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2017/07/25

祝詞語彙20

万葉集巻第一より

【二十番歌】
茜さす 紫野ゆき 標野(しめの)ゆき 野守は見ずや 君が袖ふる

〇標野……「しめ」は「しめ縄」の「しめ」。標野は他人の立ち入りを禁じた地だが、祝詞の文中においても祭場を表現する語句として使えるのではないか。ただし都市部の地鎮祭などの祝詞で用いるのは、仰々しいかもしれない。

2017/07/24

祝詞語彙19

万葉集巻第一より

【十九番歌】
綜麻(へそ)かたの 林の前(さき)の さ野榛(のはり)の 衣に付くなす 目につく我が背

〇付くなす……つくように。

【研究】
 現代語で「~のように」という意味になる、つまり比喩を表現する語句は、祝詞で使用されるものとしては、おおむね以下の二パターン。
①助動詞「如し」を使う。「科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く」など。
②本歌のように「なす」を使う。「鶉なす並み居」「鏡なす餅」など。
 助詞「の」にも比喩の用法がある(「玉の男の子」など)が、少々使いにくい。

2017/07/21

祝詞語彙18

万葉集巻第一より

【十八番歌】
三輪山を 然(しか)も隠すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや

〇雲だにも……せめて雲だけでも。

〇あらなも……「あり」に「なも」がついた形。

〇隠さふべしや……「隠す」「ふ」「べし」「や」という語構成。「や」は反語。(雲がそんなに三輪山を)隠しつづけてよいものか。

【補足】
「だに」は、上代においては「(せめて)……だけでも」「……なりとも」の意味だったが、のちに「……さえ」という意味でも使われるようになった。
「あらなも」の「なも」は終助詞。上に動詞や動詞のような活用をする助動詞の未然形がきて、「……てくれればいい」「……てほしい」という意味。本歌では「雲だにも 心あらなも」で「せめて雲だけでも心があってほしい」。終助詞・係助詞の「なも」はのちに「なむ」となる。すると、これまであげたものの他に、①完了の助動詞「ぬ」に推量の助動詞「む」がついた形、②ナ変動詞の語尾に推量の助動詞がついた形があって、まぎらわしいので注意が必要。

2017/07/20

祝詞語彙17

万葉集巻第一より

【十七番歌】
味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山のまに い隠るまで 道の隈 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや

〇つばらに……しげしげと。じっくりと。現代語の「つぶさに」。

〇見放(さ)けむ……「見放け」は終止形「見放く」。ここでは「遠くから見る」。

【研究】
 岩波の古語辞典によると「山のまに い隠るまて 道の隈 い積もるまでに」の「い」は、すでに奈良時代には意味不明になっていました。他の辞典や文法書のたぐいでは「調子をととのえる接頭語で、動詞につく」と説明されることが多いようです。
 この「調子をととのえる」というのは、和歌を念頭に置いているのかもしれません。より詳しくいうと、そのままでは四音や六音になってしまう句に「い」をつけている用例が多い、つまり「調子をととのえている」んだと。いうまでもなく、和歌ではできるだけ五音もしくは七音に音律をととのえる必要があります。
 とはいえ、五音・七音の語句を並べてゆく必要のない祝詞においても、調子をととのえるために使われる接頭語があります。
 相まぢこり、相口あへ賜ふ事無くして
 持ち斎(ゆ)まはり、持ち清まはりて
 などです。
  もちろん本歌の接頭語「い」も、同様な使い方ができます。
 例えば「天翔(がけ)り、国翔りに」という表現は、「天のい翔り、国のい翔りに」とすることが可能でしょう。
 夏の日のい照り輝くにも、冬月のい澄み冴ゆるにも、大神等の恩頼を蒙り奉るを……
 あまりうまく作文できていませんが、このような使い方もできます。
 推敲段階で読みにくい語句を発見したときなど、「い+動詞~、い+動詞」という形でととのえられないか、検討するとよいかもしれません。

2017/07/19

祝詞語彙16

万葉集巻第一より

【十六番歌】
冬ごもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山をしみ 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてそしのふ 青きをば 置きてそ嘆く そこし恨めし 秋山そ我は

〇冬ごもり 春さり来れば……「冬ごもり」は春にかかる枕詞だが、なぜ春にかかるのか不詳。「春さり来る」は「春がくる」。一説に、この語句には古代人の思考が反映されていて、春はどこかから少しずつ離れ、今自分の場所にやってくるもので「離れ」の部分も含め「去り」くる、と呼びならわしていたという。

