ。

 霧雨がサアーッと周囲に現れ、視界がほとんどきかなくなった。

 当たり前じゃが周囲にあるのは木々や草、あとは自分の前後に道あるのみ。

 つれは便りない若いのがふたり。

 その時点では斎館を出発して一時間少々だったか、足が地面にひっつく騒ぎもあって全行程の二割程度しか進んどらんはずじゃった。

 ……そこへのう、シャン、シャン、シャン……と、音が聞こえてきてのう。

 うんにゃ、背後からじゃ。

 わしらは、山伏がひとり、またきたんじゃないかっていい合った。

 ところが、だんだん霧の粒子の中に現れてきたその姿を見ると、さっき追いこしてった山伏じゃった。

 でっかい目鼻口、天狗みた風貌。まちがいない。

 三人で顔を見合わせたけれども、とにかく向こうの方が足の速いことは確か。

 わしらの歩いているのは、けもの道に毛の生えたような程度。もちろん、道を譲ろうとして脇に寄って足を止めたんじゃ。

 距離は二、三メートルくらいか。

 山伏がこっちへ向かって……こない。

 錫杖をシャンシャンいわせて歩いているらしいんだが、いつまでたっても追いつかん。

 しかも、さっきわしらを追いこしてった山伏が、だぞ。

 この状況にたまりかねたのか、若いのがいった。

「なんだよ、あれ……」

 そうはいわれても、わしにも分からん。

 狐かなんかじゃないかと笑って、また歩きはじめた。追いついたらその時点で道を譲ればいい。

 こうしてしばらくの間、うしろでシャンシャンいってたんだが、いつのまにか音がしなくなった。

 すると、ひとりがオオッと叫んだ。

「あれ、あれ……」

 あれじゃ分からんと指さす方を見れば、やっぱり山伏は二、三メートル後方を歩いている。

 錫杖の輪っかが揺れている。

 でも、音が聞こえない。

 まあ山ん中じゃから音がどっかに吸いこまれとるんじゃろうって、若いもんに適当なことをいってな、また歩きだした。

 こうしてるうちに、山頂のお宮に到着した。

 念願かなってわしは心おきなく参拝しての、鳥居の上にうまく小石が乗っかればいいことあるって聞いて、乗っかるまで投げつづけてから、御朱印とお守りをいただいて下山することにした。

 いくらこれが目的だったといっても、頂上全体に強風が吹き荒れとったし、霧だか雨だか分からないもんが四方八方からぶつかってくるし、雲のきれっぱしがあちこちを流れてるしで、さすがに年寄りにはきつかった……それどころか、若いもんの顔を見ると、これもかなり疲れとるようじゃった。

 山に登るときには、登りより下りに気をつけよというのう。

 どうしても勢いがつく場所が多いから……それで、のんびり下るぞといって歩きだしたんじゃが……若いもんのひとりが突然、怖い、行きたくないといいはじめた。

 理由を聞いても、なんとなく怖い、このまま進みたくない気がすると、なんだかシャキッとしない返事をする。

 なだめたり、すかしたりしつつ、しばらくのあいだは歩いておったんじゃ……ああ。違うちがう、下りる道は登ってきたのとは違うんじゃ。

 下りてった先にも神社があってな、そこで一泊の予定じゃった。

 じゃから、そいつはべつに、山伏が現れた道をもういちど通るから怖がっていたわけじゃない。

 ……とはいえ、そいつの予感は正しかったのかもしれん。

 また後方からシャンシャン聞こえだしてのう、若いのふたりの顔を見ると、強張っておった。

 振り返りはしないが、そっちに意識が向いておるのがありありと分かる。

 わしは足をゆるめて、肩ごしに見た……うん、これが、例の山伏じゃった。

 いやあ……山伏が危害を加えてきたりな、山の中を迷わされたりしてるんならともかくなあ、なにも問題はなかったからわしは平気じゃった。

 生身の人間といわれても信じそうなほど、ハッキリ、クッキリした姿じゃったしなあ。

 山伏は前方に回り込むことなく、ずっと背後をつけてきて……そんな状況がだいたい二時間。わしがビビったのはそれからじゃ。

 もう、目指す神社が見えてくるじゃろうってとこまできとった。

 目の前に、突然白いもんが現れたんじゃな。

 初めはケモノかなんかかと身構えたら、これが子供……女の子で、いっちょまえにこれも山伏の格好をしとった。

 目がくりくりしとっての、こりゃまたかわいらしい子じゃった。

「なななんだ、どうした」

 わしが動揺してそんなことを叫んだらのう、

「おじいちゃんたち、うしろに気づいてないの?」

 いい終わらないうちに若いもんがあいついで、奇声をあげつつ駈けだした。

「べつに悪いことはせんじゃろう」

「ううん。するよ。おじいちゃんにはしないけど、あの人はお肉を食べたのに、お山に登ったから罰を当てにきたの」

「あれ……やっぱり人間じゃないのか?」

「うん、山伏さんの霊なの。死んでからもずっと修行しなきゃならないんだって」

「おまえさんは……?」

 すると、知らない、といい残したきりその子は背中を向けて、茂みの中に入ってしもうた。

 草の搔き分けてみたが、もう姿が見えんくなっとった。

 いやはや……この子も変よのう。変、変。どう考えてもおかしい。

 わしはまた歩きはじめた。

 するとな、山伏が……ここで追いついたんじゃよ。ああ、例の山伏。天狗みたいな男な。

「やっと追いついた……残りのおふたりは」息を切らしていた。

「先に行ってしまいました」

「ああ……遅かったか。いま、小さな女の子がいましたよね」

 ええ、と答えるしかない。

「じゃあ、先に行った人を追いかけます。失礼します」

 そういって山伏は駈けだしていった。若いのふたりと違って、その足取りの見事なこと、ほれぼれするくらいじゃった。

 狸や狐じゃなかったのか。女の子は山伏の霊ともいっとったが……と、わしはなにがなんだかさっぱり分からんかった。

 山を下りきって神社の前までくると、若いもんが倒れとったが、意識ははっきりしとった。

「山伏がこんかったか」

 すると、ふたりとも、

「やめてくださいよ」と泣きそうな顔でいった。

 どうやら山伏はふたりに追いついていないらしい……むろん、わしが山伏を追いこしたとは考えにくい。

「おまえさん、きのう肉を食わんかったろうな」

「食べてませんよう。食うなっていわれたから、我慢したんだから……カップ麺で我慢したんで」

「あのなあ、カップ麺にも肉が入っとろうが」

「ああ、そういえばそうですね」

 わしは、ガックリきちゃった。

 もうそいつには参拝させんで鳥居前で待たせておいて、わしともうひとりの若いのとでお参りをすました。

 その後、おかしいことはなんもなかった。

 このお山には、肉を食ったつぎの日に登っちゃいけん。そういう教訓じみた話じゃ。

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2019/08/28

寺で遊ぶ

百物語 第七十五夜

寺で遊ぶ


※怪談です。苦手な方はご注意ください。


 わたしには兄がいたんですけれど、四歳のときに死んじゃったんです。

 その頃、わたしは生まれてすぐだったんで、後になって母から聞いた話なんですけれども。

 当時、お葬式がたまたま続いて葬儀屋さんの手配ができなかったんです。

 しかたないので、じぶんの家で全部やろうってことになったそうです。

 ああ、田舎なんです。

 わたしの実家があるのは。

 葬儀屋さん……町にひとつしかなくて。

 それで、伯父がお寺に連絡をとろうって電話したら、

「ああ、○○さんですか……お子さん、どうかなさいましたか」

「え……どうしてですか」

「さっきまで、本堂の前で遊んでたんですよ。ひとりで……まだ小さいし、ひとりでくるなんて変だって思ってたんです」

 死んだっていったら、電話口の相手もびっくりしてたって。

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2019/08/27

マツリノマネ

百物語 第七十四夜

マツリノマネ


※怪談です。苦手な方はご注意ください。


 あなたは、お祭りに行ったことがありますか?

 当然、ありますよね。行ったことがない、なんて人は、聞いたことがありません。

 夜なのに大人から子供までたくさん集まって、わいわい、がやがやと……。オレンジ色の明かりのもと、金魚すくい、スマートボール、輪投げ、射的……どれかひとつは、やったことがあるでしょう。

 わたあめを買って、おめんをかぶって……楽しいですよね。

 でも、実はそれ、お祭りじゃないんです。

 お祭りじゃない、というと誤解を招きますか。では、お祭りのほんの一部といい換えておきましょう。

 じゃあ、本当のお祭りは……というと、神社の中で神主さんが行う神事のことなんです。

 ですから露店やらなんやらは、おまけみたいなものです。

 今は○○祭、なんていって、ただのバーゲンセールを初め、神社と関係ないところでもやっていますが、それは本来のお祭りじゃあありません。むしろ、真っ赤な偽物といえるでしょう。

「秋の感謝祭」といったら、かつては神様に秋の恵みを感謝するお祭りだったのが、今ではお店がお客さんに感謝の気持ちを込めて安く物を売る、そんな使い方をしています。

 僕がこんな話をするのはなぜかというと、他ならぬ僕自身も、最近になって初めてこのことを知ったからなんです。

 それで今日は、警告の意味を込めてこの話をしようと思ったのです。

 昨年、僕が住む町の商工会で、この○○祭というのを企画したんです。

 ○○の部分は、ご想像にお任せします。

 大通りの商店街を二キロばかり通行止めにして歩行者天国にし、テントをいっぱい並べましてね、地元の特産品を安く売ったり、調理したものを出して。

 駅前の特設ステージでは、ゆるキャラや、戦隊ヒーローのショーも行いました。

 要は、地元のPR。観光客をできるだけ呼び込もうという狙いなんです。

 ええ、そうです。これは、神様のいないお祭りでした。本来のお祭りでない、お祭り。

 いえいえ、僕は何も批判しているんじゃないのです。

 きょうび、過疎化していない地方なんて、ほとんどないでしょう。

 限界集落、なんて言葉を聞いたこともあります。子供を生める年齢の女性がおらず、お年寄りしかいない。

 人口が増える要素が全くない。

 あとは徐々に人口が減ってゆく……でも、そんな極端な例をあげなくたって、どの地方も早いか遅いかだけで、みんな似たような経過をたどる恐れがあるというではありませんか。

 そんな状況の中、知恵をしぼって、なにか人を呼べるような企画を立てることは大事でしょう。

 ただ、無知からだとはいえ、お祭りと名前をつけてしまったことで、こんな悲劇が起きてしまった、ということをいいたいんです。

 最悪だったのは、この商工会独自のお神輿をつくって、みんなでかつごうという試み。

 これがなければ、ちょっとは違っていたかもしれません。

 そのお神輿というのは、かたちこそ神社のようではありましたけれど、角材にベニヤ板を貼って色をつけただけ。

 それを商工会の若い人が中心になって、かついでまわる。

 僕もその様子を見ていました。みなお揃いのハッピをつけて、頭には鉢巻、足には地下足袋。

 格好だけは神社のお祭りとそう変わりません。

 それに、子供たちもその行列に加わって、とてもにぎやかでした。

 ですが、彼らがかつぐお神輿ときたら……ハリボテもいいところでした。

 そんなハリボテじゃなく、本物のお神輿の中って、どうなってると思いますか?

