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2019/08/12

文字を読むと

百物語 第五十九夜

文字を読むと

※怪談です。苦手な方はご注意ください。




 じゃあ聞いてくださいよ、俺、本当にヤバいと思ってるんですから……。こないだ九州の小さい島に行ったときのことなんですけど、もしかお祓いとか、したほうがいいかなって思って。

そこへは彼女と行ったんですけど、着いてからあちこち見て回ったもんで、ホテルに戻ったらもう夕方だったんですよね。いやあ、いちどチェックインして荷物は置いて、ちょっと外に行ってみようかって軽い気持ちだったんだけど。

 もう飯も食う気にならないくらい疲れちゃってて、足もパンパンだし、なんであんな歩き回ったか不思議なんですけど。

 それでね、交替でシャワーを浴びてベッドに横になったら、すぐに寝ちゃったんですよ。

 そこで夢を見て。やっぱり彼女と歩いてるんですよね。石畳の道を。

 あんま勾配のきつくない坂をあがってって、上まで行ったら、両側は芝生が広がってて、公園みたいになってたんです。あちこちに、子供が遊ぶもんがあってね。

 道は続いてて、しばらく歩いてったら、十字路にぶつかったんです。そこで、なぜか彼女が、怖いっていうんです。

 何が怖いんだよって聞いても、ただ怖いとしかいわないし、まわりを見回してみても特に変わったところはないんです。

 そこからたぶん、まっすぐ道なりに進んでったんですが、あんま憶えていません。

 次の場面に切り替わったら、目の前に石碑が立ってて、俺たちはその前にいました。石碑には文字が二行になって彫られて、それを読もうとするんですけど、これもよく憶えていません。

 夢の話はここまでです。

 それから夜中に起きて、腹減ったから飯食ったくらいなんで中間は省略します。

 話は飛んで次の日も、何だか疲れてるってことで、昼までホテルでだらだらしてしたんですよね。

 でも、せっかく旅行にきたんだしって、ちょっとまだ疲れてたけど外に出ようってなった。

 前の日のくりかえしなんですけどね。あてもなく歩き回って、土産物屋をひやかしてみたり、昼飯何を食おうかって何軒も探したりね。

 そのうち、だらだらした坂に出たんですよ。はい。夢と同じです。石畳だったし。

 何か嫌な感じがしてきたけど、そのまま歩いてったら急に視界が開けて、道の両側が芝生になりました。

 やっぱりそこは公園で……もう、嫌だな。本当に嫌だ。

 十字路まできたら彼女が怖いっていうんですけど、夢とは違ってそう感じるのは当り前だったんです。

 そこから先は、墓場だったんです。

 俺はもう、ほんとに今、後悔してるんですけど、そこで石碑のことを思い出しちゃったんですよ。

 いや、石碑じゃなくて、現実では墓なんだろうなって、予想はついたんです。それでも何という字が彫られるのか、確かめたくてたまらなくなったんです。

 彼女をなだめながら道なりに進んだんですから、結局夢と同じになっちゃってるんですよね。

 墓地の敷地の向こうは海でね。木立のあいまにコバルトブルーの海が見えてて、つきあたったところの石碑が……いや、やっぱり墓だったんですけど、よけいに引き立つような印象でした。

 そこに彫られていた字は何かといいますとね、俺の名前だったんです。

 うん。全く、同姓同名でした。

 彼女も気づいて泣きだしちゃうし、俺は背筋が寒くなって。それからもう、当り前だけど楽しい気分にはなれませんでした。

 帰ってからもずっとね。何だか気分が落ち込むんです。ふと何かの拍子に、ああ俺は今、こんなに落ち込んでるんだ、って気づくんです。もう、ほんと楽しくない。

 やっぱり、お祓いしてもらった方がいいですよね。彼女とはまだ何とか続いてるけど、そのうちダメになりそうですし。

 こんなの、偶然にしたってほどがあるでしょう……。

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2019/08/11

ハイヒールの音

百物語 第五十八夜

ハイヒールの音

※怪談です。苦手な方はご注意ください。




 残業で遅くなった日の夜のことです。

 帰宅しようと地下鉄に乗りましてね、いちど乗り換えるんですが、連絡が悪くて結構歩くんです。

 同じ駅で降りる人もあまりいなかったくらいで、連絡通路に出たときには、あたりには誰もいませんでした。

 早く帰りたかったので、急ぎ足で歩いていると、誰かの足音がこちらへ向かってきているのに気づきました。

 カツン、カツン、カツン……と。

 ハイヒールのようでした。

 私の進む道は、つきあたってから左手へと曲がるものですから、当然、角を曲がったときには女の人が歩いているのを予想しました。

 向こうも足早に歩いているようです。

 遠ざかっているのか、近づいているのかは、よくわかりません。ですが、足音の様子から、何となく二十代かなと思いました。

 その間にも、ハイヒールの踵や爪先が立てる音が、続いていました。

 カツン、カツン、カツン……。

 だんだん音が大きくなってきました。

 こっちにくるのかと思いつつ角を曲がっても、予想していた女の人の姿はありませんでした。

 しかし、なおも音がしています。

 カツン、カツン、カツン……と。

 私は思わず、立ち止まりました。

 ヒールの音はそのまま私と行き違って、それからしだいに遠くなっていきました。

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2019/08/10

恐妻家

百物語 第五十七夜

恐妻家


※怪談です。苦手な方はご注意ください。


 わしの甥の話なんじゃがな、これがひどい恐妻家なんだ。厳密にいえば違うかな……本来、恐妻家というのは、夫が妻を怖がっているというもんじゃ。単に妻の気が強いという意味じゃなくてな。

 わしの甥がはの、妻を怖がっているというより、頭があがらんのじゃ。

 本人がいうには、結婚前はそうでもなかったらしいが……今はまったく、いわれるがまま。

 何でも甥はのう、決まった夢をくりかえし見ていたんだと。

 夢の中では、甥は侍の姿をしとって、毎回、急ぎ足で誰かを追っとる。

 野原を駆けて、林に入ってゆく。

 そこで、その誰か、つまり目的の人物の背中が見えるんだと。

 色がついた夢でのう、木洩れ日がその人の背中に当たっておって、ゆらゆら揺れてるんじゃ。

 その背中を、甥は袈裟斬りにするんじゃ。音を立てないよう、静かに抜刀して。

 するとまあ、そいつは叫び声をあげるんじゃが、夢を見るたびに違うんじゃな。

 断末魔の叫びのこともあれば、ある程度まとまった言葉を発することもある。

「あなた! 何やってるの!」

「ちょっとどういうこと!」

「ふざけんじゃないわよ!」

 そう、そのとおり。カミサンの声なんじゃな。

 甥のやつはな、小さな頃に見たチャンバラ映画の影響があるかもしれない、なんていっとる。

 奇妙なのはのう、この夢を独身の頃からくりかえし、見つづけているということじゃ。なんでカミサンと初めて会ったときに、声で気づかなかったのか。本人はその点、何もいわんかったが、結婚して初めて気づいたのかもしれん。ボヤボヤした男じゃからのう。

 まさか実際に見たわけでもないから、真偽のほどは保証できんが、カミサンの背中にはの、右肩から斜めに赤いアザが走っているんじゃ。

 ところがカミサンの方も、ときどき同じ夢を見るんじゃな。背中を斬られる夢を、な。

「前世の記憶なのかもね」

 と笑っているそうじゃ。

 甥の方は、自分の夢について話してはおらんのじゃと。

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2019/08/09

ニュースサイト

百物語 第五十六夜

ニュースサイト


※怪談です。苦手な方はご注意ください。



 こないだ布団の中でスマホいじっててさあ、何気なくニュースサイトを開いたのね。

 ああ、どこだったかな。とにかく、有名じゃないとこ。あまり見たことのないサイト。いや、特におかしいことなんかなくて、天気とか、政治とか経済とか上の方にタブがあって、他のとたいした変わんない。