〇山をしみ……「しみ」は「繁っているので」。本来「しげみ」とあるところ。

〇黄葉……モミチと濁らずに読む。モミジと読むようになったのは平安時代以降。「紅葉する」という意味の動詞、モミツと類縁関係にある。

【補足】
「山をしみ 入りても取らず 草深み 取りても見ず」がほぼ対句になっている。
 すでに述べたように、AをBみの形で「AがBなので」という意味になる。本歌中「草深み」のように「を」は省略されることがある。
 Bにはク活用の語幹が入るが、シク活用の終止形が入ることもある。例えば「懐かしみ」「をかしみ」「苦しみ」など。高校まででは、これを教えず、受験の知識としては「Bにはク活用の語幹が入る」とするだけで十分である。これは、「懐かしみ」「をかしみ」「苦しみ」などが形容詞の名詞化なのか、動詞の名詞化なのかがはっきりせず、大学受験で問題にしにくいからだろう。
「黄葉」について。
 万葉集では「紅葉」「赤葉」が一例ずつ、紅葉するという意味で「赤つ」と表記したのが二例で、圧倒的に「黄葉」と書かれることが多かった。漢籍の影響を指摘する人もいれば、実際に黄色い葉を見る機会が多かったからとする人もいる。なお、上代ではカエデだけではなくハギなどの葉、また一山全体の色づきを「黄葉」と表現するので、現代よりもモミジの範囲は広い(『万葉語誌』多田一臣編、筑摩書房)。

2017/07/18

祝詞語彙15

万葉集巻第一より

【十五番歌】
わたつみの 豊旗雲に 入日さし 今夜の月夜 さやけかりこそ

〇さやけかりこそ……形容詞「さやけし」に「こそ」がついた形。「清らかであってほしい」。

【補足】
「こそ」といえば係り結びする係助詞「こそ」がよくしられているが、本歌中「さやけかりこそ」の「こそ」は係助詞と違って連用形についていること、希望の意味ととれることから終助詞だとする人もいる。このような用法は上代の文献にしか出てこない。

2017/07/17

祝詞語彙14

万葉集巻第一より

【十四番歌】
香具山と 耳梨山と あひし時 立ちて見に来し 印南国原

〇あひし時……「あふ」は古語では現代語と同じ「会う」という意味の他に、結婚する、向かう、争うという意味があった。ここでは「争う」

【補足】
「立ちて見に来し」(立って身にきた)のが誰かが、歌の中には書かれていない。播磨国風土記に、十三および十四番歌とほぼ同内容の説話があり、このとき仲裁したのは阿菩大神だったとある。

2017/07/14

祝詞語彙13

万葉集巻第一より

【十三番歌】
香具山は 畝傍を惜しと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も 然にあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき

〇うつせみも……「うつせみ」は「うつしみ」とも。今の世の人も。

【補足】
「うつせみ」は神葬祭詞などで、「あの世」に対する「この世の人」として用いられる例ばかり見るが、この歌のように、「神代」または「昔」に対比することもできる。つまり、異界もしくは時間の観念において対比、使用することができる。

2017/07/13

祝詞語彙12

万葉集巻第一より

【十二番歌】
わが欲(ほ)りし 野島は見せつ 底深き 阿胡根の浦の 玉ぞ拾はぬ

〇欲りし……「欲る」に過去の助動詞「き」の連体形がついた形。「欲る」は中古以降あまり見かけない語。

〇拾はぬ……読み注意。ヒリワヌ。「拾ふ」はヒリウ。

2017/07/12

祝詞語彙11

万葉集巻第一より

【十一番歌】
わが背子は 仮廬作らす 草(かや)なくは 小松が下(もと)の 草(くさ)を刈らさね

〇草なくは……カヤがないなら。「は」は仮定条件の接続助詞。

〇刈らさね……「ね」は終助詞で、親しみのこもった願望を示す。上代によくつかわれた。

【補足】
 大意は、夫よ(旅の際の)仮の宿りがないなら、小さい松の下(に生えている)草をお刈りなさいな。
「は」は本来「ば」だが、形容詞や助動詞「ず」につくときは「は」となる。 