 中は、空洞になっているんですよ。

 そこに神社の御神体を移して、練り歩くわけです。

 じゃあ、急ごしらえのハリボテのお神輿には……なにが入っていたんでしょうか。

 ええ、僕は知ってるんです。恥ずかしながら、父が商工会のその企画に関わっていたものですから。

 さすがに、ご神体を貸してくださいと神主さんに頼むことなんてできませんよね。

 商工会の若い人が神社の前に敷いてある砂利の中から、石を持ってきて……それを、中に入れてご神体の代わりとしたそうなんです。

 よくは分かりませんが、神社のお祭りではご神体を移すとき、専門の儀式をするといいます。

 でも、これは商工会の○○祭。

 そんな儀式なんてしませんでしたし、儀式が必要なんてだれも思わなかったんでしょう。

 ただ、商工会のメンバーのひとりが神社の境内に行って、石を持ってきてハリボテのお神輿に入れた。

 それだけです。

 神社に行ったときも、きっと、お参りなんかしなかったんじゃないでしょうか。

 その日、お神輿をかついでまわったときには、なにも問題ありませんでした。

 怪我人もおらず、小さい子は喜んでいたし、表面上は大成功でした。

 でも翌日から、このお神輿をかついでいた人がつぎつぎに、病気になったんです。

 下痢、嘔吐、腹痛、発熱……みんな同じ症状でした。

 ああ、そうですね……そうなんです。食中毒に似ていますよね。

 僕の住む町の人々も、そう疑った。

 僕の町のとある特産品……これは、当日だれもがいちどは口に入れています。

 そのせいで食中毒ってことにでもなったら、町興しどころか売上がガクンと落ちてしまっていたことでしょう。

 お医者さんもそう思ったそうです。ひとり、またひとりとかつぎ込まれてくる患者を診て、食中毒を疑った。

 でも、そうじゃなかったんです。

 調べてみても、食中毒の症状を引き起こすような菌が、見つからなかったんです。

 車で二時間ほどの場所にある医大まで行った人にしても、食中毒のようだがちがう、といわれてそのまま入院させられました。

 あとは毎日、検査、検査、検査……新種の菌かもしれないということで調べられ、たいへんだったそうです。

 そして、ほとんどの人は一か月ばかり入院して……原因が特定できないまま、体調がもとにもどったということで退院してきたそうなんです。

 ええ、死んだ人はいません。

 幸いにも、といっていいものか、どうか。その幸いは、不幸中の幸いというべきものでしょう。

 ただ、お神輿を……ハリボテのお神輿をかついだ人たちがみんな具合を悪くして、しかも同じ症状だってことに気づくまで、そう長い時間はかからなかった、とだけ、いっておきましょう。

 うん、偶然そんなことになった、ということもできます。

 偶然に偶然が重なって、そんなことになった。

 あるいは、それこそ未知の菌で……あはは。そっちの方が恐ろしいかもしれません。

 お神輿をかついだことなんて関係ない、という人も現にいたんです。

 とはいえ、お神輿をかつぐ真似なんてしたからだという声が圧倒的に多かったのも確かです。

 この話は……終わってはいないのかもしれませんが、これで終わりです。

 今話せるのはここまでです。

 ああ、そうですね。

 そうです、そうです。現在進行中の話。

 少なくとも来年はもう、偽物のお神輿なんて出ないでしょう。

 商工会の若い人たちって個人事業主がほとんどですから、店の方をしばらく休まなければならなかった。

 いま、みんな資金繰りやらなんやらで、たいへんだそうです。

 もしかすると、店を閉めなければならないところも出てくるかもしれません。

 それにしても気になるのは、ご神体の代わりにした石がどうなったのか。

 気になりませんか? 気になりますよね。

 でも、残念ながら、僕も知らないんです。

 父に聞いても、分からないといいます。

 神社に行って石を拾ってきた人は、今も入院中なんですよ。

 ○○祭の翌日に倒れて、入院したんです。

 症状は先にいったように、食中毒のようだがちがう、といいます。

 倒れた直後に意識を失ってしまって、今も目をさましていないそうです。

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2019/08/26

タカミさん

百物語 第七十三夜

タカミさん


※怪談です。苦手な方はご注意ください。



 前のカミさんとまだいっしょに住んでた頃の話なんだけど、家事手伝い。ヘルパーっていうの? きてもらってたことがあるんだよね。

  朝九時から五時まできてもらって、金は斡旋所? 仲介してるところに払う。

 なんぼだったか正確なところは忘れたけど、そんな高くなかったな。

 名前はタカミさん。

 いやあ、苗字か名前か……どっちだったかな。うん、名前ではないと思う。そんなに長くは、きてなかったから忘れちゃった。

 タカミさんは、どこにでもいそうなオバサンだった。

 いま思い出してみても、特徴がないなあ……なんだか顔の部品がみな小さくて、ノッペリしてたってことくらいしか。

 冗談いっても笑わなかったけど、かといって陰気だってわけでもないし……いや、仕事はソツがなかった。

 洗濯物はいつでもピシッと畳んであるし、家じゅうピカピカ、もちろん料理も上手い。

 子供もすっかり懐いてたな。ああ、保育園の送り迎えをしてもらってたしな。

 その頃にゃもう、カミさんがかなり具合悪くなってて、オレひとりじゃなんもできんってことで頼んだんだけどさ、家事の方はそんなんで大助かりだった。

 でもって、結局代えてもらうことになったきっかけ……これが本題なんだ。

 あるとき、入院中のカミサンのお見舞いに行ったら、聞かれたんだ。

「きのう、タカミさんきた?」

 タカミさんには着替えの交換なんかに行ってもらってたから、カミさんと面識がある。

 洗濯は病院のコインランドリーをつかって、じぶんでやってたんだが、もったいないなんていいだしてな。

 人に洗ってもらうのもどうかなって思ってたらしいけれど、入院が長くなってたから気をつかったんだろうな。

 カミさん、さらにこういった。

「夜中、寝てるときにわたしのベッドの下、ゴソゴソしてて……でも、起きてから見てみたけど、洗濯物はそのままだし」

「確かなのか? ゆうべはふだんどおり五時に帰ったぞ」

「わざわざ寄ってくれたのかな」

 しかしな、家に帰って本人に聞いてみたんだが、タカミさんは行っていないという。

 洗濯物を取りに行くくらいしか用事がなくて、それが残っていたんだから、ああ、カミさんが看護師かなんかと勘違いしたんだろうっていうことで、この一件は忘れてしまった。

 また一週間くらいたってからかな……カミさんのお見舞いに行ったときのことだ。

「タカミさん……あの人、絶対変よ」

 どうして、と聞いた。

 この間、タカミさんがカミさんのとこに行ったのは、一、二回だろう。洗濯物の分量からいって。

「きのうの晩にきて、部屋の入口にボーッと立ってたの。それでね……絶対笑わないで聞いてくれる?」

「ああ、笑わない……どうしたんだ」

「そのあたりに立ったまんま……」部屋の入口を指さす。「わたしのベッドの下まで手をニューッと伸ばして、なにか探るのよ」

 薬の副作用で幻覚でも見たんじゃないかって思った。

 だいたい、カミさんのベッドは窓際だったんだ。

 四人部屋で、入口から五メートル以上は離れてる。

 カミさんの頭は壁の方、入口を見ようとしても見えないじゃないか。夜はとなりの人が、じぶんのベッドをカーテンを覆ってるんだし。

 だがなあ、カミさんは真剣な表情でいうんだ。

「しばらくゴソゴソしている音が聞こえてた。だから、夢を見てたんじゃないの。意識ははっきりしてた」

「どんな格好してた?」 

「上はね……襟が三角になってる、黒っぽいブラウス。下は膝丈くらいのタイトスカート」

 タカミさんの服装なんて、注意して見てなかった。それでも、前日にタカミさんが着ていたものくらいは分かる。

 まちがいない。前の日にタカミさんが着ていたものだ。

 洗濯物は、そのままだった。

 つまり、わざわざ時間外にきたのではない。いや、そんなことはどうでもいい、手が伸びてっていうのは……。

 いやいや、べつにカミさんがタカミさんを嫌ってたってこたあない。

 むしろ誉めてたし、感謝してた。

 タカミさんはたいてい無表情なんだけれども、カミさんにありがとうといわれて、はにかんでいたこともあった。

 そして、カミさんは裏表のない方だった。十年くらい連れ添ったんだ、いくらおれが鈍いったって、それくらいは分かる。

 ツクリゴトをこさえたんじゃないだろうよ。

 先生にも、聞いてみた。

 だが、いまのんでる薬の副作用で幻覚を起こすことはまずない、という。

 薬が原因じゃないんなら、例えばずっと入院してることでなにか精神面での悪影響があって、そのせいなんじゃないか……。

 いろいろ考えたんだが、わけが分からない。まさか本人に、あんた手が伸びるんですかって聞くわけにもいかない。

 先にいったとおりタカミさんは本当によくやってくれたんだが、カミさんが気味悪がってるから仕方ない。

 病気に障りでもしたら、ことだ。

 それで斡旋所に連絡してな、代わってもらったんだ。

 しかしなあ……カミさんがいうんだよ。

 相変わらず……タカミさんがくるって。やめてもらったってのに。

 幻覚だっておれは思った。やめたのに、くるはずがないっていった。

 それでもカミさんは聞かなかった。

 夜、ふと目がさめたら部屋の入口にボーッと突っ立ってる。

 で、手を伸ばしてくる。カミさんのベッドの下へ……。

 家の中の方に目を移したんなら、代わってもらったのは失敗だったんだけれども……新しくきたのは、タカミさんとはレヴェルが違いすぎてた。

 比べちまうんだなあ……どうしても。

 服を畳むのが遅いし、畳み方が雑。ごはんの味つけがピンとこない。部屋とか廊下とか、たまに掃除し忘れることがある。

 タカミさんは完璧だったんだなあって、思い知らされたよ。

 最低限、子供になにか危険なことがなければいいって大目に見てたんだが。

 それはいい。本題にゃ関係ない。

 関係ないんだが……ああ、多少はあるんだなあ……。

 新しくきた子といろいろ話していて、タカミさんが亡くなったってきいたんだ。

 今の感覚じゃ、そんなプラーベートなことを話していいものかって思うが、その子、もともと口が軽い方だったから。

 それで、いつだって聞いたら、もう何か月も前……その子がきはじめてまもなくっていうから、つまりはタカミさんがウチにこなくなって、そんなにたたないうちに死んだってことになる。

 死後も、カミさんのところにきてたのか……。

 そのカミさんも、タカミさんが死んだって聞かされた直後に亡くなったんだ。

 うん、正確には何日か……一週間もたってなかったと思う。

 遺体を引き取るとき、看護師さんに聞いたんだけれども、たまに夜、カミさんが騒いだってことがあったそうだ。

 うん……部屋の入口にタカミさんが立ってるって。

 その看護師さん、おれと仲がよかったんだよね。親切だったし。

 で、なにか心当たりはないかって聞かれたけれども、おれはないって嘘ついた。幽霊がきてたなんていってもなあ……どうしようもない。

 それにしてもタカミさん、なんでカミさんのベッドの下に手を伸ばしてたんだか……気になるよなあ?