 で、そこでね、殺人事件があったって、見たんだよね。

 どこそこ勤務の誰それさん、何歳がこうこう、こうやって殺されましたって書いてあって……

 でもね、眠いもんだから、字を読んでも頭に頭に入ってこないのよ。

 いつのまにか寝落ちしちゃってね。

 次に気づいたときには、まだ三時くらいだったんだ。スマホを握ったまま寝ちゃって、ベットの下に落としたのね。それでゴトン、と音がして目が覚めたみたい。

 目覚まし時計で時間を確認して、スマホはまあいいか、って思ってそのままにして、また寝ちゃったのよ。

 そしたら夢を見てさあ、夢の中でもやっぱり、スマホでそのニュースを読んでるのよ。

 容疑者が友達の家に匿われていたけど、見つかって逮捕された。

 だいたい犯行を認めている、って書いてあるの。

 それを見て私は何となく安心してる……そんな夢ね。

 朝になって、ごはん食べながらテレビ観てたらね、その事件についてやってたのね。

 コメンテーターが、まだ犯人は捕まっていない、警察の対応が悪いなんていってる。

 あれ? もう捕まってるじゃないの、って思ったのよ。でもすぐに、ああ、そういえば夢でこの事件のニュースを見たんだったって、思い出してね。

 実際に犯人が捕まったのは、その日の昼くらいだったらしいよ。

 容疑者の潜伏先って、友達のアパートだったわけだけど、その場所がね、夢で見たニュースと同じだったのよ。

 ○○市〇〇町、ってね。夢で見た記事に書いてあったのと同じだった。

 この事件の被害者も容疑者も、知り合いなわけじゃないし、〇〇市なんて、一度も行ったことないんだけどね。

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2019/08/08

水子供養

百物語 第五十五夜

水子供養


※怪談です。苦手な方はご注意ください。


 ふだんから写経したり、座禅を組んでみたりしていて、まとまった休みがとれたら修験道の聖地で峰入りに参加したり、四国八十八か所巡りをしておりましてね。

 そんなことしてるって聞いた人から、水子供養を頼まれたことがあります。それで、お坊さんの真似をしたときの話です。ええ、そのときだけ、一回限りね。

 菩提寺の坊さんはどうもちゃんとやっていないようだから信用できない、お経を読んで欲しい、っいうんですが、もちろん断ったんですよ。だいたい、本職じゃありませんし。私なんか仏教マニア程度ですから。

 でも、あまりしつこいので、根負けしまして。とうとう、うん、といっちゃったんです。夫婦かわるがわる毎日、連絡があるし、そのうち会社にまで電話をかけてきましたんでね。

 それで本人が納得するなら、って軽い気持ちで承諾したんですが、やっぱり素人ですからね。止めておけばよかったって、今でも思います。

 当日は早くすませたいもんですから、挨拶もそこそこに仏間へ入っていきましたらば、子供が好きそうなお菓子やジュースなんかを、たくさんあげているし、花も飾っていました。

 平成の初めに流産でふたり、と何度も聞かされていました。

 さっそく読経を始めました。ご本尊の脇にお地蔵さんをまつっていましたから、ああ、お地蔵さんにお願いしようと考えながらね。

 まずは開経偈。それから三帰依文、懺悔文などなど。本職の方がされているように読んでいきました。これはまあ、食事でいえば、いただきますという段階ですね。

 つまりまだ本題に入っていない段階だったんですが、このときにはもう、私の周囲の空気が非常に嫌なものに変わっていまして。

 何となくですが、子供がいうことを聞かず、際限なくわがままをくりかえしているような……。そんな雰囲気でも、ありました。

 うしろには私に依頼したご夫婦と、最近、中学校にあがったばかりだという、お子さんもいました。

 怖かったです。怖かったんですが、動揺してはいけない、恐怖に襲われてしまえば、それが波紋のように後方へと広がって、収拾がつかなくなると考えましてね。

 そもそも子供ふたり分だからか、気配が濃厚だったんです。私なんか、その場にいない者とされているかのような疎外感がありまして、人の話を全然聞かないような、かたくなさも感じていました。

 これはもう、お地蔵さんに話を通すどころじゃないな、と。そう感じたので、後方の三人に向けてお経を聞かせるように気持ちを切り替えました。供養のためというより、まずは生きている人に、ということですね。

 ええ、それから読経のあいだじゅう、耳を引っ張られたり鼻をつままれたり、かなりうるさかった。

 でも、それを除けば特に問題なく、本職のお坊さんの作法どおりに終えることができました。

 この夫婦はジュースやお菓子を毎日欠かさず、あげていました。

 二十年くらいずっと、ですよ。

 親心でしょう。当然のことです。でも、この人たちの場合は、親の思いがかえって手枷足枷になって、行くべきところに行けていなかったのかもしれない、と思います。

 このご夫婦は、子供たちの死を割り切れていなかった、その割にいつまでも小さな子供の扱いをしていた……。

 生きていれば……生きていればというのも、このご夫婦には酷ないい方かもしれません。しかし、ふたりとも生きていれば二十歳近い年齢になるのを、小さな子供扱いしていた。

 もしかすると、私がそのとき感じていたものは、水子の霊じゃなかったかもしれません。

 私は霊能者でも何でもありませんけれど、二十年近く両親の積みあげてきた想念の塊のようなもの……そんなものだったんじゃないか、と思うこともあります。

 読経をしてくれと頼んだのは他ならぬご両親なわけですが、必ずしも魂が浮かばれるのを望んでいなかった、というのか……相反する感情があって本人も気づいていない、というのか……。

 そのあとのことは、実はわからないのです。

 というのも、このご夫婦からの連絡がパッタリ途絶えて、一年ほどたってからこちらから連絡したんですが、どうも携帯を解約したらしい。家に行ってみると、引っ越ししたようで売家のビラが貼られていました。

 私のせいで、いちだんと悪い方向へ進んだんじゃなければいいな、と願うばかりです。

 ええ、もう二度とお坊さんの真似をする、なんてことはしません。

 そのご夫婦、死者と生者は住む世界が違う、ということを理解したんなら、いいんですがね。

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2019/08/07

拾ったMD

百物語 第五十四夜

拾ったMD


※怪談です。苦手な方はご注意ください。



 一時期、ジャズにハマってたんだけどさ、今は全然なんだよね。もう一切、家じゃ音楽を聴かないことにしてるんだ。店で流れてたり、車のラジオなんかでたまたま何か音楽がかかっているっていうんなら、いいんだけど。

 俺なんかとてもコレクターなんて、いえるもんじゃなかったけど、いわゆる名盤ていわれるレコードもけっこう持ってたし、全部で千枚くらいはあったかな。処分したら、結構な額になったよ。人にもやったけど……。

 ああ、話そうとしたのは、その理由なんだ。

 なぜ、音楽を聴かなくなったか。

 あれは何年前だったかな……四年か、五年前。仕事帰りに家に帰ってくる途中、MDが落ちているのを見つけたんだよね。

 表面に、何かでこすれたような傷跡が少しあるだけでさ。赤っぽい色で、メーカーはおなじみの会社だった。

 それをだな、何が入ってるんだろう、面白い曲でも入ってるかもな、って思って、拾って帰ったんだ。

 よせばいいのにね。でも、その日はそのまま忘れてしまった。

 何日かたって、やっぱりこれも仕事から帰って服を着替えてるときなんだが、思い出したんだ。そういえば、こないだMDを拾ったな、って。

 それでシャワー浴びてからさ、冷蔵庫から缶ビール出してきて、ちょこちょこ何かつまみながら、聴いてみたんだ。深夜だったから、音量を絞ってな。俺んちのMDプレーヤーは、たいしたスピーカーにつなげてなかったし。