2017/07/11

祝詞語彙10

万葉集巻第一より

【十番歌】
君が代も 我が代も知れや 岩代の 岡の草根を いざ結びてな

〇知れや……「知る」は四段活用の動詞の已然形、「や」につき反語の意味。どうして知ることができようか。

〇結びてな……「て」は完了の助動詞、「な」は終助詞で意志を示す。結びましょう。

【補足】
「知れや」の「や」について。反語の意味のときは、活用する語の已然形が上にくることが多い。用例を見ると万葉集所載のものばかりなので、上代に特有といってよいかもしれない。
「草根をいざ結びてな」は、草をさあ結びましょう、ほどの意味。当時、松や草を結ぶことで、旅の安全を祈る習慣があった。

2017/07/10

祝詞語彙9

万葉集巻第一より
【九番歌】

莫囂円隣之大相七兄爪謁気 わが背子が い立たせりけむ 厳橿が本

〇立たせりけむ……「立つ」に三つ助動詞がついている。「す」は尊敬、「り」は完了、「けむ」は過去推量。したがって、お立ちになっただろう、という意味。

〇厳橿が本……「厳」の読みはイツで「神聖な」。「橿」はカシ。

【補足】

 祝詞作文とはあまり関係ないが、上二句「莫囂円隣之大相七兄爪謁気」は古来、訓読に諸説あって、はっきりとしていない。例えば賀茂真淵は「紀の国の山越えてゆけ」、本居宣長は「竈山の霜消えてゆけ」、鹿持雅澄は「三諸の山見つつゆけ」と読んでいる。

【研究】

「厳橿が本」は、この歌が詠まれた頃にはすでに、慣用表現になっていたかもしれません。雄略天皇記の歌謡に「御諸の厳白檮(いつ・かし)がもと」とあります。

 また「いつ」はこの歌のように、接頭語的に使えます。「いつ神籬」「いつ紙垂」「いつ注連縄」などの言い方ができるということです。「ゆつ」についても同様で、現に古事記でも「ゆつ津間櫛(つまぐし)」の用例があります。「いつ」と「ゆつ」は親戚ですから、こんにちのわれわれの目で見れば、どっちを使ってもいいんじゃないの、と思えるケースが多いのですが、似ていてもやはり違う語です。どう使い分けをすればよいのか、押さえておく必要があります。

2017/07/07

祝詞語彙8

万葉集巻第一より

【八番歌】
熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな

【研究】
「今は漕ぎ出でな」の「な」に注目したいと思います。この「な」は終助詞。辞書をひくと、①禁止、②勧誘・希望・決意、③感動・詠嘆の三種類の意味があるといいます。「漕ぎ出でな」の「な」は、②の勧誘でしょう。
 では、現代語ではどうでしょうか。以下の「な」を見てみてください。

 ①「絶対に忘れるな」
 ②「また行きたいな」
 ③「こんなはずじゃなかったのにな」

 ①から③のそれぞれに合う用例が見つかります。現代語でも、そう意味は変わらないといえます。  

 つづきまして、祝詞作文にどう「な」を活かすか。

 ①は現代語そのままの発想でいけます。

 ②でしたら例えば、「伊勢に参らな、大神宮を拝み奉らなと思ひ計りて」などと「な」をつかうことができます。ただ、意志の助動詞「む」や、願望の終助詞「ばや」を用いて「伊勢に参らばや、大神宮を拝み奉らむと思ひ計りて」などとする方が、自然に見えるかもしれません。

 ③は小野小町の歌「花の色は移りにけりな」の「な」ですから、季節の移り変わりを描写するときにつかえそうですし、神葬祭詞や慰霊祭祝詞でも「千年に坐さな、万年におはさなと思ひ頼めりしを」や「歳月のかくも早く流れなと呆れ過ごす間に」、「ありし日はさもあらなと心づくしの御饌つ物を調へ献奉りて」など、いろいろな場面でつかえそうです。

2017/07/06

祝詞語彙7

万葉集巻第一より

【七番歌】
秋の野の み草刈り葺き 宿れりし 宇治のみやこの 仮廬し思ほゆ
〇宿れりし……「り」は完了、「し」は過去の助動詞。

〇思ほゆ……「ゆ」は自発の助動詞。

【研究】

「思ほゆ」の「ゆ」に注目したいと思います。辞書や文法書類には、上代の助動詞として「ゆ」「らゆ」があり、「ゆ」は「る」、「らゆ」は「らる」に相当するとあります。

 ここでは、できるだけ上代の語彙を用いて祝詞をつくりたい、と考える人のために、「ゆ」「らゆ」についてまとめておくことにします。

 まず意味は、以下の三つ。

①自発(自然に……する、……せずにいられない)
②可能(……することができる)
③受身(……れる)