 でも、ベッドの下を見てみても、それらしいもんは見つからなかった。私物なんて、ほとんど持ち込んでなかったんだがな。

 うんにゃ、おれの家の方にはタカミさん、出なかったよ。まったく。病院の方は知らんけど。

 それにしてもタカミさん、なにに執着してたんだろうな。

 女どうしの間でしか通じないなんかだろうか……。

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2019/08/25

奇岩

百物語 第七十二夜

奇岩


※怪談です。苦手な方はご注意ください。



 あんたいくつだっけ? ああ、そうか。おれより五つ下か。

 じゃあ知らないかもなあ……ま、おれが小学生だった頃の話なんだけどさ。変な話っていったってこれくらいしかないんで。

 こりゃはっきり日時を憶えてるんだ。一学期の終業式の日。おれは小学三年生だった。

 朝、あすから夏休みだってウキウキしながら登校してる途中、岩を見つけたんだな……道のど真ん中に。

 しかもこれがけっこうでかい。直径一メートルくらい、高さは二メートルくらいか。

 指サック型の形状だったんだが、ところどころ出っ張りがあってゴツゴツしている。海から持ってきたんじゃないかって気がした。

 あんたもよく知ってるだろうが、田舎町だからな。さしあたって支障はない。

 ほら、戸出だよ。戸出、戸出。憶えてないか? 小学校のすぐ近くで、当時ちらほら家が建ち始めてたところ……うん。

 おれがこりゃなんだろうって撫でたり叩いたり、周囲をぐるぐる回ったりしている間、車は一台も通らなかった。

 先生方はほとんど車で出勤してたが、通るのはその道の一本浜側だ。通学路の……アレだ。アレアレ。そうそう、それ。メインストリート。

 学校のすぐ前に出る道だからな。そっちの方は当然、ランドセルしょって行くやつがいっぱいいたさ。

 だがおれのいる場所はまだ空地のが多い、絶賛宅地造成中ってとこだ。友達もだれも通りゃせん。

 庭石か……? 確かにその岩、おあつらむきではあった。

 でも、そんな建坪の広くとってある区画はなかったし、おれはそれからもずっとそこを通ってたからなあ。そんな立派な庭があるうちなんて、できちゃいない。こりゃ確実だ。

 なにかの手違いで、業者が置き忘れたんだろうか?

 そうだとしたら、わざわざ道の真ん中に置いたってことになる。うん、落としたんじゃないんだ。

 荷台からドンといったんだったらそれくらいの岩だ、アスファルトにヒビが入るはずだ。だが、道の方に異状は全くなかったんだ。

 じゃあ、手間ひまかけるのをいとわん愉快犯か? だが、こう考えるならもうお手上げだな。材料がなさすぎる。

 ……と、いまでこそこんなふうに、あれこれ考えるわけだが、そのときのおれは岩の上に登って、ぼうっと往来を眺めているだけだった。

 目の前の少し先を、登校中の児童が通りすぎてゆく。

 知っている顔がゆき、知らない顔がゆく。

 道端の草やなんかをひっこぬいたり、虫をつかまえているやつもいれば、どこから持ってきたんだか棒っきれを振り回しているやつもいる。

 終業式だからランドセルの中身は軽い。みんな、跳ねまわっているように見える。

 その児童の列を、ときどき先生の車が追いこしてゆく。毎朝のように脇を通ってゆくんだから、どの車も見慣れたものだ。

 こんな光景が目の前にありはしても、現実感がないというのか……おれが現にここにいる、岩の上に座っているって感覚があまりなかったんだ。

 ああ、なんともいえず心地よかった。なぜか、な。

 尻は多少痛いんだけれども、フワフワしたものの上で揺られているような感覚。でも、じっさいにはおれの身体は揺れていない。

 しばらくすると、そのフワフワしたものが徐々に下の方から、おれを包みこんでいるんじゃないかって気がしてきた。

 それがまた、なんともいえず気持ちがいい。寝る前の、うん、ああ意識がとぎれそうってときの感じ。アレがな、ずうーっと続いている。そんな感じ。

 そこへ、おれを見つけた友達がふたりきた。

 その頃、遊ぶってなると、なにするんでもいっしょだったやつらだ。ああ……はたから見りゃ、おれの様子はかなり変だったんだと思う。

だから心配してきたんだろう。岩の下まできて、

「おい、なにやってるんだ」

「具合悪いのか?」

「おーい、だいじょぶか」

「学校に遅れるぞ」

 ……こんなことをいう。ひとりは吉田屋。

 そうそう、金物屋の息子な。いまホームセンターなんてつくって、人つかってうまくやってるよ。まあ、その頃から情に厚いというか、面倒見がよかったんだな。

 吉田屋は下でおいおいと声をかけてくる。

 もうひとりは鉄道の息子で、こりゃ国鉄が民営化してJRになったときに、転校してったんだが……こいつは石をよじのぼって、頂上部に腹ばいになった体勢でおれの背中や太股を叩いてきた。

 おれの方はといえば、こいつらの声がくぐもって聞こえていた。

 テレビを見てたら、匿名の人間の音声を替えるってことがあるだろう? あんな感じ。

 鉄道がずいぶん力を入れて叩いているのは分かっていたんだが、バンバンやられてもかゆいような、くすぐられてるような感覚だった。

 要するに、おれはふつうの反応ができなかったんだ。

 岩を見つけた、それで登ってみたと、これだけのことがどうしても口にできない。

 いや、ンッ、ンッと、声は出てた。

 口をふさがれているような声だな。身体の方はうごかそうとしたとたんに、どうしようもなく億劫になる。ジッとしてたら、また気持ちよくなってくる。それで動けない。

 五分か、十分か……それくらいだろう。しばらくそうしているうち、チャイムが鳴った。

 学校のチャイム。予鈴ってやつだな。

 あと五分以内に着かなければ、遅刻になる。学校に向かう道の方を視線を移すと、だれもいなくなっていた。まるで急に消えてしまったようだった。

 チャイムが鳴り終わると同時に国鉄が地面に降り、それから火のついたように泣きだした。

 ああ、あれは本当にことばどおり……火がつくと同時にボウッと燃えあがったときのようだったな。

 ふだんならおれも吉田屋もなだめるんだが、おれはご覧のとおり。感情が鈍くなっていて、なんとも不吉そうな泣き声で嫌だなと思っただけだった。

 吉田屋はかたまっていた。小学生にはとうてい処理できない容易ならん事態に、どうしていいか分からなくなっていたんだろう。

 おれを置いて行けば見捨てることになるが、このままいれば遅刻してしまう。もう先生は通りかからないだろう。

 じゃあ、周囲の住宅内にだれか大人がいるだろうか。みんな仕事に出かけてるんじゃないのか。だれかこないか。できれば大人がいい……。そんなところだろうか。

 さっきの通学路の騒がしさが嘘のように、あたりは静まり返っている。音といえば、とんでもないことが起きていると訴えるには十分過ぎるくらいの、鉄道の泣き声だけだ。

 おれはやっぱり、泣き声が嫌だなと思っただけだった。べつに見捨てていいから早く学校に行けよとも思っていた。

 すると、本鈴が鳴りだして……鳴り終わった。

 ひときわ鉄道の泣き声が大きくなった。

 吉田屋が鉄道の腕を引っ張るようにして学校に向かっていった。いちどおれを振り返って、

「ごめんな、終わったらまたくるからな」

 おれは、おうといおうとした。

 でも声はあいかわらず……ンッ、ンッだった。ああ……こりゃなんだか情けなかった。

 それでな、ここから急に記憶が飛ぶんだ。おれはまる一日後に、そこで発見された。

 当然学校にも行かず、家にも帰らずさ。

 両親初め大人はみんなどこに行ってたって聞いてくるが、ここにいたって答えるか、分からないっていうしかない。

 ああ、これがさあ……岩なんてもんはなかった。なかったんだよ。ただ道路の上に倒れてただけ。

 それを車でたまたま通りかかった人が見つけたわけだ。もう少しでひくところだったってな。

 岩の上に登って、それから吉田屋と鉄道がきて……と話したんだが、信じてもらえんでなあ。

 吉田屋と鉄道にも事情聴取したらしくて、あとで聞いたらやっぱり岩の上におれがいたっていったんだけど、それでも口裏合わせてるんじゃないかって疑われたみたい。

 そうそう、確かにおれは岩の上に登ったんだし、吉田屋も鉄道もおれを……その岩を見てるんだ。

 ああ、岩がどこに行ったんか。そんなの分かりゃしない。

 おれは二日入院させられて、なんともないってことで家に帰った。

 オヤジもオフクロもべつに監視してどうこうってわけじゃなかったんだがな、吉田屋も鉄道もしばらくのあいだ、なんとなくおれを避けるというか、あまり近づかないようにしてるというか。