 音楽ではなかった。

 最初は雑音が入っていて、よく聞き取れなかった。

 何分かたつと、だんだんその雑音が消えていった。誰かがしゃべっている。

 年配の男性が、何かあいさつをしているみたいだった。

 俺は缶ビールをテーブルに置いて、耳をすませてみた。

 そしたらさ、次の瞬間なんだよ。急に音量があがって、はっきり聞こえたんだ。

「故人も、さぞ喜んでいると思います」

 いや、これにはびっくりしたね。

「世間一般でいうなら、必ずしも幸せな亡くなり方ではありませんでしたが……」

 もう、慌てて消したさ。

 何だろう、これはと思った。葬儀屋が録音したものだろうか……。それにしても気持ち悪いじゃないか。すぐにゴミ箱に投げ入れて、お気に入りの曲を集めたMDを、かわりに入れたんだよ。

 変なMDの出した音を、ちゃんとしたMDの音で上書きするような……何いってるか、わかんないよね。でも、とにかくそうしなきゃ、機械の方がいかれるんじゃないかって気がしてたんだ。

 でもなあ、聞こえてきたのはこれが……。

 くぐもったような読経の声でさ、それどころか、合間にすすり泣きの声すら入ってるんだよ。

 しばらく呆然としてたんだけど、また年配の男性のあいさつが始まってね。それでハッとして、電源を切ったんだ。

 慌ててMDを取りだして調べてみたけど、まぎれもなくおれが編集したものだった。

 こんなことがあってから今に至るまで、そう、今までずっと。ずっとだ。家じゃ、まともに音楽が聴けなくなったんだ。

 レコードでも、CDでも、みんな葬式の実況になっちゃうんだ。

 買ったばかりのCDでも、そうだったよ。レンタルもダメ。

 それ以上に俺が参ったのはね、少しずつ葬儀の様子が変わってることだったんだ。

 司会役の葬儀屋さんが、まあ最初のあいさつをするわな……そんな場面を何回か聞いてる。

 そこで読み上げれる故人の名前が、毎回違ってる。

 お経も、そのときによって違うようだ。

 ああ、MDは他のゴミと一緒に出したよ。きちんとゴミ収集車が持ってったと思う。

 それで、たいしたコレクションでもないけど、全部売り払ったってわけさ……。

 ああ、ひとつつけ加えるとすればさ、俺は確かめていないんだ。

 俺だけがそう聞こえるのか、他の人にも同じように聞こえるのか。

 もしかしたら、俺が売ったものにはさ、そんなものが聞こえるレコードやCDなんかがあるかもしれない。

 俺の幻聴だったら、いいんだけどね。

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2019/08/06

ハーモニカ

百物語 第五十三夜

ハーモニカ


※怪談です。苦手な方はご注意ください。



 小学生の頃、原爆の史料が私の住んでいた田舎町にきましてね。熱で溶けたビール瓶とか、ボロボロになった制服とか、そんなのが一、二週間、公民館に展示されたんです。それを校外学習で見学に行きまして、帰ってきて感想文を書いて提出。

 ああ……あなたも見ましたか。そんなふうにして。

 広島、長崎まではなかなか行けませんからね。そうやって、全国を回っていたのかもしれません。今はどうかわかりませんが。

 ちょうどその日のことなんです。放課後、図書室に行って本を借りまして、家に帰ってからそれを読んでいましたら、原爆にまつわる話があったんですね。

 広島では、夕方になるとハーモニカを吹きながら現れる被爆者の霊が現れる、と。

 話としてはそれだけなんですけど、そのくだりを読み終えた瞬間、もう涙があふれて止まらなくなりましてね。日暮れどきのもの寂しい時分に、ハーモニカを吹いている被爆者の霊。幼心に、何とも切なくてね。

 原爆の史料展に行った日、たまたま借りた本に、原爆にまつわる話が書かれていた……。これだけなら、ただの偶然なんでしょうけどね。

 それからしばらくの間、夕方になるとハーモニカの音が聞こえるようになったんです。

 うちは晩飯の時間が早めだったんですが、茶碗を持とうとすると、かすかに外でハーモニカの音がする。

 日が短くなってきたら下校後、習字に行く途中でも聞こえました。そろばんを弾いているときにも聞こえて、集中できなかったこともあります。

 私の知っている曲はひとつもなくて……いいえ、むしろ音合わせのような、試しに吹いているような感じで、一曲まるまる吹いていたことは、なかったような気がします。

 この霊の話が実話だったとして、失礼かなとは思うんですが……原爆にあってしまった人がハーモニカを吹いていると思うと、やっぱり怖かったんです。

 でも、幸か不幸か……この言い方が的を射ているかどうかはわかりませんが、音だけだったんです。ハーモニカの音だけ。原爆にあった人の姿が、目の前に現れたということは一度もありませんでした。

 だいいち、それからまもなくハーモニカの音も、聞こえなくなったんです。子供は子供なりにいろいろ忙しくしているうちに、ふと気づくと夕方になっても聞かなくなっていた。そして、そのまま忘れてしまったんです。

 何十年もたちまして、最近調べものをしていて……そう、仕事がらみです。図書館に行きましてね、マイクロフィルムで昔の新聞を見ていたんです。

 それで、ハッとさせられた。

 これも、たまたまなんですが……原爆にまつわる話で、ハーモニカを吹きながら現れる霊が広島で現れた、という記事を見つけたんです。子供の頃に読んだ本の元ネタ、元ネタじゃなくてもそのうちのひとつ、だったんでしょう。

「ぞーっとする夏の夜話」のうちのひとつの「ハーモニカ吹く亡霊」という小見出しの中で、書かれていました。

 内外タイムスの……昭和29年7月28日付の記事でした。

 ちょっと違っていたのは、夜寝ているときにハーモニカの音がするということです。

 初めは遠くからかすかに聞こえ、だんだん近づいてくる。

 音がひときわ高く鳴りだすと同時に、縁先にだれかが自転車で乗りつけるような気配がありました。

 見れば、被爆した姿の男で……誰だ、と声を掛けるとスーッと消えてしまったそうです。

 借家でしたから翌日、大家さんに事情を説明したところ、以前住んでいた男が原爆にあって死んだといいます。ハーモニカ好きで、被爆当日は買ったばかりの自転車に乗っていったんだと。

 何ともいえない気分になりましてね。一気に子供の頃の記憶がよみがえるようでした。人目もはばからず、号泣してしまいまして。不審に思った人から知らされたんでしょう、司書さんに声をかけられるまでね。