 なお、②は打消や打消推量の助動詞などをともなって、「……することができない」という文脈でつかわることがほとんどです。「る」「らる」には、これら①~③の他に尊敬の意味もありますが「ゆ」「らゆ」に尊敬の意味はありません。

「ゆ」と「らゆ」は、上にくる語が異なります。「ゆ」の上には四段、ナ変、ラ変の動詞の未然形が、「らゆ」はそれ以外の活用をする動詞の未然形がきます。

 文献を見るかぎり実は「らゆ」、「寝らえぬに」のように「寝ることができない」という意味でしか、つかわれていません。もっとも、確認できないだけで「ゆ」とたがいに補いあうように使われていたはずだ、と考えて、祝詞をつくるときにはこだわらなくてもよいのではないかと思います。

2017/07/05

祝詞語彙5

万葉集巻第一より

【五番歌】
霞立つ 長き春日の 暮れにける たづきも知らず むらきもの 心を痛み ぬえこ鳥 うらなけ居れば 玉だすき かけのよろしく 遠つ神 わが大君の 行幸の 山越す風の ひとり居る わが衣手に 朝夕に かへらひぬれば ますらをと 思へる我も 草枕 旅にしあれば 思ひ遣る たづきを知らに 綱の浦の 海人娘子らが 焼く塩の 思ひそ焼くる わが下心

〇たづきも知らず……後述。
〇心を痛み……「AをBみ」のかたちで「AがBなので」の意味(いわゆるミ語法)。Bに入るのはク活用の形容詞。上代に特有の語法。
〇玉だすき かけのよろしく……「玉だすき」は掛詞。「かけのよろしく」は、ことばだけでも嬉しい。
〇かへらひぬれば……「かへる」「ふ」「ぬ」「ば」が結合。「ふ」は反復または継続の意味をもつ助動詞。上代以降あまりつかわれない。
〇たづきを知らに……後述。「に」は打消の助動詞「ず」の連用形。上代以降、つかわれなくなってゆく。

【補足】
「たづきも知らず」が歌中で二度つかわれているが、「たづき」の意味が少々異なっている。
ひとつめは「霞立つ 長き春日(はるひ)の 暮れにける たづきも知らず」で、霞の立つ春の日が長くて、いつ暮れたのかわからない、という意味。ふたつめは「草枕 旅にしあれば 思ひ遣る たづきを知らに」で、旅行中なので、じぶんの思いをどうすべきかがわからない、という意味。前者が状態をさすのに対し、後者は手段・方法をさす。

2017/07/04

祝詞語彙6

万葉集巻第一より

【六番歌】
山越の 風を時じみ 寝る夜おちず 家なる妹を かけて 偲ひつ

〇風を時じみ……「時じ」はここでは「絶え間ない」という意味。ミ語法も加味すると全体で「風が絶え間なく吹いているので」。

〇寝る夜落ちず……ここでの「落ち」は「欠けることなく」という意味。毎晩寝床で、ということ。祝詞の慣用表現「もるることなく、おつることなく」の「おつ」と同様の意味。

〇かけて……意味は現代語と同じだが、この語が歌の中で使用されると、何に「かけて」いるのかが書かれていないことが多い。ここでは「心にかけて」。「掛けまくも畏き」という祝詞の慣用表現との関連から、注意したい。

2017/07/03

祝詞語彙4

万葉集巻第一より
たまきはる 宇智の大野に 馬並めて 朝踏ますらむ その草深野

【四番歌】
〇並め……「並(な)む」。並べるという意味。
〇踏ますらむ……「す」は尊敬の助動詞。「らむ」は現在推量の助動詞。お踏みになるだろう。

2017/06/30

祝詞語彙3

万葉集巻第一より 

【三番歌】

やすみしし わが大王の 朝には 取り撫でたまひ 夕には い寄り立たしし みとらしの 梓の弓の なか弭の 音すなり 朝狩に 今立たすらし 夕狩に 今立たすらし みとらしの 梓の弓の なか弭の 音すなり