 また変な目にあったらどうしようって思ったんだろうな。

 鉄道は前にもいったように中学入ってから転校して旭川に行っちまって、その後まもなくして、音信が途絶えた。だからいまなにをしてるのか知らん。

 吉田屋とは何度か話した。あそこに絶対岩があったよなって。

 そのたびに、吉田屋はいう。

「うん、本当にあった。あれはなんだったんだろうな」ってな。

 だいたい一日ほどの間、おれがどうしてたのかは全く分からん。

 いわゆる神隠しだっていうんで調べてみたこともあるんだが、似たような話はないみたいなんだ。

 もしだれか似たような体験をしてたり、そういう話を知ってる人がいたら、教えてくれ。

 絶対だぞ。

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2019/08/24

死因開陳

百物語 第七十一夜

死因開陳


※怪談です。苦手な方はご注意ください。


 これは僕の一生を……たぶん決めることになったエピソードです。

 当時、僕は中学二年生でした。

 十月終わりか十一月初めのある日。放課後、部活が終わって友達ふたりと下校中のことです。

 もう西の空が夕焼けていて、疲れたな、とか、腹減ったな、とかいいあいながらダラダラ歩いていました。

 友達ふたりの名前……A、Bとしましょう。僕たちは野球部で、Aのポジションはショート、Bはファーストでした。

 三年生の引退後、ふたりともレギュラーになったばかりだったのですが、僕は補欠。僕が守るのはセカンドでした。

 はい、みんな内野ですね。連係プレーの練習をする機会も多く、しぜんに仲良くなっていったというところでしょうか。

 三人で下校してるっていっても、いつも僕とAがしゃべって……Bはもっぱら聞き役です。

 Bの方からなにか話しはじめることなんて、めったにありませんでした。

 ええ、Bのポジションはファーストですから、ホントそのまんまですね。ご存知のとおりファーストというのは、いちばん球がきますから。

 ああ、もちろんピッチャーとキャッチャーを除いて……敵の打った球を僕やAが捕って、Bに投げる。それと同じです。僕やAが話して、Bがうんとかそうだなとかいう。

 しかし……しかしですよ、そのとき突然Bが、僕たちに聞いてきたんです。

「死んだらどうなると思う?」って。

 ――僕は一瞬、Bってこんな声してたっけ、と感じた。

 いつも聞き役で、無口な方であるといっても、授業中に先生の質問に答えることもありますし、練習中だって声をしっかり出してないと顧問に殴られる。

 でも、そんなときのBの声とはあきらかに違う。トーンがずーっと低いし、ちょっとかすれたようになっている。

 Aも驚きの表情を隠さず、立ち止まって僕とBの顔をかわるがわる見ている。

 再び歩きだして……かんじんの回答の方ですが……そんなこと聞かれても、どう答えたもんか分かりませんよね。

 いまでもそうですけど、当然ながら死んだことなんてないから答えようがない。

 適当に、じぶんがこうって思ってることをいうしかない。僕は、

「いいことしたら天国に行って、悪いことしたら地獄に行くんだろ」

 Aはバカかおまえ、と僕に毒づいて、

「キリスト教の信者じゃないんなら、天国なんかに行かんだろうが。坊さんがきてお経読んだら、極楽に行くんだよ」

「じゃあ、悪いことしても地獄に行かんのか?」

「そりゃあ、地獄行きだ」

 それから〈悪いこと〉をめぐって僕とAがあれこれ意見を述べているあいだ、Bはひとことも口をはさみませんでした。

 僕とAがお茶を濁している格好ですが、僕は気になりませんでしたし、Aも同様だったでしょう。

 もちろん結論なんて出ませんから、一段落ついたんじゃないかってところでAが、

「ああ……腹減ったな。イシイフードに寄ってくか」

 そう提案し、僕は賛成しました。

 イシイフードは帰る途中にあるスーパーなんです。よく学校帰りに惣菜を買って、歩きながら食っていたんです。

 ええ、そうです。つまりその話は終わりそうになってたんです。

 聞いてきたBがなにもいわなかったんですから、仕方ないですよね。これくらいでいいだろうという雰囲気になってたというか……。

 するとBが立ち止まった。

 なんだ? って、僕とAも足を止めた。

「俺が死んだらさ、絶対おまえらんとこに行って、なんかするから。おれがきたって分かるようなこと」

 こいつ、ちょっとおかしいと感じました。いつものBじゃない。

 Aはよっぽど腹を空かせてたんでしょうか、まともに返事をしませんでした。

 わかったわかったといって足早に歩きだして、それにつられる格好で僕とBが足を進めて……それきりになったんです。

 うーん……いやいや、違うんですよ。

 ええ、ええ。仰るとおり。

 確かに、その直後にBが死んで、なにかあったっていうんなら話としてはツジツマが合いますよね。

 でも、べつにそんなことはありませんでした。

 無事三年になり、いろいろあっていっしょに下校しなくなったり、またつるんで遊ぶようになったりをくりかえしているうちに、卒業して……僕とAは近くの高校に進学。Bは親元を離れて下宿しながら高校に通った。

 Aはそれから町役場に勤めて、僕は大学に行って……それからはAと僕はたまに連絡を取り合う程度、もうBの消息を聞くことはありませんでした。

 あのときのBは思いつめたような表情をしていて、眉間に皺は寄っているし、目は据わっているし、口元はぎゅっと結んでいて……なにか重大な秘密を、僕なんかじゃとうてい対応できない秘密を打ち明けられるんじゃないかって雰囲気。

 なによりも、全く見たことのないようすってのが、怖かった。

 じぶんではこのときのBのようすが深く印象に残っていたんですが……それが怪しくなってきたのは、ことしの春のことです。

 僕は大学を卒業後、地元にもどらずそのまま現地で就職して、十年ほどになっています。

 実家にはお盆か正月、たまにまとまった休みがとれたら顔を出す程度です。当然、A、Bだけじゃなくかつての仲間とは疎遠になっています。

 それがある日、仕事が終わってアパートにもどると、ドアの前にBが立っていたんです。

 久しぶり、といって手をあげ、笑っている。

 背が高くなってるし、それなりに年もとっていますから最初はだれか分からなかったけれども、ちょっと話したらBと分かった……いえいえ、違います。

 Aじゃない。Bだったんです。

 中学のとき、怖いなと僕が感じた方ね。

 中学を卒業して以来、会っていなかったBが訪ねてきたんです。

 僕の実家に連絡して、住所を聞いてきたってね。

 どっかで飲みに行こうかとも思ったけれども、いまさら出かけるのもおっくうだし、Bがここまできてしまっている以上、あがってくかってことになりました。男のひとり暮らしで汚いけれどもって。

 それでBを部屋にいれて、缶ビールで乾杯して懐かしいなあといいあった。

 高校に入って以降、どこかで変わったのか、Bはずいぶんおしゃべりになっていて、またその話がおもしろい。

 しかし、気になったこともありました。

 たまたま僕を思い出したBが実家に連絡、近くに住んでいるのが分かって訪ねてきた……そんなところだろうと思っていたところ、聞けば全然そうじゃない。

 わざわざ新幹線で四時間くらいかけてきている。

 出張なんかではなく、僕に会うのが目的だったという。

 変、ですよねえ? ただ会いにきたんじゃないだろう、それなら普通、まずは連絡してくるのが先だって。

 Bの話術に、僕はときどき涙を流しながら笑い転げてたんですけれども、さすがに本題が気になりだした。

 ええ、聞いてみたんです。

 なにしにきたんだ、ただ懐かしいからきたんじゃないだろうって。

 場が一瞬で凍りつきました。

 Bはしばらく黙り込んでいて……僕はBの顔をうかがうことしかできない。

 もう幼さ、あどけなさの消えてしまったBの顔を。

 ややあって、Bが缶を握りつぶし、こう聞いてきました。

「中二の頃なんだけど、憶えてるかな……死んだらどうなるかって、俺が聞いた」

「ああ、憶えてる」

 僕の声は、情けないくらい震えていました。

 目の前にいるこいつは、死んだんだ。

〈死んだら、おまえらのところに行って、おれだって分かるようなことをなにかする〉っていったのをいま、忠実に履行しているんだ。

「あのときのA、あきらかにおかしかったよな」

 えっ、と思った。おかしかったのは、おまえの方じゃないか。

「Aがな……死んだんだよ。自殺だって」

 そういうなり、Bは声をあげて泣きだしました。

 僕は茫然としていました。僕もBも、せいぜい缶ビールを二、三本空けただけ、ほろ酔い程度です。

 幻覚なんかじゃないよな、と考えながら、Bをなだめました。

 するとBは声を荒らげて、

「おまえ、Aがかわいそうなんて思ってないよな」

 わけが分からなかった。

 仲間……チームメイトでもあったやつが死んだ。それがかわいそうでなくて、なんだというのか。

 そこで、中二の頃にもどるわけなんです。

 死んだらどうなるかとBが聞き、僕とAがお茶を濁す。

 死んだらなにか分かるようなことをする、とBが怖い顔をしていう……これが僕の記憶です。

 しかし、Bは違う、つづきがあったというんです。

 この直後、Aが叫んだという。

「おれが死んだら、おまえらもすぐに死ぬ」と。

 Aもまた、見たことのない顔をしていた。

 目を吊り上げて、口が裂けていて……月並みですが、悪魔が乗り移ったようだったとBはいいます。さらには、

「おまえは火だ」Bを指していい、

「おまえは金だ」と僕を指していったと……。

 悪い冗談はやめろよ、といったんですけどね。Bは真剣な顔をしていました。

 もう懐かしいどころじゃありません。

 おれは煙草を止めたし、家じゃガスはつかっていない。ガソリンスタンドを見つけたらすぐに離れるようにしている。

 おまえも金に気をつけろ……Bはそう早口にまくしたてて、帰っていきました。僕が止めるのも聞かずに。

 すぐ実家に連絡しました。

 夜遅かったためか携帯には出なかったんで、固定電話にかけ直して……母が出るとすぐに、Aが死んだって聞いたんだけどと尋ねました。

 寝ているところを起されて不機嫌そうでしたが、母はそうだ、つい最近、と答えました。

 パチンコにはまって借金をしまくって、どういう理由かは分かりませんが自己破産もできず、それで首をくくったと……。

 それから母はなにか聞いてきたようですが、憶えていません。

 気づいたときにはもう電話は切れていました。

 うん……どうなんでしょうか。

 Bはまだ無事だと思いますよ。

 連絡先も聞いてませんのでハッキリそうだとはいえませんが、ずいぶん気をつけているようですし……仮に亡くなってるんだとしたら、なにかしらその印を見せてくれるって思ってます。

 ええ、Bのことばを信じて……僕にも分かるような方法で知らせてくるだろうと。

 いやあ、それは……だって、Bはともかく、僕の方では気をつけようがないでしょう?

 キンに気をつけろっていわれても純金に注意していればいいわけでもないでしょう。

 恐らく金属って意味だと思いますし、それならそれで、身のまわりにザラにありますから……カネに気をつけるべきだってことかもしれませんし。

 だから、僕はふだんどおりの生活をしています。

 それにしても、じぶんの記憶力を恨む気持ちはあります。

 それと、他ならぬAについても。

 ギャンブルで借金つくって死んだって、そんなの自爆じゃないか、人を巻き込むなよって。

 これからあとどれくらいで死ぬのかは分かりません。

 ただ、やり残したことがないよう……後悔しないよう毎日を過ごす。

 それだけですね。

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2019/08/23

霊を呼ぶことば【閲覧注意】

百物語 第七十夜

霊を呼ぶことば

【閲覧注意】





 怖い話をひとつ、ってか。あんたも物好きだね……じゃあ、こういう話はどうだ。

 言霊って、たまにいうよな。

 いいことをいえば、いいことが起きる。悪いことをいえば、悪いことが起きる、ってな。

 でもさ、ふつうの人間が、ふつうにことばを発したって、そのままの結果が出るわけなかろう。そんな単純なもんじゃないんだが、一般にはそう信じられている。

 ときに、霊を呼ぶことばってのが、ある。

 そのことばを発するだけで、霊が周囲によってくるという。
 
 一時期、インターネットでズバリそのもののことばが出ていて、俺なんかびっくりしちまったんだが、まあ今は紹介したサイトはなくなってるし、それをコピーして転載したのが残ってるが、手打ちでコピーしたらしく、まちがっている。だから、ぜんぜん霊なんかは呼べない。

 言霊ってのは神霊の力を通じて、初めて発動するわけだが、その神霊に通じるためのことばの部分が、まちがっているんだ。だから問題ない。

 怖いものみたさってのは、どの人間にもあるから、霊を呼びだしたくなっちゃう人ってのも、けっこう、いるもんだね。霊は怖いものとは限らないんだがな。

 終わり。俺の話はこれでぜんぶだ。

 いや、いや。俺は怖い話をしたぞ。

 要するに霊がよってくれば、いいんじゃないのか?

 今の話の中にちゃんと、織り込んでおいたじゃないか。

 霊を呼ぶことばを。

 あんたは呪文みたいなもんを想像してたんだろうが、霊を呼ぶことばってのは、思想みたいなもんだから。一連のあることばでもって霊を呼ぶなんて、それこそ神霊の力を借りなきゃ無理な話だ……。

 おいでなすったようだな……あんた、顔色悪いが、だいじょうぶか?