 はい、そのせいか……その日の夕方からまた、ハーモニカの音がかすかに聞こえだしたんですよ。

 記憶の中にある、小学生の頃に聞いた音と同じでした。

 被爆した人というのは、やっぱり見ていないんです。ただ、ハーモニカの音がするだけです。

 そろそろ日が暮れてきましたね。

 もうちょっとしたら、聞こえると思います。

 あなたにも聞こえますかね。物悲しい、ハーモニカの音。

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2019/08/05

桔梗の先触れ

百物語 第五十二夜

桔梗の先触れ


※怪談です。苦手な方はご注意ください。


 桔梗の花じたいは綺麗だと思うんだけどね……。

 夏の朝なんかに、薄い紫色の花を見かけただけで、少し憂鬱な気分になる。

 ときどき、夢で桔梗が咲いているのを見ることがあるのね。

 実家の墓の前に咲いているのを見るんだけど、この夢のあとに必ず誰かが死ぬのよ。

 最初に夢で見たときは、おじいちゃんが亡くなった。寒い日がつづいてた頃で、肺炎になってね。

 桔梗は一輪だけ咲いていて。ふつう見かけるよりも、ちょっと背丈が低かった。

 おばあちゃんが亡くなったときにはね、墓のうしろにびっしり生えてた。長いこと寝たきりで、苦しんでたから見ていられなかった。

 家族じゃなくても見るんですよ。

 勤めている会社の役員が亡くなったときは、七輪か八輪か……。風に揺れてたのね。小さい会社だけど、役員さんと親しいわけじゃなかったんだけど、なぜか見た。

 たまにエレベーターで会うと声をかけられる程度だったし、亡くなったときのことは、詳しくは聞いていません。

 息子の友達が亡くなったときは、桔梗は一輪だけで、なぜか墓の真上に咲いてた。墓から生えてるみたいに。これは真夏のことで、かわいそうに川で溺れたと聞きました。

 夢の中で桔梗がどう咲くのか、何本生えているのかが、亡くなる人とどうかかわってくるのかは、全然わからないの。

 ただ、桔梗の夢を見ると、人が亡くなるってだけなんです。

 不吉なんだけど心の準備はできる、かな。

 たぶん、自分の気持ちにどの程度影響するのか……ってことだと思ってるんですけれども。

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2019/08/04

妻を刺せば

百物語 第五十一夜

妻を刺せば


※怪談です。苦手な方はご注意ください。



 久しぶりにあったかと思えば、怖い話あるかって……おまえさんも、物好きだなあ。

 昔、このへんにいた漁師で……当時はその噂で持ち切りだったけど、いちおう名前は教えないでおくよ。

 町のはずれに住んでて、毎晩のように飲みに出かけてたんだと。ちょっと酒乱の気味があって、たびたび飲み過ぎるんで、財布を落としたり、どぶに落ちたりしてたんだ。

 それでカミサンに、よく嫌味をいわれていた。

 飲みに行くといったらうるさい、ってんで毎度、何かと口実を作って出かけてたんだな。ああ、飲みに行くとはいわないで、他の用事で行くふりをしていたわけだが、あらかた嘘だってバレてたんじゃなかろうか。

 あるとき、刺身包丁が古くなったから代わりを買いに行くといって、出かけたんだな。

 包丁を買ったらすぐ居酒屋に入って、しこたま飲んだのはいうまでもないね。

 その帰り道、次の角を曲がれば家が見える、というところまできたとき、街灯に照らされて、妻が立っているのが見えた。

 男は、ぎょっとして足を止めたんだよね。

 夜も更けているし、こういうときカミサンが迎えに出てきたことはないから。

 それどころか、カミサンの腰から下が透けていたんだ。そのむこうにある塀の色が、ぼんやり見えている。

 男は一気に酔いをさまし、恐怖のあまり買ったばかりの包丁をとりだし、気合もろとも刺した……。

 ところがカミサンは、刺した瞬間に消えてしまったのさ。

 男はそのまま包丁を捨てて、走って逃げた。

 息せききって家に着くと、ただならぬ気配を察してかカミサンが寝ぼけまなこで起きだしてきた。

「ああ、よかった」とカミサンがいう。「今、怖い夢を見てたから、起こしてもらって助かった」

 何でも、夢の中でカミサンは家の近くを散歩していて、突然包丁で切りつけられんだ、と。

 それを聞いた男は、冷水を浴びるような心地だった。

 翌日、男は確かめてみたんだ。ゆうべ妻が立っていた場所をな。

 そこにはまだ、男が放り出した包丁が落ちていた。

 なぜか、先端が欠けていた。

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2019/08/03

因果

百物語 第五十夜

因果


※怪談です。苦手な方はご注意ください。



 何十年も昔の話ですがね。

 小学校にあがったばかりの男の子ふたりが、廃屋で遊んでいた、と、このようにお思いください。

 壁に落書きしたり、土足でソファーに乗っかって飛び跳ねたり、手当たりしだいに物を壊したり。大人の目の届かないところで、その年頃のやんちゃ坊主がやるようなことばかり、していました。

 ふたりが探検気分であちこち歩き回って、物置の扉を開けたときのことです。

 そこには、背をむけて、宙に浮かぶ男がいました。

 ふたりはそれが何を意味するのか、まだわかりませんでした。

「おじさん、何やってるの?」

 声をかけても返事はありません。

「ねえ……! おじさん!」

 ひとりが足に抱きついて揺らしました。

「変だよね!」

「おじさん!」

「ねえ!」

 子供が足を揺らすたびに、男の死後も首をいましめて離さない荒縄が、音を立てました。

 梁とこすれあって、きちっきちっと鳴く……。

 もちろん反応はありませんから、ふたりはすぐにつまらなくなって、その場を離れ……その、変なおじさんのことを忘れてしまいました。

 いいだけ遊んで家に帰ったあと、足を揺らした少年は、服の汚れをとがめられまして、それをきっかけに、廃屋で遊んだのがばれてしまいました。

 しかし、両親がかんかんになって怒ったのは、廃屋に無断で入ったことではなく、そこで何人もの人間が首を吊っていたからでした。

 泣きじゃくる少年の言葉は要領を得ませんでしたが、何とか断片をつなぎあわせてみると、両親は青ざめてしまいました。

 次の日、少年の両親からの通報で、首を吊った男は遺族の元に帰ることができました。

 いいえ、まだ話は終わっていないのです。

 それから数十年たち、ふたりが老いの坂を下りだした頃に、足を揺らした方が、入院することになりました。

 両膝の関節に腫瘍ができたためで、やがてそれを取り除く手術をしたのですが、失敗に終わりました。神経を傷つけられ、自力歩行ができなくなってしまったのです。

 主治医からあらかじめその可能性を知らされていましたので、医療ミスとして訴えることも、もちろんできませんでした。

 もうひとりの方が、彼の病気を人づてに聞き、見舞いにやってきました。

 足を揺らした方がいいます。

「こうやってずっと寝てると、昔のことばっかり思い出すんだよなあ……」

「ああ、そうかもしれんよな……」

 ふたりは高校まで同じ学校でしたから、昔話はなかなか尽きず、いつしか廃屋での出来事にも話が及びました。

 だんだんと記憶が鮮明になっていったのですが、人生経験をじゅうぶん積み重ねてきたふたりには、重すぎる記憶でした。

 だんだん押し黙りがちになっていき、最後にはただ手をあげて互いに別れを告げるしかありませんでした。

 ……このとき見舞いに行った方が、私なんですよ。

 おととしの夏、足腰を悪くしていた私は、階段で足を踏み外しましてね。転落したんですが打ちどころが悪くて、亡くなったんです。

 え? そうですよ。何をそんなに驚いて……あなただって、うすうす気づいてたんじゃないんですか?