【研究】

 冒頭部から六句目を参照して、祝詞における神明への感謝・崇敬などの表現に転用できます。語句の構成だけではなく、後半の語彙もおおむねそのまま使えそうです。実際に一例を示しますと、まず歌は、

やすみしし 我が大君の
 朝には 取り撫でたまひ 夕には い寄り立たしし

 初句と二句は神明をあらわす語句、例えば以下のように換えます。

ちはやぶる我が大神の

 何を「取り撫でたまひ」、何に「い寄り立たし」なのかというと、(この歌では)弓なのですが、この弓を氏子崇敬者や参拝者などとするなら、祝詞文中の語句としてしっくりきます。

 あとは微調整をします。まず、「取って撫でなさる」のは通常では考えられませんので、「撫で幸(さき)はへ給ふ」などとします。つぎに「い寄り立たしし」の最初の「し」は敬語ですが(二番目の「し」は過去の意味の助動詞)、これを「給ふ」に換え、「い寄り立ち給ひて」とします。まとめてみると、

ちはやぶる我が大神の朝には撫で幸はへ給ひ、夕にはい寄り立ち給ひて

 最後の「……い寄り立ち給ひて」を「……い寄り立ち給ふ」とし以下、

大御恵を仰ぎ奉り、辱み奉りて

 などとつなげれば、まずまず感謝・崇敬をあらわす表現となります。
 

2017/06/29

祝詞語彙2

万葉集巻第一より

【二番歌】

大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国そ あきづしま 大和の国は

〇国見……古代の予祝儀礼。国見そのものをするというなら不敬だが、発想は祝詞に生かすことができる。祈年祭祝詞において奉仕神社の鎮座地をほめ、秋の豊穣を乞い奉るなど。

〇国原は煙立ち立つ 海原はかまめ立ち立つ……「立ち立つ」を「立つ立つ」と読む訓もある。対句表現に注目したい。また、カモメの古い読みがカマメであることも。なお「煙」は炊事のけむり。

【研究】この歌の後半部分をもとに、語句や発想を活かして、作文してみます。

国原は煙立ち立つ 海原はかまめ立ち立つ うまし国そ あきづしま 大和の国は

 これがまず、二番歌の後半部分。

大野の原に畠つ物のさはに生り生る 大海原に魚のあまた寄り寄る うまき処のよき処にしあれば

 あまり対句が活かしきれていませんが、この一連の語句の上を「大神等の鎮り坐すこの〇〇はしも」などとすれば(〇〇は鎮座地の地名)、まずまず土地をほめる語句にはなります。


この後は、(こういうよい土地に住まわせていただいていることを)ご祭神に感謝申すべく、お祭りをとりおこないます、としてもよいですし、このたびだれそれがここに家を建てようとする運びとなりました、などと地鎮祭祝詞の一部でもつかえそうです。

2017/06/28

祝詞語彙1

 ここからしばらくは万葉集の歌の中から、祝詞作文に役立ちそうな語句を紹介いたします。といっても、ぜんぶで四千五百首あまりもありますので、巻第一が終わるまででひとつのくぎりにしたいと思います。なお、本文として使用するのはおもに岩波文庫版(新版)です。
 
万葉集巻第一より

【一番歌】

籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち このに 菜摘ます児 家告らな 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ しきなべて 我こそいませ 我こそば 告らめ 家をも名をも

〇岡……歴史的仮名遣い注意。「をか」。

〇菜摘ます児……「す」は敬語(助動詞)。ものの本には「軽い敬意をしめす」などとあるが、どうか。敬語の発達とともに、「軽い敬意」と認識されるようになっていったとみるべきではないだろうか。いずれにしても謙譲語ではないので、この「す」参拝者の動作につけくわえることはできない。病気平癒祈願祭祝詞で参拝者が「病みこやす」などと書くのはおかしいし、一般の動詞の「す」とも混同しやすいので注意が必要だろう。本歌の「名告(の)らさね」の「さ」も同様。また、「しろしめす」「聞こす」などの「す」もこれで、すでに一語として認識されていることが多い。


〇家告らな……読みはイヘノラナ。「告ら」は式祝詞で多用されている「宣る」と同じ語。ここでは単に「告げる」という意味にとれる。祝詞でも「告げる」という意味でノルと読んでもよいわけである。