 ああ、こいつはまた……。

2019/08/22

とうまん

百物語 第六十九夜

とうまん

※怪談です。苦手な方はご注意ください。



 おばあちゃんが亡くなったときは、いろいろなことがあったよ。

 妹の夢枕に立ってね。お別れをいいにきたって。なぜか妹のところだけ。あたし、寝ぼけてたんじゃないのっていったんだけどね。

 おばあちゃんちの畑に、ぶどう棚があったのね。私の子供のころからやってて、おいしいぶどうがなるのよ。おばあちゃんがぜんぶやってて、みんなおいしいっていうから、おばあちゃん、がんばって世話してた。

 亡くなってからしばらくしてね、誰もぶどうの世話ができないってことになって、じゃあ残念だけど、もう片づけようってことになったの。それで、伯父さんが棚から蔓をとっているときなんだけど、足元からビューンと何か丸いものが飛びあがったんだって。

 ううん。鳥なんかじゃなかったって。ほんと一瞬、ビューン、と。その丸いものが、アッと思った次の瞬間には伯父さんの頬をかすめて、一直線に飛びあがった。空を見上げたんだけど、そのときにはもう米粒くらいになってて、すぐに見えなくなってしまった。

 魂って、そんなものなのかもしれない。

 おばあちゃん、ぶどう棚を片づけてほしくなかったのかなって思う。

 このおばあちゃん、私から見たらお父さんのお母さんなんだけど、お父さんの夢にも出てきてね、身体に気をつけなさい、健診をちゃんと受けなさいっていうから、いつもより詳しく診てもらったらガンが見つかったの。うん。早期だったからね、今はもう元気すぎるくらい。

 ……こうやってね、親戚中いろいろな人のところにきたみたいなんだけど、なぜか私のところには、おばあちゃん、こなかったのね。

 孫の中では私だけ仲間外れよ。みんな、何らかの方法で出てきた、おばあちゃんと関わりあってる。別に私だけ嫌われてたわけじゃないと思うんだけどね。

 親戚が集まったとき、それをネタにいじられたこともあったの。

 私も特別、おばあちゃん子だったわけでもないし、そんなこと、気にしなかったんだ。おばあちゃんが、って話を聞いても、よかったね、おもしろかったね、で済ましてた。

 ところが……とうとう私のところにも、おばあちゃんがきたのね。

 夢枕に立ったの。

 私は夢の中で、おすしを食べてたの。いや、回転ずしとか、回らないおすし屋さんとかじゃなくて、スーパーなんかで買ってきたやつね。

 場所は今住んでいるアパートで、仕事から帰ってきたあとのような感じ。おばあちゃんは、ベッドのある部屋から出てきてね、私がおすしを食べてるのを見て、

「あんただけ、おいしいもの食べて」

 っていうのよ。

 はあ? って感じでしょ。そんな、すごーくおいしいもんでも、ないでしょうに。でもね、あたし聞いたのよ。

「おばあちゃん、何か食べたいものあるの?」

 そしたら、おばあちゃん、満面の笑みで、

「とうまん」

 とうまん、知ってる? 小さい大判焼みたいなので、中に白あんが入ってるやつ。札幌あたりではよく知られてるけど、どっちかというと庶民的なおやつよね。なぜか、そのとうまんが食べたいって。

 それから仏壇にも、お墓参りのときも、とうまんを買ってお供えすることにしたのね。

 おばあちゃんが出てきたって夢の話をしたら、寝ぼけてたんじゃないのって妹にいわれたんだけど。

 おばあちゃん、若いころ札幌にいたから、思い出の味だったのかもね。

 お供えしてほしいって私だけに頼むのは、どういうことかなって、たまに思うんだけどね。

 それ以来、おばあちゃんは私のところにはきていないし、親戚のところにも現れていないみたい。

 とうまんで、満足したのかな。

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2019/08/21

「あれ」

百物語 第六十八夜

「あれ」

※怪談です。苦手な方はご注意ください。




 最近は足が弱ってきたから、もう止めちまったんだが、俺は大学で山岳部だったからさ、最近までよく山に登ってたんだよ。家庭を持ってからは、年に一度がいいところで、無理なこともしなくなっちまったがね。冬山なんて若い頃しか登ったことないし、せいぜい土日にハイキング程度に楽しむ程度さ。あとは、ネットで登山した人の体験記を読んだり、山の写真見て懐かしがったり、そんな程度だな。

 で、若い頃ひとりで……黒岳から北海岳経由で、白雲岳まで登ってきたことがあった。

 いっとくが、これはぜんぜん難しいコースじゃない。黒岳の七合目まではロープウェーを使えるし、黒岳頂上までは観光客がたくさんいるくらいで、それこそハイキングみたいなもんだ。そこから北海岳に行くのも、高低がきついわけじゃないし、道中困難なところもほとんどない。ただ、白雲岳への登り下りはガレ場がちょっときついかな。

 紅葉のシーズンで黒岳までは人がたくさんいたが、黒岳から北海岳に向かうときには、前後を歩いている人は誰もいなくなっていた。

 ところがな、誰もいないはずなんだけど、おうい、おうい、たなかーっと、背後から俺を呼ぶ声がしはじめたんだ。

 ひとりで山歩きしてると、たまにこういうことがある。魔が差すっていうのかな。疲れてもいないし、空腹でもなかったんだがな。

 俺は無視して歩きつづけた。秋晴れの日だったが、若干風があって、じきに見えてきた山頂付近の雲が、ずいぶん速く動いていた。周囲の山はところどころ紅葉していた。

 北海岳の山頂付近には、ちらほら人がいて、腰をおろして休憩したり、写真を撮ったりしていた。ここらへんは見晴らしもいいし、畑でもやれるんじゃないかってくらい、だだっぴろいんだがな、そのせいか風が吹き抜けるんで、ちょっと辛い。

 ここで飯にしようかと思ってたんだが、白雲岳に向かう途中で食うことにして、山頂をあとにした。

 それでやっぱり腹が減って、疲れてきたからだろうか。また声が聞こえだしたんだ。おうい、おういと、偉い間延びした声で呼ぶ。ときどき、たなかー、たなかーと俺を呼ぶ。

 やっぱり前後に人はいない……はずが、急に百メートルほど前に人影が現れた。それがな、俺にそっくりな格好をしてるんだよ。身長も体型も同じくらいだし、帽子からリュックサック、登山靴までみな真似したんじゃないか、っていうくらいだった。

 いや、そこまでしばらくの間、直線だったし、草も木も道をさえぎるくらいの背丈じゃなかったんだ。どうして気づかなかったんだろう。それにしても、俺にこうまでよく似たやつがいたもんだ……。

 やっぱり疲れてるのかと思って、俺はそこで休憩することにした。

 握り飯を食って、熱いお茶を飲んでいるうち、なぜか前方の人影もこっちに向かって腰をおろして、何か食っている。どうやら、おにぎりを食っている。何か飲んでいる。遠目に見ると水筒も同じようだ。
 
 やつの動きは、鏡を映すようだった。俺のおにぎりを持つ手は右、やつは左。水筒を俺が左手で持てば、やつは右手でとる。

 ああ、そこで気味悪くなっちまってな。

 いや、こういうことは、ままあるんだ。さっきもいったが、魔が差すってやつな。

 もう、百メートル先にいるそいつの顔は、俺と同じように見えてならない。

 梅干しをかじったが、全然すっぱくない。お茶をもう一度飲んだが、ぜんぜん味がしない。落ち着こうとするが、かえって無理なんだな。手が震えて、おにぎりが落ちた。

 向こうも、おにぎりを落とした。

 おれは右手で石を拾って、そいつに向かって投げた。するとそいつも、左手で石をほぼ同時に拾って、投げた。

 おれとやつの中間くらいで石がぶつかって、落ちた。

 そんなことって、あるかよ。

 人間わざじゃない。

 おれがやつに背中を向けて歩きだしたら、どうなるか。今までやつは俺の前方を歩いていたから、今度は追いかけてくることになるかもしれない。

 さっきから背後で俺を呼んでいたのも、こいつか。俗に山中の化け物は同じことばを二度くりかえさない、というが、こいつは確かに、おうい、おういと叫んでいた。じゃあ、こいつは何なんだ。

 狸や狐に化かされてるんなら、ここで一服するところだが、俺はあいにく煙草はやらない。

 こうやって口にすると冷静なようだが、だいたいこんなことを考えてたってだけだ。実際そのときは、もっと頭の中がこんがらかっていた。

 とにかく、まず握り飯をぜんぶ食っちまおうと思って、拾った。向こうも拾ったようだった。

 ……そこで、突然肩を叩かれたんだ。

「だいじょうぶか」ってな。

 はっとして振り返ると、爺さんが立っていた。

 いやあ、ふつうの登山スタイルだったよ。まちがいなく人間だ。

 握り飯を手にしたまま、ぼーっとしているから声をかけた、という。

 俺が事情を説明すると、爺さんは俺にそっくりなやつを指さして、あれか、と聞く。

 そうだ、と俺は答えた。

「あれは山の中を歩いていると、ときどき出てくるもんだ。おまえさんは名前を呼ばれたとき、返事はしとらんといったよな? 返事せなんだら、だいじょうぶ」

 あれは結局、何なんですか、と聞くと、

「あれは『あれ』。こっちから名前をつけるのも、はばかられる。だから誰も名前をつけない。ただ『あれ』と呼んどる」

「返事をしていたら、どうなっていたんですか」

「頭がおかしくなるか、身体の方がおかしくなるか。両方おかしくなるか」

 俺は立ちあがってな、きちんと頭を下げて礼をしたんだ。

「ありがとうございました。下山したら改めてお礼をしたいのですが、あなたは……」

「わしは『あれ』のせいで、おかしくなったもんのひとりじゃ。おかげで、ずっとこのあたりをウロウロしとる」

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2019/08/20

クミちゃんの声

百物語 第六十七夜

クミちゃんの声

※怪談です。苦手な方はご注意ください。




 幻聴ではないんです。

 決して幻聴では……精神疾患といわれればそうかもしれないし、病院に行ったらそれなりの病名をつけられて、薬を出されるんでしょう。

 でも、その声は私以外の人も聞こえることがあるんです。それって幻聴とはいわないでしょう?