 私はもう死んでるんです。

2019/08/02

わらすでるべさ

百物語 第四十九夜

わらすでるべさ


※怪談です。苦手な方はご注意ください。



 座敷童が出る、って有名な旅館が東北地方にあるわな。

 座敷童を見たら運が開けるっていうんで、予約が二年も三年も先まで埋まっているんだ、ってさ。周囲に観光スポットがたくさんあるわけじゃないし、一流ホテルのような設備もないけど繁昌してるみたいだな。

 実はさ、こんな有名なところじゃなくても座敷童が現れる旅館てのは、あるもんなんだ。仕事の関係でたまたま知り合った人が教えてくれてさ。そいつの会社が危ないときに、ちょっと助けてやったことがあったんだが、その見返りのつもり、だったんだろうね。

 じゃあ、何で倒産の危機に瀕してるときに泊ってこなかったんだ、って思うよな。そうさ、半信半疑さ。いや、むしろ全然信じちゃいなかったな。信じてたら家族旅行で泊まったさ。

 うん、出張でたまたまそっちの方に行くことになったからさ、仕事のついでに泊まったようなもんよ。

 用事済まして旅館に入ってから、一風呂浴びてさ、ちょっと一杯ってくりだしたんだが、飲み屋が全然なくてな。あることはあるんだが、ここだと思ってドアを開けようとしたら潰れてたり、見るからに汚そうなところだったりでな、なんとか最近できたらしい居酒屋を見つけた。

 港町だから刺身は美味かったけど、客はおれだけだし、おかみさんは陰気な感じがするしで、何だか気が滅入っちまってな。ほろ酔いにもならんうちに切り上げて旅館に戻った。

 それで、寝たと。座敷童なんて、出なかった。影も形もありゃしない。

 ああ、そこまではただの笑い話の種さ。

 ところがな、帰ってみたらすぐに実家から電話があってさ。

 最近連絡をとってないから電話した、とオフクロがいうんだ。

 あれこれ訊いてくるんだが、要はちゃんとやっているのか、ってことで、たいした用事じゃない。こちとら仕事中だから、生返事をしてたんだ。いつのまにか近所の人の噂話に変わっていくしな。

 そうやってしばらく、うん、うんいってたんだが、急にハッとするようなことを、いいだしたんだな。

「昨日、変な夢を見たのよ……。子供がね……」

 それがさあ、聞いてみたら……絣の着物姿の子供と遊ぶ夢だっていうんだよ。

 気持ち悪いがオフクロも子供に戻ってて、お手玉やら、おはじきやら、かくれんぼなんかをして、遊んだんだと。

 夢の中で夕方になると、その子は突然家に帰るといって走り去った。とたんに寂しくなった。それで、その背中を見送っているところで、目が覚めたんだそうだ。

 ああ、まさか、そっちに出たんじゃないだろうな、って内心、つぶやいたよ。出張で座敷童の出る旅館に泊まった、ってこともいわなかった。

 だいたい、夢に出てくるじゃないだろうって思ったしな。

 ところがよ、それからオフクロの金回りが突然よくなったんだよ。

 実家で持ってた二束三文のはずの土地が、再開発とかで高く売れたし、この前も宝くじで百万、当ててた。今じゃブランド物の服を買ったり、海外旅行したりと大忙しさ。

 最初に聞いてた話と違うだろう、って思うと、何となく悔しくてさ。

 まだいっていなよ。おれが座敷童の現われる旅館に泊まったからだ、ってな。

 その旅館? ああ、教えてもいいけど、おれが話したようなことになるんじゃないか。

 全然知られていないのも、そのへんに理由があるのかもな。

2019/08/01

名字を呼ばれて

百物語 第四十八夜

名字を呼ばれて


※怪談です。苦手な方はご注意ください。



 さすがにそれは……仮名にしてください。最近、個人情報にうるさいじゃないですか。私、人事部にいますんで、けっこう神経質になっちゃってるんです。

 そうですか。じゃあ「佐藤さん」ということで。

 佐藤さんは、私が勤めている会社の受付をしている女性でして、外部から派遣されてきています。

 こんなこというと最近うるさいかもしれませんが、容姿端麗である上に、はきはきした言葉づかいで、話しぶりが実に心地よいのです。話しているうちにこっちも楽しくなってくるようでね。

 仕事が仕事なもんですから、たまに話をする機会がありまして、何かのついでで、こんな話を聞かせてくれました。

 最近、金縛りにあった、といいます。

 佐藤さん、どうも寝床でものを考える癖があるらしい。それで、なかなか寝つけない。

 たまに、ありますよね。うとうとして、ああもう寝落ちしそうだってたびに、はっと意識が戻ってしまう。

 佐藤さんは、そのはっと戻った瞬間に、全身が動かなくなったというんですよ。

 それまでにも何度か似た経験はありましたが、全く身体が動かないのは初めてだったといいます。

 必死に手足をもがくんですが、全く動かない。そうしているうちに、ーン、と何かが落ちるような音がしました。

 同時に、部屋全体が激しく揺れたんです。その衝撃たるや、まるで隕石が屋根を突き破ったんじゃないかってくらいだった。

 でもね、それは隕石よりもタチの悪いものだったっていうんです。

 ふと気づくと、スーツ姿の女がベッドの横に立っていたんですよね。そいつが、佐藤さんの顔を覗きこむようにしているんです。

 垂れさがった長い髪が、今にも頬を撫でそうで……と、そこで気づいた。自分じゃないか、って。鏡を見てるんじゃないかって疑うくらい、自分にそっくりなものが、いる。

 ばっちりメイクを決めていて、出勤前か、まるで彼氏に会う前あうときか……こんなことをいうと、また怒られそうだな。はは。

 そいつはやっぱり、鏡に映った姿ではなかったんです。その証拠に、そいつが首をかしげたかと思うと、叫んだんです。

「さとーーうっ」

 姿はほとんど自分でしたが、声は似ても似つかない……年配の男性のものでした。

 佐藤さんはそこで意識を失ってしまったんですが、次の瞬間、いえ、実際にどれくらいの時間がたってるのかは、わかりませんが……またハッと目が覚めたんです。

 ほぼ同時にドーン、とものすごい衝撃があって、自分そっくりなものが顔を覗きこんできて……年配の男性の声で名前を呼ばれ、意識を失う。

 朝まで、何十度となく同じことをくりかえしたそうです。

 ふと時計を見るといつもの起床時間を過ぎていたので、慌てて身支度を整えて出勤したんですが、職場についてすぐ、同僚に声をかけられて、あいさつしたとき……。

 声が、がらがらになっていたんです。

 佐藤さんがいうには、金縛りにあっていたときに聞いたような、年配の男性の声みたいだった、と。

 受付ですから、その日は仕事にならないってことで休んだそうです。

 あの日はそんなことがあったの、って私が尋ねましたら佐藤さん、口に手をあてて、くすくす笑いながら、こういってました。

 でも、なんで私の名字を呼んだんでしょうね。名前でもいいのに、って。

2019/07/31

素直な子

百物語 第四十七夜

素直な子


※怪談です。苦手な方はご注意ください。



 小説の舞台にもなったところだから、イニシャルにしてもすぐにわかってしまうかもしれないわよ。

 A市の北にあるS峠での話ね。昔はどうだったか知らないけど、今は道路もよいし、きついカーブもなくて走りやすい道よ。事故が起きたって話も全然聞かないわね。

 五年前に車を運転していて、南の方から、つまりA市の市街地から北へ向けて走っていて、S峠を通ったの。

 最初に、道を歩いている女の後姿を見かけたんだけど、これがね、まだ秋に入ったばかりだっていうのに、冬物のコートを着てたのよ。クリーム色のね。

 変な人だなって思ったけど、夜で、しかもかなり遅い時間……日付がもう変わってた頃だし、私ひとりだったしね、錯覚か何かだろうってそう気にせずに追い抜いたのね。

 ところがね、それからしばらく走ったら……。そのクリーム色のコート姿の女が、また歩いてる。やっぱり、こっちに背をむけてね。

 まあ、偶然だろうって通りすぎて、ちょっと行ったところで、バックミラーをのぞいてみたら……いつまでたっても、そこに映りこんでこないの。

 いやあ、怖いっていうのはなかったなあ……何ともベタだなあ、とは思ったけど。

 それから次の市街地、W町に着くまでに、五、六回はその女を見たのね。

 後姿だからいいけど、こっちに向かってきてるのを何回も見るんなら、ちょっと嫌だな……って思ってたらさ、W町を抜けてしばらくすると……。

 うん、そうなの、そのクリーム色のコートを着た女が、こっちに向かって歩いてきたのね。

 いやあ、血みどろだったり、青白かったりはしなくて、ごくふつうの若い子って感じだったなあ。怖いっていうより素直な子だな、と思った。

 それ以上のことは、何もなかったしね。

2019/07/30

水の音

百物語 第四十六夜

水の音


※怪談です。苦手な方はご注意ください。


 ずいぶん昔の話で、元祖ウォークマンが発売されてまもなくの頃のことです。

 ラジオの深夜番組をカセットテープに録音して、編集するのが趣味という男がいたんですね。勤め人なので、ふだんはタイマーで録音して、休日にそこからピックアップして、好きな曲だけを一本のテープにまとめる。

 カセットテープがどんどん増えていきまして、ゆうに千は越えていたそうです。

 ところが、ある日の出勤中、ウォークマンで編集したテープを聴いていると、奇妙な音に気づいたんです。

 曲の背後に……かぶさるようにして、水の音がするんです。

 小川のせせらぎのような静かなものではなくて、ゴゴーッと、増水した川の流れを思わせる音でした。

 洋楽で、当時よく聴かれていたグループ。制作サイドの演出とは考えにくい内容でした。

 その人は、当然、ノイズを疑いましたね。でも、ステレオにも金をかけているし、好きなものですから機器の相性も熟考して組んでいます。調子も、すこぶるいい。カセットテープの方だって、もちろん重ね録りなんてしていません。

 試しに電源を切ってみたところ、ゴゴーッという洪水のような音は消えました。

 耳がおかしいのか、それとも気づいていないだけで、どこかでノイズが入ったのか。

 その晩、帰宅してすぐに、曲を流していた番組にあたってみました。そのカセットテープに録音するときも、いつものように番組をまるごと入れてたんですね。

 その洋楽が紹介される、ちょっと前でした。

 パーソナリティが、こういっていました。

「今年の夏は、海難事故が多いですね。先月はM県で、今月に入ってすぐK県で……」

 そのあたりで、ゴォーッという音がしはじめました。

「まだ小さい子供だっていうのに、いたましいですね……」

 そこで数度、ぶちっ、ぶちっ――と、電源を落としたときのようなノイズが入りました。

 それでも依然として、ゴォーッという音はつづいています。

「本当にみなさん、気をつけてくださいね」

 そのとき、一瞬だけ、声が聞こえたんです。

「おかあさん!」

 その人ははっとして、テープをとめました。

 巻き戻して、ふたたび再生しました。

 でも、その声らしきものは、二度と聞けませんでした。

 その人って、実は私の父の同僚だったんです。子供の頃に一緒に遊んでくれたり、お菓子をもらったりしているうちに、こんな話を聞かされたんです。何かの話のついでにね。

 今もそのカセットテープがあるかどうかは、わかりません。確かめてみたくはありますね。

 残念ながら私が中学にあがる頃に転勤してしまって、今はもう連絡先がわからないんですけれども。

2019/07/29

安産告知

百物語 第四十五夜

安産告知


※怪談です。苦手な方はご注意ください。


 うちは初めての子が流産していましてね。

 妊娠がわかったときは私らももちろん喜んだんですが、それ以上に、親族中がたまたまひさしぶりの妊娠、出産だって大騒ぎしてね。その分、流産しちゃったときには落胆もひどかったんです。

 妻はそれから、ことあるごとに泣いてばかりで、だんだん精神が不安定になっていったんですね。あのときああしていれば、こうしていればって常時、思い詰めましてね。

 その頃は本当に大変だったんですが、微力ながら私も様々フォローしまして、多少曲折はあっても何とか明るさを取り戻していったんです。

 五年くらいたつと、再び子供を授かったんです。

 でも、やっぱり初めのようには手放しで喜べない……というと子供にはかわいそうですが、妻はそこまで慎重にしなくても、というほど慎重になりましたし、何かのたびに、まただめかもしれないと口にするようになったんです。

 そんなことを妻がいうたびに、なだめるように努めたのですが、だんだん疲れてきましてね。おまけに仕事が忙しい時期に入りまして、毎日ベッドについたら朝まで全く起きない、なんて日が続きました。

 それで、目をさましてみると、妻が一晩中眠れなかった、などという日がたびたびあって。何だか寝たのがすごく悪いような気分になったものです。

 私も精神的に不安定になっていたからでしょうかね。ある夜のころです。

 夢枕に、ふたりの男の子が立ったんです。

 ひとりはやや背が高くて、三歳くらい。もうひとりは歩ける……というより、ようやく立てるようになったくらい、という印象でした。

 背の高い方が、まるで大人のような口調で話しかけてきました。

「今度の子を、つれてきました」

「もしかして、君は……」

 何となく予感めいたものがあって、そう問いかけると、

「はい、ごめんなさい」と、ゆっくり頭を下げて私が、

「いや、こっちの方こそ」というのを遮りました。

「お父さんお母さんは何も悪くありません。こうなるしかなかったのです」

 そうしてその子は、ちょっと寂しそうに笑ったんです。

「でも、次は大丈夫です。僕が守りますから……」

「そうか……。しかし、いったい……」

「いいえ、心配いりません。必ず、僕が守りますから」

 そこで、目が覚めたんです。私は涙を流していました。

 ベッドを出て顔を洗っていると、寝室の方で物音がしたかと思うと、妻がやってきました。

「ちょっと聞いて、不思議な夢を見たの」というんです。

 はい、そのとおりなんです……妻も、全く同じ夢を見たんです。

 それを機に、妻も私も落ち着きを取り戻しました。ええ、もちろん無事に出産しまして。

 来年の春、その子は小学校にあがります。

2019/07/28

くまちらら、はけほか

百物語 第四十四夜

くまちらら、はけほか


※怪談です。苦手な方はご注意ください。


 こういう怪談のパターンでさ、よくあるだろう。ひとことで最後をしめくくるってのがさ。

 その最後の言葉を大声で叫んで、他の人をおどかす。あんたもよく怖い話を聞いてるっていうんなら、すぐに思いつくよな。

「死ねばよかったのに」とか「どうして事故らなかった」とか。

 決めゼリフみたいに「お経唱えたって、無駄だよ」とか「じゃあ、いっしょに死にましょう」とか、いうこともあるわな。

 そういう話が好きなやつばっかり集まってたんなら、うまくいけば全体がひきしまるし、それなりの効果があって面白いんだろうけどな。ただ脅かすために叫ばれるのは興醒めだが。

 何か言葉のようなものを耳にしたとき、人間て勝手に「意味」をとろうとするらしいぜ。特に母国語の場合はな。逆に、自分の知らない言語は他の音と同じように聞き流しちまう。

「わからない」ってのは、怖いことなんだよ。

 意味がわからないってのは、怖いよ。

 もう八年くらい前になるかな。ホラージャンルのゲームをしていたんだ。

 サウンドノベルな。画面に出る文字を読んでいく。読んだらページをめくるみたいにボタンを押すと、次の文字が出てくる。たいていはBGMが流れていて、ときどき背後の映像が切り替わる。当時はけっこう、そんなゲームが流行っていた。

 何話か読み進めていくうちに、外が暗くなってきてな。そう腹が減ったわけでもないから、それまでゲームを続けようって思ってたんだ。

 すると突然、女の声がした。

「くまちらら、はけほか……」

 それを、何度もくりかえしはじめた。よく憶えてるって? これがなあ……耳障りなわりに、頭から離れない声だったんだよ。気持ち悪いんだが、今でも耳にこびりついてて離れない。