 声の主は、小学校の頃の同級生です。クミちゃんといって、五年生にあがるとき同じクラスになったんです。いつのまにか仲良くなって、それから六年生の卒業間際まで、いつもいっしょにいたんです。

 目がくりくりしていて、ちょっと縮れてはいましたが、きれいな髪をしていました。優等生で、ずっと学級委員長でしたから、私とはぜんぜん違うタイプなのですが、なぜか仲良くなったんです。

 子供のことですから仲良くなったり、仲違いしたりはよくあることで、あんなことがなければ私だって、もしかしたらクミちゃんとも何かのきっかけで、疎遠になったかもしれません。あくまで仮定の話で、今となってはわかりませんが……。

 忘れもしない、二月の二十日のことです。

 放課後、いつものようにいっしょに下校中、クミちゃんは急に立ち止まって、

「あたし、忘れ物したから取りに帰る」といいました。

 裁縫セットを忘れたのです。つぎの家庭科の授業までにエプロンを仕上げることになっていましたが、確かまだ二、三日は余裕があったはずです。それに、おうちにも針や糸があるのに、使い慣れているからといって聞きませんでした。

 珍しいこともあるもんだ、クミちゃんが忘れものをするなんて……とそのときは思ったのですが、実は裁縫セットを忘れたのは、わざとだったのです。

 私は結局そこで別れて帰宅しましたが、クミちゃんはその後、行方不明になりました。

 警察の人に、何度も話を聞かれました。クミちゃんのお父さん、お母さんが私のうちまできて、知ってることを教えて、と泣きそうな顔でお願いされました。でも私には、いまいったくらいのことしか、わかりませんでしたので、そのとおり答えるしかなかったのです。

 クミちゃんは学校に、確かにもどっていました。職員室にいた先生に忘れ物をしたと伝えてから、校舎に入っているのがわかっています。

 それ以上、手がかりのないまま一週間ほどたって、卒業式で歌う合唱の練習を何度もしたり、卒業文集の原稿を書いたりと忙しくしていた頃、手紙がきました。

 ええ、クミちゃんからの手紙でした。

 差出人は書いていませんでしたが、確かに、クミちゃんの字でした。いつも宿題を見せてもらったり、漢字テストの採点をしあったりしていたんですから、見間違えるはずはありません。

 笑わないで聞いて欲しいんですが、クミちゃんはあの日、二月二十日の午後四時四十四分に、階段の踊り場にかかっている大鏡で合わせ鏡をして、鏡の世界に閉じ込められたというのです。

 そして、鏡の中の世界で、この手紙を書いているんだ、お父さんやお母さんに手紙を何回も書いたが、届かずにもどってきた。もし届いたなら、何とかして助けてほしい……。

 でも、小学校六年生の私には結局、何もできなかったんです。

 さすがに十二歳ともなれば、鏡の中に閉じ込められたなんて信じられませんでした。いまでこそ、クミちゃんは誘拐されてどこかに監禁されていた、「鏡の中」は何かの暗号で、監禁された場所のことじゃないかって思いますが、当時はそこまでの知恵は働きませんでした。

 逆に、私が誘拐されていて同じ内容の手紙を書いたなら、クミちゃんはきっと私を救う手立てを思いついたはず……そう考えると、後悔はします。後悔はしますけれども、私はクミちゃんじゃないのだから、とどこか冷めた自分がいることも、否定できないのです。

 手紙はまず両親に見せたのですけれど、同級生の誰かの悪質ないたずら、と思われたようです。内容からいっても、無理はないでしょう。

 それから、クミちゃんのご両親に見せようと家まで何度も行ったのですが、どちらも働きながら、クミちゃんの行方を追うのに必死になっていたようで、会うことができませんでした。電話をしても、いつも留守でしたし、留守電にいちおう用件を録音したのですが、向こうからかかってくることはありませんでした。

 そうこうしているうちに、私は小学校を卒業し、中学校に入学。子供なりに忙しくしているうちに、手紙のことも、クミちゃんのことも、しだいに忘れていきました。

 次にクミちゃんのことを思い出したのは、中学二年の夏休みの近づいたある日のことです。

 たまたま友達と放課後、部下中に怪談をしていて、三面鏡が怖い、合わせ鏡が怖い……という話を聞いたんです。

 その場では、ふとクミちゃんのことが頭に浮かんだのですが、それもわずかの間のことで、よくあるような怖い話をしたり、聞いたりしているうちに、薄情なことに忘れてしまいました。

 でも、またすぐにクミちゃんを思い出すことになったのです。部活が終わって下校中に、友達と別れて歩きだしたところで、

「あたし、忘れ物したから取りに帰る」という声がしました。

 はい。そうです。クミちゃんの声でした。

 あたりをキョロキョロ見回してみましたが、声の主はいません。

「まだ鏡の中にいるの。助けて」

 私はほとんど半狂乱になりながら走って家に帰り、部屋に閉じこもりました。

 その間も、クミちゃんの声が私を責めたてました。

「どうして何もしてくれないの?」

「寒い。怖い」

「ここには誰もいない。寂しい」

 その日はもう、ごはんを食べる気にもなれず、お風呂にも入らず、布団をかぶって震えていました。お父さんやお母さんは、ずいぶん心配したようでした。

 翌日、眠かったけど何とか学校に行ったんです。

 見るからに具合の悪そうな顔をしていたんでしょう、友達に理由を聞かれたのですが、私にはぜんぶ話すことなんて、とてもできませんでした。人の声が一晩中聞こえて寝られなかった、ともいえませんでした。

 授業中にも、休み時間や給食の間も、部活をしていてもクミちゃんの声は聞こえてきました。私はグッタリしてしまい、ただ聞き流すままの状態でした。それでもクミちゃんの声を無視しつづけて、ふだんどおりの一日を過ごすことで聞こえなくなるかもしれない、と思ったので、早退しろと友達や先生に勧められても聞きませんでした。

 でも、これがもしずっと続くなら耐えられません。その日の夜、お母さんには打ち明けたんです。

 クミちゃんの声が聞こえて、怖いと。

 私はクミちゃんの声がするたび、ぜんぶではありませんがスマホで録音してたんです。

 それをお母さんに聞かせたところ、確かにクミちゃんの声みたいだ、といいました。

 これって、幻聴じゃないですよね?

 病院に行ったら精神疾患てことになるんでしょうけど、私だけならともかく、お母さんにも聞こえたんですよ。

 集団催眠のようなもの……確かに、そうかもしれませんね。お母さんはクミちゃんを知っているし、行方不明になったのももちろん憶えている。そういう予断があるから、私がそういったときの雰囲気でそう聞こえてしまった、とか何とか……。

 他に、まちがいなくクミちゃんの声だ、という音源があるなら、専門の機関か何かに比較、分析してもらったらいいと思うんですけど。

 いまも私にはクミちゃんの声が、聞こえていますけど、あなたはどうですか?

 聞こえますか? ずっとクミちゃん、しゃべっていたじゃないですか。ほら、いまも。

「トラツグミが鳴いてる。トラツグミが鳴いてる」って。どうですか?

 そう……そうだったんですか。それは残念。じゃあ、こっちの方。

 スマホの方。音を大きくしたら、よく聞こえるんです。

 どうですか?

 クミちゃんの声、聞こえますか?

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2019/08/19

稲荷社

百物語 第六十六夜

稲荷社

※怪談です。苦手な方はご注意ください。




 このじじいが五、六歳の頃だから、まあ何十年も前、昭和の初めの話よ。

 北海道の片田舎におったからなあ。その頃、住んでいた家のすぐ近くには牧場があって、それを取り囲むように深い森があったんじゃ。

 家の脇には、どぶ川が流れとって、森の中へとつづいていた。

 このどぶ川ぞいに遊びに出かけてな、学校が終わったら日が暮れるまで帰らん。そんなことがよくあった。

 しばらく行くと、小さな空地が開けてな、そこには赤い鳥居が立っとって、奥には赤いトタン屋根の小さな神社があった。まあお稲荷さんじゃろうな。夏の終わりから秋にかけて、あたり一面にススキが生えとった。わしの背丈くらいもあるススキがのう。

 遊ぶのに飽きると、お宮の前で寝転がって、青空を眺める。そうしているのが好きだったんじゃが、あるとき、そうして寝そべってて、ぼうっと晴れた空を見ていると急に動悸が激しくなりはじめてな。目の前が真っ暗になるし、きれいな青空が白黒写真のようになってゆく。

 そんなことは初めてじゃったな。大げさかもしれんが、このまま死ぬんじゃないのかと思った。

 わしは慌てて起きあがって、とにかく家に帰らなければと歩きだした。母親に助けを求めようと思ったんじゃな。でも、ふらふらと二、三歩進んだところで、心臓の動悸はおさまって、あたりの風景もだんだん色がついていった。

 今から考えると、そのとき寝ていたのは鳥居の内側だったんじゃな。すなわち、神社の境内にな。バチが当たったのかもしれん。

 それまで寝っ転がって空を見上げるのは、たぶん鳥居の外側だった……まあ、昔の話ゆえ断言はできんが。だいたい、元に戻ったら動悸が激しくなったことも、目の前が真っ暗になったことも、すっかり忘れてしまったとはずなんじゃな。日が暮れるまで別なところで遊んでたと。

 それから数年たってな、何かの話のついでにこのお稲荷さんについて、母親に話したことがある。

 ところが、母親は「そんなところに神社はない」という。

 子供のことだから遊ぶ場所は気まぐれで、ころころ変わる。そのときにはわしもな、どぶ川にそって森の中へと行くことは絶えてなくなっていたんじゃ。そこで、まだ日も高かったことだし確かめてみようと思って、行ってみたんじゃ。

 するとな、母親の方が正しかったんじゃよ。

 わしがお稲荷さんがあったと思った場所には、高さ五十センチほどの石碑だけがあった。

 その前に、誰かがお供えものをしたのか、ワンカップの容器があった。

 いったい、これは何だったのか。

 記憶違いじゃろうか。別なところのお稲荷さんが、そこにあると勘違いしたんじゃろうか。

 あるいは目がおかしくなっていて、この石碑がお稲荷さんに見えたとでもいうんじゃろうか。

 確かに憶えているのはのう、その石碑の周囲にはススキが生えていたことじゃ。

 わしの背丈ほどもある、背の高いススキがのう。

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2019/08/18

祓戸爺さん

百物語 第六十五夜

祓戸爺さん

※怪談です。苦手な方はご注意ください。




 神職資格をとるっていって、大学に通ってたころの話ね。

 とある兼務社で助勤をしたわけよ。ふだんは神主がいなくて、お祭りなんかがあるときだけ、開けているような神社でね。

 現地に着いたらまず神様にご挨拶。まあ当然だわね。拝殿に入ったら、氏子さんだと思うんだけど、もう掃除もしてあったし、祭具類の準備もできていた。

 拝礼をすませて控室に戻ったら、もうすることはない。時間まで待って、そこからはご祈祷するだけだった。

 その神社って、あんまり大きい造りじゃなくてさ、正面の御扉のすぐ前に案、つまり神饌などを載せる台を置いてあるわな。そこが二段になってて、下の段の端に大麻があった。

 この大麻は、紙垂を束ねて結わえたタイプじゃなくて、榊の枝タイプだった。

 つまりは、最初に修祓だっていって祓詞を読む場所と、ご祈祷で祝詞を読む場所とが同じになるわけだ。

 案の向こうは御扉なんだが、木じゃなくてガラス戸だったから、中が見える。

 内陣の御扉は木だったのが見えたし、おみこしも奉安されていた。そこにも大麻があって、こっちは紙垂を束ねて結わえつけたタイプだった。

 時間になって、何件がご祈祷を勤めたんだけど、そのうちにガラス戸の向こうが気になりだしたんだ。どうも、何かの気配がある。

 祝詞を奏上し終わって立ち上がったときに、それとなく見たんだ。

 そしたらな、長髪のじいさんが、寝そべっていたんだよ。

 声をあげそうになったよ。ホームレスが入り込んだんじゃないかって格好だったから見間違えたんだけど、すぐに気づいた。そうじゃないって。

 じいさんの姿はぼんやりとしていて、向こうが透けて見えてたんだ。

 そうだとしても、こういっちゃなんだが神様関係ではない、一般人の霊的なもんが入り込んでたら、困るわな。いちおう、そういうときのための祝詞は用意してた。

 しかしな、そのじいさん、いや、こんな呼び方をすると失礼な存在だったんだな。

 祓詞を詠んでいると、明らかに耳を傾けている様子だし、たまに頷いてもいる。

 ぼろぼろの服を着ているようであっても、雰囲気は清々しいというのか、さっぱりしているというのか、綺麗な空気に包まれているのが、ありありとわかる。

 何よりも、「祓戸大神たち」というところで、耳がぴくっとしててさ、あれは怖かった。「たち」と申すんだから複数だろう、じいさんはひとり。だから祓戸大神ではないだろうとは思うけれども。