 夏の終わりの頃でな、窓を開けてたんだ。

 いちおう外を見まわしてみても、田舎町の夜更けで道行く人はいない。車も走っていない。

 ちょうどそのとき、テレビ画面には、人形の顔がアップで映しだされていたんだ。学校に住みついた人形が、毎年生贄を求めているって話だった。

 こいつだろうか……。

 いや、まさか、な……。

 そしたら、また外で女の声がしたんだ。

「じゃかもくたか、さんたん?」

 やっぱり、何回もくりかえしている。語尾があがっている。何か訊ねているんだろうか? 意味はわからないものの、日本語のアクセントのようだった。

 ぞっとしたね。背中に寒気が走ったよ。

 ゲームをやめちまおうって、ゲーム機本体に腕を伸ばしたらさ、

「にんぎょう」

 俺がそう聞き取った瞬間。

 ぴしゃん、と窓が閉まったんだ。

2019/07/27

生首

百物語 第四十三夜

生首


※怪談です。苦手な方はご注意ください。


 今は全然なんだけど、一時期、わりと生首を見たのね。

「生首」っていうけど「生」じゃない……って、当り前か。

 だいたい「首」って、ネックレスをかける部分のことをいう場合もあれば、首から上を指す場合もあるよね。

 私が見ていたのは首から上の方。よくあるパターンよね。

 時代劇じゃあるまいし、昔の方が怨念いっぱいの表情を浮かべて、あたりを飛んでるのを見た、何というのはないの。

 見た感じじゃ、最近の人ばっかりね。

 もう一年前くらいになるけど、休みの日だからって、ちょっと近くの町まで行ってランチにしようって車を走らせていたらさ、ボンネットに生首が乗ったんですよね。

 いきなりですよ、ドン、と。

 すごい衝撃でね、上から何か落っこってきたかと思って、ブレーキを踏んだの。

 でも、違った。

 次の瞬間、助手席前のフロントガラスに貼りつくようにして、生首がいたのね。

 ボブカットの女性で、血を流していました。

 それが強烈でね、鼻から下は刃物か何かで、えぐられたようになっているし、口の中が丸見えで、血で真っ赤だったし。たぶんそれで、歯が妙に白く見えた。

 完全に停車したわけじゃなかったから、そのままするするとスピードをあげて、何とか運転しつづけたのね。

 いや、もう完全に無視。無視よ。おどかされて腹が立ったしね。

 七十か八十か、それくらいで走ったんだけど、落ちもしないし、それどころか動きもしない。

 これって、変よね。ボンネットに衝撃があったってことは、物質なわけでしょ? 物質だったら、こんなにスピード出してるんだから、走ってる車から落ちて当然じゃない。まさか血のりが乾いて、車体に固定されたわけでもないし、って。

 理屈っぽいかな? ただ、都合のいいときは物質で、都合の悪いときは物質じゃなくなるって、ずいぶん身勝手じゃない。そういいたいだけ。

 そのままずっと無視して、いないものとして運転していたらね、隣町に入る頃にはいなくなっていた。

 視線を感じてたから、ずっとこっちを見てたみたいね。

 意地でも見てやるか、って思ったんだけど。

 着いてから車に異常がないか確かめてみたら、全く問題なくてね。へこんでもいないし、血もついていなかったの。だから、何か落ちてきたのを、生首と見間違えたわけじゃないようよ。

 さすがに、あんなものを一瞬でも見たあとだから、食欲があまりなくなってた。それも腹が立ったんだけどね。

 ううん。そんなことない。生首が落っこってきたのは交通事故があった場所でもないし、それ以外でも人が亡くなったところってわけじゃない。

 生首なんて、どこにいても落っこってくるわよ。

 運転中は、特に気をつけてね。

2019/07/26

川上の亡魂火

百物語 第四十二夜

川上の亡魂火


※怪談です。苦手な方はご注意ください。


 僕のじいちゃんが小学生だった頃のことなんで、大正の終わりか昭和の初めくらいの話です。

 当時、じいちゃんは近所に住む漁師を手伝ってたそうなんです。

 いいえ、海じゃありません。もともと僕の実家は茨城の方にありまして、漁をするのは利根川。

 利根川なんですけれども、住んでたのは玉川ってところで……ああ、混乱させちゃいますね。これは忘れてください。

 ある年の秋、夜のことです。

 じいちゃんとその漁師さんが舟に乗りまして、川に漕ぎだしていった。

 ちょっと流れを見ようってことで、舟の上で仮眠をとることにしてしばらくたつと、なにかシャンシャンいう音がする。

 薄い金属の板がこすれあうような音だったといいます。

 それでじいちゃんが目を覚まして上半身を起こすと、川の上に火の玉がいくつも浮かんでいる。

 ウワッと声をあげると、漁師さんも身体を起こして、水面を見た。

「火の玉……火の玉」じいちゃんがかろうじていうと、

「ああ……ありゃ、溺れ死んだもんの亡霊だ。あれが出ると、大漁まちがいなしっていわれとる……おお、なんだおめえ、震えとんのか。めったなことじゃ、なにもしてこんから心配するな」