 そのあたり、人智の及ばないところかもしれん。

 俺たち神主って、たいていまず修祓するっていって、祓詞を奏上するよな。祓戸大神の御名は、非常になじみ深いわけだ。

 かといってここで、じいさん、じいさんなんていって、怒られないだろうな。

 そのせいで罪穢を祓えなくなったら、怖いよ。

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2019/08/17

焦げた人

百物語 第六十四夜

焦げた人

※怪談です。苦手な方はご注意ください。



 妻が先日、バイト先でこんな話を聞いてきました。

 そのバイト先の建物は一階が店舗部分、二階には従業員の更衣室や調理場なんかがあって、もともと雑居ビルだったらしく、その他には閉鎖したバーの看板がそのまま残っていたり、カラオケボックスの一室のような部屋があったりするらしいんです。要するに二階の一部を少し改装して、使ってるんですね。

 そのせいか、普通ならそこにはつけないだろうって場所にドアがあったり、畳半畳ほどのスペースの三方がドアになっていたりと、とにかく変わった造りの部屋が多い。

 従業員はたいてい休憩のとき、今いったカラオケボックスの一室みたいな部屋で食事をとります。その扉を開けると、正面はもとバーのあった場所。入口の両側の壁が、鏡張りになっているんですね。

 あるバイトの男の子がおりまして、休憩を終えて戻ろうとドアを開けたとき、バーの入口のあたりに人が立っているのに気づきました。

 従業員はみんな、その元バーにあるトイレを使っていましたので、初めは誰かが用を足して出てきたのかなと思ったそうです。

 でも、次の瞬間すぐに、違うことに気づきました。

 その人、真っ黒なんです。

 人の形をしてはいても、全身が真っ黒。『名探偵コナン』の中で、犯人がまだハッキリしていないとき、影のようなもんが出てくるでしょ? あんな感じで、影法師みたいだった。

 その子、慌てて調理場に駈けこんだそうです。それ以来、もう元カラオケルームには行きたくないって、調理場で休憩するようになった。

 でも、調理場ですから何もしない人がいると邪魔になりますよね。それで理由を聞かれて、彼は今の話をしたわけです。

 私の妻は、ただ見ただけで何もされてないんだから、塩でも振ればじゅうぶん、といったそうです。

 帰ってきた妻から聞きましてね、そのバイト先のビル、どうも場所が悪いんじゃないかって調べてみたんです。

 すると、関東大震災でも東京大空襲でも人が亡くなっていますし、さかのぼると安政の大地震のときも、明暦の大火でも被災しているってことがわかったんですよね。

 全身真っ黒だった、というのは、火に焼かれたからなんでしょうか。

 そうそう、影法師のようなものを見た彼は、そいつを見ただけだったら、まだ怖くはなかった、といってたそうです。

 その姿が、自分にそっくりだった。

 もしかすると、何か不吉なことが自分の身に起きるんじゃいかって、それ以来、気にしてるんです。ずっと。

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2019/08/16

びいだまのおと

百物語 第六十三夜

びいだまのおと

※怪談です。苦手な方はご注意ください。



 ちょっと変わったことがあった、ってだけの話なんですけどね。

 もうずいぶん前になるわね。店が終わって帰ってきたときのことなんだけど、階段をのぼってたら、音がするのよ。

 からん、からん、からん……とね。

 夜だから音が響くのかな。何の音だろうって足を止めてね、あちこちを見回してみたんだけど、どこから聞こえるのかはわからなかったの。

 まあいいや、って階段をあがりだしてすぐに、また音がした。

 からん、からん、からん……てね。

 初めは自分の足音かなって思ったんだけど、そこで明らかに違うって気づいたのね。何かが転がっているような音なのよ。

 階段はスチールだったけど、金属製の音じゃなかった。ビー玉がガラスとふれあって――と、そこで思い当たったのね。

 これは、ラムネのびんに入っているビー玉じゃないの、って。

 そこでバアーッと、昔のことがよみがえってね。

 高校生の頃のことなんだけど、仲良くしていた子が文芸部に入っててね、その子が書いたものをよく読んでたのよ。

 それで、ラムネびんのビー玉がどうこう……なんて書いた詩があったのを思い出したの。

 自分の部屋に入ってからも、落ち着かなかった。あの音はどこから聞こえてきたのか、どうして昔の友達のことを思い出したのか――

 メイクを落としたり、お風呂に入ったりしながら、何となく気持ち悪かったんだけど、布団に入って目を閉じてすぐに、気づいたのね。

 ああ、あの子、亡くなってたんだ、って。

 高校を出てからずっと、あまりいいことがなくて、まだ若いのに死んじゃった。卒業してからだいぶたってたから、風の噂に聞いたんだけどね。

 たぶん、その日が命日だったんじゃないかな、なんて思った。結局その子を思い出したってだけで、その後どうこうしたわけじゃないんだけど……。

 当り前なんだけど年を重ねていくとね、だんだん増えていくの。亡くなった昔の知り合い、というのが。

 昔のことを考えていて、そういえばあの人、死んだんだっけ――なんていうのも、増えてくる。

 布団の中で、そんなことを考えていたらね、またビー玉の音がしたの。

 からん、からん、からん……とね。

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2019/08/15

花嫁の葬儀

百物語 第六十二夜

花嫁の葬儀

※怪談です。苦手な方はご注意ください。








 八月十五日といえば終戦の日として、よく知られていますよね。でも、その日の夜……正確にいうと、十四日の真夜中から十五日の未明まで空襲があって相当、人が死んでるんです。にわかには信じられないかもしれませんが。

 私がそのころ住んでいた町はほとんど焼野原になったし、全人口の三割ほどが亡くなっています。

 その中のひとりに、私の叔母がいました。

 十八歳で、結婚したばかりでした。

 八月十四日に婚礼を……結婚式というより婚礼、ですね。床の間の前に新郎新婦が座って、その前に両家の親族が並ぶようなかたちで、時代劇の祝言をあげるシーンのようなものでした。当時のことですから、酒はないし、料理もない。でも、あちこちから各人が持ち寄った食材で、何とか祝宴をととのえたようです。

 ようです、というのは、私はまだ子供で……国民学校の四年生でしたから、大人の苦労なんていうものは、よくわからなかった。兄弟が男ばっかりだったため、姉のように慕っていた叔母が結婚するという事態も、よくのみこめていなかった。

 姉の相手の方は、近隣の村にある農家の後継ぎで、本家筋でしたから将来は当主を約束されているというので、嫁ぎ先として悪くはなかったようです。ただ、結婚式だというのに、その相手は入営中の身ですぐ部隊に帰らなければならなかったそうです。その後すぐ戦争は終わったわけですが、私どもにはそんなこと、わかりません。叔母の両親を初め関係者はみな、出征して戦死する可能性も考えたはずです。そんなこともあって、幼心にも私は何だか釈然としなかったのを憶えています。

 当時、空襲予告のビラが相当数、米軍の飛行機からまかれていたんですよ。拾って読んじゃいけないってことになってたし、厳しく取り締まられてもいたんですが、噂は相当、ひろまっていたらしい。その一方で、ポツダム宣言を受諾したことも知られていて、だから戦争はもう終わる、空襲はないという噂もかなりあったようです。

 叔母の婚礼の日、昭和二十年八月十四日という日は、ざっとこんな状況でした。

 叔母の家と私の家は隣りあっておりますから、その日の朝早く、花嫁衣裳に身を包んだ叔母に対面しました。

 戦時中ということもあって着物の柄は地味でしたが、それでも叔母は美しかった。本当に、ほれぼれするくらい美しかった。ただ、叔母の様子はいつもとはちょっと変わっていました。今までありがとう、しっかりお勉強なさい、と私にいっていたときは笑顔だったのに、そのあと急に泣き出したりしましてね。

 まず叔母やその一家が先方にゆき、私の家ではまず母親が手伝いに出発、ついで日が高くなってから父に連れられ、叔母の嫁ぎ先へと向かいました。

 結びの盃が汲み交わされ、叔母のお相手の親戚だったのでしょう、誰か知らない人が謡をうたい、私の伯父が祝いの口上を述べ……とそんな断片を記憶しておりますが、父におとなしくしているよう厳しくいいつけられておりましたので、緊張のせいかあまり憶えていません。祝いの御膳に、わずかでしたが赤飯があって、とても美味しかった。その味を今でも思い出すことがあります。

 無事に婚礼の儀が済み、私どもの一家は帰宅して、よそいきの着物を普段着に変え……そこから戦時中ではあっても、ふつうの生活に戻るはずでした。隣の家に住んでいて、私には非常に優しかった叔母が、いなくなった。それだけのはずでした。

 しかし、さいぜんも申しましたように、その夜、空襲がありまして叔母が殺された。

 焼夷弾が直撃して、火だるまになって、死んでしまった。

 いったい、叔母はアメリカに何をしたというのでしょうか。

 あのきれいで、優しかった、かわいらしい声で話していた叔母は、アメリカ人をひとりも殺していない、というのに……。

 いや、これは失敬しました。

 本題に戻りましょう。

 私の家族、叔母の家族が非難すべき防空壕は、家からはあいにく離れておりまして、夜の間は家の方がどうなっているか、うかがい知ることはできませんでした。

 八月ですから、まだ夜が明けるのは早い。夜が白みはじめた頃、防空壕から戻ってみると、運よく私の家は、母屋の壁が一部、焦げて、物置が全焼したくらいで済んだのですが、叔母の実家は跡形もなくなっていました。叔母の家族がみな揃って、門のあったあたりで茫然と立ちすくんでいたのを、よく憶えています。

 ひとまず叔母一家は、私の家で休むことになったのですが、そこへ叔母が亡くなったという報せが入ったのです。

 叔母の両親も、兄弟姉妹たちもみな、泣かなかった。嘘だと叫ぶこともなかったし、騒ぎもしませんでした。一夜のうちに、生活の拠点を失ってしまった事実に、疲れ果ててしまっていたのでしょう。

 あるいはどう反応したものか、わからなかったのかもしれません。町方から村方へ嫁に行けば、空襲にあう可能性が少ない……恐らくは、そういう計算も叔母の両親にはあったのでしょう。それが裏目に出てしまった。もっとも、戦闘機の機銃にやられ、田んぼや畑で亡くなっている人もずいぶんいましたから、どっちが危険かは一概にはいえなかったようですが……。

 たった一日、いえ、半日ほどではあっても嫁いできた、嫁にきたと考えるのが当時の感覚だったでしょうし、叔母の家は空襲で焼かれたということで、葬儀は先方で行うことになりました。

 取るもとりあえず両親と弔問に訪れると、その前日には晴れやかな場に、お人形さんのような姿でいた叔母のなきがらが、早くも棺におさめられ……手配がうまくいかなかったのか、物資不足だったのか、白木とはいえ日に焼けたような古びた棺の中に、叔母はいました。

 それが本当に叔母なのか、私にはとても信じられなかった。火傷だらけでふびんだからと、入棺のあとも美しかった顔には布が掛けられていて、両親といっしょに手を合わせるときも、その布は取りませんでした。

 葬儀じたいは、特に何事もなく過ぎました。

 いいえ、葬儀以来ずっと、多少の波風が立つことはあっても、叔母の家族も私の家族も、おおむね平穏に過ごしてたように思えるのです。戦争が終わり、国全体が復興に力を注ぐ中で、私の係累たちは仕事をしはじめる、結婚して家を出る、子供が生まれる、入学する、卒業する、ほぼ年齢の順に亡くなってゆく……と、平凡に、本当に平々凡々にやって参りました。

 今、私はこうしてこの施設におりますが、別に不自由なことはないし、この建物の中に仲良くなった人は何人もおります。習字をしてみたり、将棋をしてみたり、毎日楽しく過ごしています。身体のあちこちが老いてゆくのはしかたないとして、まだ自分の足で何とか歩けますし、人の名前が出てこなかったり、最近あったことは忘れがちですが、まあ年齢相応だと専門の方にいわれています。

 結婚しなかったし、子供はおりませんが、その分、仕事に打ち込んで一時はある程度の地位を得ましたから、まあまあ満足のゆく人生でした。

 ただ、私の人生の中でひとつだけ、ただひとつだけ……どうしようもない不幸というのは、今お話ししました昭和二十年八月十四日の夜にあった、熊谷空襲です。

 私は今でもアメリカという国が好きになれない。

 叔母を殺した人間に復讐してやりたい、そんな気持ちですよ。今でも。

 爆撃機から焼夷弾を落として叔母を殺したアメリカ人は、国のために、家族を守るためにやったんだと、理性ではわかります。

 でも、私には今なお割り切れない。

 割り切れていないんです。

 叔母のおとむらいが済んで以来、初七日、二七日、三七日……四十九日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌と、そのつど法要が行われてきました。私はそのすべてに参列したわけではありませんが、八月十五日がくるたびに改めて叔母のことを思っていたのです。

 平成十七年の八月十五日のことです。

 叔母の墓参りをしようとしましてね、熊谷駅で電車を降りて、何かお供えでも買おうかと歩きだしたところで、私、気づいたんです。

 みずほ銀行前の交差点の角に、叔母が立っているのを。

 はい、叔母です。まちがいなく、叔母でした。

 婚礼の日の……そう、花嫁の姿そのままでした。

 顔だけ真っ黒でしたが、見間違えるはずはありません。

 怖いことなんてありません。もう……お恥ずかしいが、号泣してしまって、通り過ぎてゆく人からは変な目で見られましたが、むしろ私は、叔母と会えたことが嬉しくてたまりませんでした。

 駆け寄ろうとしたんですが、信号に停められて待っているあいだに、いなくなってしまいました。

 このまま話が終わるなら後悔してもしきれないのですが、叔母はこれ以降、ずっと私のそばにいるのです。

 会社で書類を読んでいたときも、取引先の社員と酒を飲んでいたときも、家で昔の映画を見たり、書きものをしたりしていても……常時、私のすぐ近くにいてくれている。

 あの日から六十年たって、ようやく姿を見せてくれるようになった。私はその後、仕事をやめたり、ある会社の相談役をやったりして、この施設に入ることになりましたが、その間もずっといっしょです。

 残念ながら、話しかけてはこないし、こちらから声をかけても聞こえていないようです。それでも……私の近くにいてくれるだけでも、ありがたいことです。相変わらず花嫁姿で、顔は真っ黒のままですが、美人であることに変わりはありません。

 こんな話、気味悪がるから、ここの人たちにはしていないのですが、私と話したり、何かしたりしているときに、気配を感じる人はいるみたいです。

 あなたはどうでしょうか。

 何か気配のようなもの、感じますか?

 鏡にはわりあい、よく映るみたいです。顔を洗ったり、ヒゲを剃ったりしていて、ふと鏡を見ると、そこに叔母の姿がうつっていることがある。

 ここに手鏡がありますから、見てみてください。

 どうです? 見えますか。

 これが私の叔母です。

 最愛の、叔母です。

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2019/08/14

葬儀の花嫁

百物語 第六十一夜

葬儀の花嫁

※怪談です。苦手な方はご注意ください。








おじいちゃんが亡くなったときのことなんだけどね、お通夜のとき親戚みんなで、お寺に泊ったのよ。

 でも、何だか泊まる部屋が古くさいし、みんな真夜中まで飲んで騒ぐのがわかってたから、実家に一度、戻ることにしたのね。 

 お式が終わったあと、ちゃんと寝たいから帰るっていって支度してたら、伯父さんが近づいてきて、こういうわけ。

「一人で行ったら、引っ張られるぞ」って。

 お葬式の間は単独行動をするな、亡くなった人が道連れにするからって。昔から私の実家のあたりでは、よくいうんだけどね。

 そう、昔から、なのよ。いいつたえ。でも私は、そんなの迷信じゃないって、取り合わなかった。

「疲れていて判断が鈍るから、二人以上で行動しろってことだよ。私はだいじょうぶ!」

 伯父さんにそういったら、確かにそうかもなっていってた。

 荷物なんかはないからすぐ車に乗りこんだのよ。そこへお母さんが走ってきてね、持っていきなさい、って何かを渡してきたの。

 受け取ってみたら、人形だったのね。

 和服姿の女の人形……博多人形みたいに、すらっとした感じのね。

 寺のどこかにあったものを、勝手に持ってきたみたいなんだけど……二人で行動することになるから、おまじないだから、とか何とかお母さんがいうのへ、「わかったから、わかったから」って振り切って、帰ったのよ。

 でも着いたときには、人形のことなんか忘れてたし、助手席に置きっぱなしにしちゃったのね。

 化粧を落としたり、シャワーを浴びたりして自分の部屋に戻ったら、やっぱりちょっと疲れてはいたのよね。親戚っていっても、けっこういっぱいいたし、それなりに気をつかってね。

 ベッドの上に横になったら、すぐ寝ちゃったみたいで。

 でも一回、目を覚ましたの。時計を見たら、ちょうど日付が変わる頃だし、まだ早すぎるって、もう一度寝ようとしたのね。それで布団をかけ直した瞬間にね、バチン! て、大きな音がした。

 鞭のようなもので。布か何かを叩いたみたいだった。

 びっくりして跳ね起きるたらさあ……足下の壁の方にね、出たのよ。花嫁姿の女が、ぬうーっと。

 ウェディングドレスを着てるんだけど全身、真っ黒に見えた。

 おかしいのはね、メンデルスゾーンの結婚行進曲が流れているのよ。おあつらえむきでしょう?

 低音が響くところで、部屋全体が震えるくらい、それがかなりうるさくてね。

 何だこれはって思ったんだけど、そのとき私、上半身を起こした状態でしょう? ベッドから出ようとしたら、急に金縛りになってね。ほんとに突然……雷が落ちたみたいだった。それでベッドの上に仰向けに倒れちゃって。

 その私の上を、女が踏みつけて歩きだしたのよ。

 まるで、私の身体の上を通り道みたいにしてね。踏まれている感触があったし、ドレスの裾が、布団をかすめているのも見えた。

 女は一歩ずつ、歩きにくそうに足元から進んできてさあ……痛いし、苦しかった。

 おなか、胸とのぼってきて、顔が踏まれそうになったとき、そいつがね、ほっぺたで足をすべらせたのよ。

 あっ、転ぶ! って思ったの。

 でも女は、体勢を崩した瞬間に消えちゃったのね。

 それで私も寝たんだけど、朝になって、少し寝坊したからって、ちょっと慌てて支度して車に乗り込んだところでね、そういえば人形があったな、って思い出したのよ。

 でも、助手席にはなかったのね。

 確かに置いたはずなのに変だなって、ちょっと気になってね。後ろ見たり、下を見たり……あちこち探しているうち、ダッシュボードを開けてみたらさあ、そこに首だけ、あったのよ。

 首から下は、なぜかトランクの中にあった。

 首のとれた跡は、鋭利な刃物でスッパリ切ったようだった。

 お葬式がぜんぶ済んだあとに、お母さんに話したら、だからいわんこっちゃないって。

 でも「死んだ人に引っ張られるって話じゃなかったっけ?」っていったら、理屈をいうなで終わっちゃった。

 まあ、ウェディングドレス姿の女だったから、おじいちゃんにはたぶん、関係ないとは思う。

 ああ、そいつが出てきたのも、そのときだけ。一回だけね。

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2019/08/13

プレ初夢

百物語 第六十夜

プレ初夢

※怪談です。苦手な方はご注意ください。



 俺が大学一年のときのことなんですけどね、年末だからって実家に帰りまして、毎日、遊んでたんです。

けっこうみんな田舎に戻ってきてたし、高校卒業して以来、初めて会うってやつもいまして、もう毎日ですよ。夜遅くまでダラダラ遊んで、たまに実家に帰るくらいでね。

 だいたい実家っていっても、うちは団地ですから部屋が狭いんです。それを理由にして出かけてくんですが、親は「よく飽きないもんだ」って、いってる本人の方が飽きれるくらいでしたね。

 そんなことしてるうちに、大晦日になったんです。

 その日は最初、カラオケに行って歌ってから、仲のいいやつの家に行ったんです。

 大晦日ですからね。何だか家族の人たちは忙しそうなんですが、迷惑も顧みず、テレビゲームをずっとしてたんです。コンビニで弁当とか飲物とか買って、持ち込んでたんですけど、年越しそばを御馳走になって。それから友人と一緒に初詣に出て、それから別れて家に帰ったんですよね。

 うちは三階ですから、団地の階段をあがっていきますとね、上の階で何やら騒いでいました。

 でも、初詣にでも行くんだろうなって気にせずに家に入ると、両親は寝ているようでした。起こさないようにって昔の自分の部屋にそっと入って、ベッドの上で横になりましたら急に眠くなりまして、すぐ寝ちゃったんです。

 それで、夢を見たんですよね。

 なぜか、友人の家から帰ってくる途中なんです。さっき戻ってきたばかりなのに。ちょっと違ったのは、真夜中に帰ってきたはずが、空が真っ赤だったことです。

 はい。夢の中の私は、これは夢だと気づいていました。その反面、帰ってきたのって夕方だったかな、と疑ってもいまして、ちょっと混乱していました。そうして、次の角を曲がるとうちの団地が見える――というところまできたとき、奇妙なものに気づいたんです。

 両側の民家の塀に筆書きの紙が、規則正しく貼られていたんです。まるで書道展みたいでした。さっきはこんなの貼ってなかったんだけどなあ、って不思議に思いながら見てみると、

「ひとりで悩まないで相談を」

「借金を一本にまとめよう」

「今からでも遅くない」

「ご両親が泣きます」

 なんて、かなりうまい字だったんです。

 うわあ、変な夢だなあと思いつつ角を曲がりました。団地の建物が目の前に見えるはず……と、そこで、

「ちょっと! 起きなさい! 早く!」

 と、どやしつけられたんです。

 慌てて起きて、身体を起こしたら、目の前に母親が立っていまして、憤怒のご様子。

「ここで寝たらだめ! ほら、早く!」

 寝ぼけ眼をこすりながら居間に入って、ソファーに座りましてね、わけがわからないから、どうしたんだって聞いたんですよ。そしたら、

「上の階の人が亡くなったのよ。あんたの部屋の上に今、仏さんがいるから!」

 そこへ父親が現れましてね、

「……自殺だってよ。借金あったらしいな」

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