 そうはいわれても、やっぱり怖い。

 近づいてきて舟の周囲をグルグル回っている火の玉もある。

「珍しいな、こんないい天気なのに……雨もよいの日によく出るもんなんだが」

 その瞬間ドーン、と……火の玉が舟の上に入ってきて、グラグラ揺れた。

 漁師さん、まずいっと叫び、慌てたようすでオールをとって飛び込んできた火の玉を叩いた。

 すると火の玉が分裂して、あろうことかそれぞれが舟の上をピョンピョン跳ねまわりだしたんです。

 漁師さんは獣じみた奇ッ怪な声をあげつつオールを振り回して、火の玉をつぎつぎに舟の外へと叩きだす。

 じいちゃんはもう怖くてたまらないので、漁師さんにぴったり身体をくっつけ、固唾をのんでその様子を見守った。

 ずいぶん空振りしたし、火の玉からすすんでオールに当ってくるようなこともあって、そんな格闘を三十分ほどもつづけて、ようやくすべて川の上に追い出したそうです。

 それで……じいちゃんはともかく、漁師さんはもう疲れきってしまいましてね、今晩はもうやめだって帰ることにしました。

 お駄賃はやるから心配するなって、じいちゃんを安心させましてね。

 しかし、とうとうお駄賃はもらえずじまいに終わった。

 ええ、そうです。漁師さん、翌朝ぶったおれて、そのまま死んでしまったそうなんです。

 一方、じいちゃんの身にはなにごともなく、それから成人して戦争にも行ったけれども、無事帰ってきています。

 それでいまでも「守ってくれたから」って、その漁師さんの墓参りに行くんですよね。

 もう足下なんかヨッタヨッタしてるしじぶんじゃほとんど歩けないんですけど、命日になったら行くっていってきかない。

 ええ、そうそう。利根川の玉川にね。

 ああ、ひとついい忘れてました。

 漁師さんが亡くなった日に、じいちゃんはそのときに乗った舟のようすを見に行ったんですね。

 すると、なんだか小さな骨らしきものが散らばっていました。

 近づいてみると、ノドボトケらしい。

 どうやって見ても、みんなノドボトケだと分かった。

 それが、十も二十も散らばっている。

 幻覚じゃない、まして魚の骨なんかじゃないって、じいちゃんはいい張ってるんですけどね。

 かりに、その火の玉の本体だとしても……なぜ、ノドボトケなんでしょうかね。

2019/07/25

かしきゆ

百物語 第四十一夜

かしきゆ


※怪談です。苦手な方はご注意ください。


 父が亡くなったのは平成十五年の夏です。わたしはまだ大学生で、東京に住んでおりました。

 春先に入院したのですが、わたしが夏休みに帰省したときには、三か月くらいだろうと余命宣告を受けたと家族から聞きました。

 ああ、これが父を見る最後になるのかもしれないって、お見舞いに何度も通いまして……休みの終わるぎりぎりまで実家にいて、東京に帰りました。

 その日、電車に乗ろうとして駅ビルの中を歩いていますと、ふとお菓子屋さんの一角が目に入りました。

 お土産を持って行く人はいないんですが、なぜか気になって気になってしかたなくなってしまい、とうとう買ってしまったんです。

 菓子折りをひとつ……。

 電車に乗ってからまた不意に、あれ、わたしなんでこんな菓子折り買っちゃったんだろう……なんて思ったりしているうちに、東京のじぶんの住むアパートに着きましてね。

 それで、そんな菓子折りを買っても別に食べたいわけでもないからって、テーブルの上にポンと置いて、荷物を整理して、シャワーを浴びました。

 ああ疲れたってボーッとして、しばらくテレビをなんとなく見ているうちに、また菓子折りが気になりだしたんです。

 おかしいよなあ、なんで買っちゃったんだろうって。

 こんなの好きな人まわりにいないから、だれかに渡すわけにもいかない……それで包みを開けてみたんですけれども、びっくりした。

 十個入りだったはずが、七個しかないんです。

 当然、その三個分のスペースがスカスカになってました。

 すでに包装されたものを買ったので、つくるときに工場の方でなにかまちがえたんだろうって、ひとつ食べて。

 電話して文句いってもなあ、三個足りないなんて変だし、頭おかしいクレーマーだと思われるんじゃないかなあ、なんてあれこれ考えていると……携帯に、連絡が入ったんです。

 父がたった今亡くなった、という知らせでした。

 実家にとんぼ返りしまして、すでに家に戻ってきていた父と対面しました。

 そこへ伯母さんが……父の姉がやってきまして、

「亡くなる直前にね、あなたのところへ行ったっていってたのよ。なんかなかった?」

「いえ、なにも……」

「そう……会いたいあまり夢でも見てたのかしらね。もなかをあなたに勧められて、三つも食べたって話してたんだけど」

 わたしが買った菓子折りは、もなかでした。

 でも、わたしは父に勧めてなんかいないし、別に生前、父がもなかを好んで食べたってこともありません。

 だいたい、包装をひらいてみて初めてみっつなくなっているって気づいたんですし。

 ぜんぶ葬儀に関するあれこれが終わって、また東京にもどったところ、もなかは腐れていました。

 いいえ、変なことはないですよ……まだ暑い時期ですし、冷蔵庫にもいれず、テーブルの上に置いたまんまでしたから。

 それに、数も合っていました。

 だれが父にもなかを勧めたのか。

 謎は、それだけです。

2019/07/24

蚊帳

百物語 第四十夜

蚊帳


※怪談です。苦手な方はご注意ください。


 これは、ずっと誰にも話さなかったんだけど……何だか、頭がおかしくなりそうでね。でも、もうずいぶん昔の話だし、そろそろ人に話した方が、かえっていいかな、って思って。

 中学二年の夏休みに、新潟のおじいちゃんの家に行ったのね。

 すごーく田舎で、夜寝るときには蚊帳を吊るの。

 私は小さいときから夏は毎年おじいちゃんの家にいってて、慣れっこになってたけど、おじいちゃんたちと一緒に住んでるいとこは、蚊帳が好きじゃないのよ。蒸し暑いっていってね。

 確かに蚊帳の外よりは暑いかもしれないけれど、がまんできないほどじゃないし、東京よりはずっと涼しいのに。

 そんなわけで、子供の頃は、いとこと一緒に寝ることもあったんだけど、そのときはひとり。蚊帳の中で寝てたんです。

 ときどき田んぼを渡ってくる風が入ってきて、蛙のにぎやかな声が聞こえてくる。

 気持ちよく、心地よく、うつらうつらしてたんです。

 ところが……ああ、もうだめだ、寝そう。眠っちゃうってところでね、ふと気づいたんです。

 私からしたら右側、足元のあたりに、誰かが座っていたのね。

 うつむいて、しょんぼりした様子なんだけど正座してるし、背筋をなぜかぴんと伸ばしてる。

「誰なの、顔をあげなさいよ」

 っていったら、我ながらすごく寝ぼけた声だった。それでも通じたと見えて、その人が顔をあげたのね。

 前の年の春に転校していった、同級生のK子でした。

 K子とは仲がよかったし、転校したあとしばらくの間は連絡をとっていたんです。でも、何となく疎遠になって、いつのまにかSNSでもメールでも、やりとりをしなくなっていました。

 そういえばK子は新潟県に転校したんだった、って夢うつつに思いました。

 うん、夢なんじゃないの、これはと思っていたんですよ。

 だって、K子の顔の右半分に、びっしり貝のようなものがついているし、髪は綺麗だったのにボサボサになってたし、顔中血だらけでしたし……。

 それでも、なぜか私はその人が、K子だって思ったんですね。K子が夢に出てきたんだって。

「K子、ひさしぶり」っていったら、K子は泣きだしました。嗚咽をもらして、しゃくりあげるように。

 起きていたら、まずK子の悲しみの理由を聞こうとしたでしょう。でも、そのときの私はどうしたことか、

「どうしたの、その顔」

 って尋ねたんです。するとK子は、

「どうしたも、こうしたもないわよ」

 と気色ばんで……あ、怒らせちゃったと思いつつ、私は寝てしまったんです。

 翌朝、アブラゼミのやかましい声で起きてすぐ、顔も洗わずにスマホに飛びつきました。

 K子に電話をしてみましたが……出ません。

 SNSのK子の画面を開くと、もう半年くらいもやりとりをしていないことに気づきました。

 そこで私は、長い間連絡をとらなかったことを謝り、K子の夢を見たと打ち込みました。

 K子から連絡があったのは、その日の昼過ぎでした。

 でも、おかしいのは……K子はなぜ電話番号を知っているんだ、私のことなんか知らないっていうんです。

 中学校で去年の春まで同じクラスだった、というと、そんなわけはない、私は新潟生まれの新潟育ちで、一度も転校なんてしたことがない、っていうんです。

 私は混乱してきて、他に仲のよかった子やK子の憧れていた先輩の名前をあげたり、私の知っているK子自身のことを矢継ぎ早に話したんですが……かえって不気味に思われたようで、まもなく電話を切られてしまいました。

 私はSNSで知り合い全員にむけて、K子って子が去年まで同じ中学校にいたよね、って聞いたんです。

 でも、誰もK子を知らなかった。

 私の家族も同様でした。親はPTAの役員をしていましたが、K子という子に心あたりはないし、私がK子のことを話していた記憶もないっていうんです。けっこうK子の話題を家でしていたはずなんですが……。

 これって、どういうことなんでしょう? 私の記憶では確かにK子は同級生で、中学校へあがるときに転校していった。

 電話でも、SNSでもやりとりをしている。その記録も残っている。

 それからもう一度、K子に連絡をしてみたんです。きちんと順序よく説明できるようにしてね。

 ところが、やっぱりK子はずっと新潟にいたっていうし、そのSNSはやっていないっていうんです。

 こうなると、私がおかしいとしか考えられませんよね。

 え? ああ、そうですか。それは……ありがとうございます。

 はい、はい……K子が私のもとに現れた晩のことですが、私のことを知らないK子は、ちょっと前に海水浴に行って、頭を岩にぶつけちゃって怪我をしたようなんです。

 顔の右半分が血だらけになったって、いってましたね。そう聞いたんですけれども。

 そこだけ私の体験したことと、合っているんです。

 何なんでしょうかね。

 そういえば、その子の名前って、加耶子、なのね。

 もしかしたら、たまたま蚊帳の中に私がいたから何かが通じて……いや、そんなことないかな。

 いえ、だからといって、いとこみたいに蚊帳が嫌いになったわけじゃないんですよ。

 でも、おじいちゃんの家ではもう蚊帳を吊っていません。夜は全部、戸を閉め切って寝るからです。ええ、物騒ですからね、最近は。